敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

その呻きを掘り起こすのは(寄付のご報告)

 

 

 

月初に、「トランスジェンダーが緊急時に月経ナプキンを必要とする6つのケース」と題した記事を書いた。

 

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2024年1月1日に発生した能登半島地震により、被災地でのトランスジェンダーの月経ナプキン使用がX(Twitter)で話題になったのを受けて執筆した。当時の「議論」は、とあるアカウントの放言を発端として、トランス女性が必要もないのに月経ナプキンをシス女性から強奪しているかのような印象操作を招くものに発展していた。上記記事は、トランスジェンダーもまた月経ナプキンを必要とする理由をまとめた上で、有限の月経ナプキン資源を分配するにあたって用途に優先順位をつけることの非合理性を提示したものである。経験上、ばらばらのサイトへのリンク集としてではなく、一つの記事に情報がまとまっていることは、読解のハードルを下げる。わたしが見たところ、トランスと月経ナプキンについてのまとまった一つの文章は、どこかにあるにはあるのだろうがネットの海に埋もれていたので、自分で改めて放流してみた次第である。わたしでなくとも書ける文章だと思う。わたしはトランスジェンダーを巡る言説にわずかばかりの当事者性を持つ個人に過ぎず、医者や専門家ではない。至らない点も多いことと思う(ご指摘いただいた精神障害者への差別を助長する恐れのある一節については、後日修正と追記をしている。同様の懸念を抱いていた方は確認していただけるとありがたい)。

 

さて、今から、上記記事に寄せられたコメントを一つ引用したい。リンクは貼らない。コメント主を責める意図はなく、このコメントを契機にわたしが思ったことを書くためだけに紹介させてもらう。

それは、引用RP(引用RT)の形で、通知欄に現れた。

 

トランスジェンダーが生理用ナプキンを必要とするケースについて、必要な情報と心構えが過不足なく丁寧に書かれてるから、少しでもこの話題に疑問が生じた人は全員読んでくれ

てかこんなん知らなくたって他人の事情に必要以上に首突っ込んだり妄想で不安を煽り立てるなってだけの話なんだけどな(私もそんな詳しく知らんかったし)

 

コメント主のアカウントには見覚えがあった。1万人を超えるフォロワーを抱え、トランスジェンダーの権利を尊重する観点から積極的に発信を行う、おそらく自身はトランスジェンダーではないアライで、TLで何度か見かけたことがある。トランスジェンダー関連のトピックは人並み以上に追っておられるはずだが、そんな人でも「詳しく知ら」なかったらしい。どこまで知っていてどこから知らなかったのかはわたしにはわからないが、推察するにダイレーションの具体的手順あたりの話ではないかと思う。ダイレーションは、トランスジェンダーの中でも、男性を割り当てられて造膣手術まで受けた人のみが経験するプロセスなので、知名度は低い。造膣手術は戸籍上の性別変更には必須ではないので、受けない人もいる。

こうして引用したのは、この人が無知だと責めるためではない。むしろ、コメント後半にあるように、みなまで知らないにも関わらず「他人の事情に必要以上に首突っ込んだり妄想で不安を煽り立て」たりはしない姿勢は尊敬に値するものである。そう、このコメントはまったく正しい。正しいがしかし、「他人の事情に必要以上に首突っ込んだり妄想で不安を煽り立て」たりしている人を止めることはできないだろう。今日わたしが伝えたいのはそのことです。完全な知識がなくても踏みとどまって黙思することができる賢明なあなたのことではなく、知らないなら知らないでじっとしていることができない状態の人の話をしたい。

 

 

 

他人の事情に首突っ込んで妄想すべきではない、これで納得できる人はそれでいい。しかし、これで納得できなかった人を取り急ぎ差別者にしないためには、まずは調べてもらって正確な情報を得てもらうしかないんです。先入観(誰もが持ち得る)や心的外傷などさまざまな理由で、特定のトピックに対して苛烈な反応をあらわしてしまう人は一定数いる。もちろん、正確な情報さえ入れば差別主義者にはならないとはまったく思わない。差別の原動力がよそにある人も多く、その場合はいくら対象の情報を得ても差別的な解釈をすることは歴史が証明している。しかし、とりあえず、とりあえず一番最初には、正確な情報の摂取が不可欠なはずだ。そして、その情報がどこから来ているのか、手の中の機器をタップすれば無限に湧き出てくる(ように感じられる)情報は誰が書いているのかに、今日は思いを馳せてほしいのだ。今日だけでも。わたしのこの記事を読んでいる間だけでも。

 

 

 

Google検索やX(Twitter)のパブリックサーチでヒットする情報は、無から出てくるわけではない。それは人間がそれぞれの知力を絞って書いたものである。そしてその原資は、生身の当事者の語りである。ときに尊厳ごと轢き潰されるような生の合間から発せられた声である。声にすらならない、呻きとでも言ったほうがいいようなものもあっただろう。呻きを掘り起こして再構成して、判読可能なものに成形する作業も、呻きを発した当人によるものか、近しい人によるものか、あるいはまったくの第三者によるものか、いずれにせよ容易ならざる営みである。

わたしも、テストステロン投与については当事者だが、当事者だからといって医者ではないのだから詳しい作用機序などは知らない。エストロゲン投与や、性別適合手術についてはもっと知らない。知らないから、調べて書いた。生家にパソコンが来て、初めてネットで「性同一性障害」と検索した9歳のときから調べ続けて得た知識に加えて、できる限り正確に書くために今回改めてググり直して書いた。わたしでなくとも書ける文章だが、取り急ぎわたしが書いた。この静かなブログにしては拡散され、愉快でない反応が、当社比で大量に届いた。これが書くということなのだ。わたしよりフォロワーが多く、わたしより多くを書いている当事者には、もっともっとたくさんの反応がもっともっと長期に渡って届いていることだろう。

最も下劣な反応の矢面に立つのは、多くの場合当事者である。専門家ではない(専門家かつ当事者である人もいるが)。専門家は、専門家であるがゆえに忙しく、やることがたくさんある。ネット上の個別のトレンドにいちいち言及して長文でアドバイスする労を執ることはできない場合が多い(善意でやってくれる人はいる)。結局、当事者なのだ。アライが、不特定多数から飛んでくる不躾なリプライや引用に直接的に応えて「議論」を交わす必要はまったくない。しかし、ほかの形で言葉にすることもしなかったら、結局声をあげるのは当事者である。専門家でもない、ただそう生きているというだけの当事者が、ぎりぎりの状況下で命と尊厳を守るために、逡巡の末に矢面に立たざるを得ないのだ。そしてこれはトランスジェンダー関連以外のトピックについても言える。今日もこの国では、女性が、子どもが、老人が、病者が、身体障害者が、知的障害者が、精神障害者が、ニューロマイノリティが、セックスワーカーが、沖縄が、アイヌが、在日コリアンが、人種的・民族的マイノリティが、セクシュアルマイノリティが、ありとあらゆる社会的・構造的マイノリティが、最も下劣な反応に晒されているはずだ。不可視の暴力が染みついた国に生きる者として、日常の多くの場面をマジョリティとして生きる五体満足の日系日本人として、年々切実さを増して感じられることである。

 

 

 

 

本邦においては2018年から表面化したトランスジェンダー差別において、わたしはいつも、半分以上アライの気持ちで関わっている。性別違和を抱え、医療的措置を選びつつも、当事者よりもアライとしての立場のほうがおのれの状況に近いと自己判断している。わたしが女性に生まれたクィアであり、男性に生まれたクィアが直面するほどの苛烈なバッシングは免れているからだ。もちろん人それぞれおかれている環境やストレス耐性に差がある以上、女性として生まれたクィアの苦しみを軽視しアライの「責務」まで強いるような向きがあるならば反対するが、わたし個人としては、自分自身をアライと捉えることが多い。過去記事に書いたように、大手出版社からの書籍出版を巡る騒動で潮目は若干変わったように感じるものの、やはりわたしはアライである。

 

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しかし、今日この記事は当事者として書いている。広義のトランスジェンダー当事者である個人として、アライに向かって書いている。まずは黙思して情報を得る段階を過ぎて、差別に反対すると口に出せるようになったあなたに向かって書いている。言いたいのは、語ってほしいということだ。あなたはアライとして、人並み以上に情報を蓄えているはずだ。それを、あなた自身の言葉で再放流してほしいのだ。アライ同士で結束を高めるためではなく、アライではない人がみることを意識した言葉で語り直してほしいのだ。新規性は必要ない。すでにネット上にある情報の焼き直しのように感じても構わない。当事者ではない、専門家でもない、あなた自身の生活上の実感から出た反差別の言葉は、さまざまな理由から苛烈な反応に傾きかけている人にはなによりも響く可能性がある。文章でも絵でも落語でも紙芝居でも、形式はなんでもかまわない、オンラインでもオフラインでもいい、あなた自身の言葉をなんらかの形でどこかに残してほしいのだ。

もちろん容易なことではない。既存の投稿のリポストではなく、ゼロからなにかを作り出すのは、作成のコストもさることながら、寄せられる反応に消耗させられるのが昨今は一番のコストである。だから、頻度は高くなくていい。迅速でなくていい。必ずしも長文である必要もない。毎日ハッシュタグをリポストするリソースを、3カ月に1回ハッシュタグだけに頼らない自分の言葉で1投稿することに向けるとか、そんな感じでかまわない。3カ月に1回でも多いくらいだとわたしは思う。当然、目まぐるしく移り変わるSNS上のハッシュタグアクティヴィズムには乗り遅れる。しかし本来そんなものに乗る必要はない。ハッシュタグアクティヴィズムは比較的バリアフリーな政治参画の手段の一つで、大事な概念ではあるが、有用なケースとそうでもないケースがあり、個別に判断していくべきだと思う。たとえば、イスラエルの反パレスチナプロパガンダの威力を削ぐためには、動画を拡散してアルゴリズム上で露出を高めることが支援になるかもしれない。しかし、こと2024年現在のトランスジェンダー差別関連のトピックに関しては、ハッシュタグポリティクスはデメリットのほうが大きいと個人的には思っている。いずれにせよ、迅速さを犠牲にしてでも一度あなた自身で考え出した言葉は、再度同じ話題が巡ってきたときに(そのときは必ず来る)、あなたの思考を根底から支えるだろう。これは大学生として、しょせん学部レベルではあるが学問を続けてきた人間としての考えでもある。10の分野の専門書10冊を斜め読みして固有名詞を拾うより、1冊を熟読して知識でなく体系ごと理解して別分野へ応用させたほうが、思考は捗る。

繰り返すが、容易なことではない。わたしは自分の言葉として文章の形式を得意としており、つくりだすことに慣れているから言えてしまう面はどうしてもあると思う。巧拙は気にしなくていいと思うが、気になる人は多いだろう。善意と正義感は伝わるけれどないほうがマシと言わざるを得ないようなどうしようもない発信があるのも事実である。それでも、この社会にトランスフォビアが染みついており、残念ながら当面の間は解消されないままで生きていかねばならないのなら、反差別の言葉のチャンネルを増やしていくしかないとわたしは考える。既存の投稿の再投稿は、もちろん無意味ではないがチャンネルを増やすことにはならない。一つ一つは小さな声でも、その総量とバリエーションを増やすことは、表現に長けた少数の当事者や専門家の大きな声のインプレッションを増やすことと同じくらい、あるいはそれ以上に人を動かす力があるとわたしは思う。もちろんすべてわたし個人の意見であって当事者の総意ではない。意見を異にする当事者も多いだろう。

 

 

 

偉そうなことを長々書いた。許してください。

 

元記事で予告していたように、2024年1月のブログ収益は能登半島地震の被災地に寄付する。1月31日15時時点で今月のPVは41956であった。

 

 

Googleアドセンスによって正確な収益が確定するのは翌月以降なので、1PVを0.1円と概算して4195円、きりよく繰り上げて5000円を、些少ではあるが寄付させていただいた。

寄付先は石川県公式ホームページに提示されている義援金口座とした。

 

 

www.pref.ishikawa.lg.jp

 

以上、報告とする。

 


当ブログのトランスジェンダー差別関連の記事を時系列順に並べておきます。気が向いたら読んでください。

 

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