この国のトランスジェンダーにとっての「最も危険な年」が果たしてこの2023年だったのかは、時が経ってみないとわからないことだ。おそらくはそうはならないだろう──もっと酷い年はこれからいくらでもあるに違いないという意味において──というのがわたし個人のリアリズムを気取った無責任な予想だが、2023年が今後トランスジェンダー史においてどのように位置づけられようとも、今年失われた命の重さが変化するわけではない。自死したあのタレントは、わたしと同い年であることすら知らなかった程度には遠い存在だった。しかし彼女が著名人であったことで、生前の言葉や遺族の言葉は広く流通し、わたしのような遠い人間の目にも届いた。わたしはこの2023年を、彼女を喪った年としてまずは記憶する。そしてもう一人、医療従事者として前職で知り合ったトランスジェンダーの女性が自ら命を絶ったことも、わたしは記憶しておかねばならない。彼女は著名人ではなかったから、わたしにとっての遠さはタレントと五十歩百歩だ。タレントとは違って直に接したことがあっても、生前の言葉や遺族の言葉がつぶさに報じられることはないから、彼女についてわたしが知っている情報はごく少ない。彼女についての「知らなさ」は、報じられることがなかった数多の命をわたしに突きつける。
時の流れが不可侵の摂理というのなら、わたしは反逆者になることができる。
わたしはryuchellを忘れないでいることができる。ここに名を書くことはできない彼女を忘れないでいることができる。
相模原の津久井やまゆり園を忘れないでいることができる。宇治のウトロ地区を忘れないでいることができる。幡ヶ谷バス停を忘れないでいることができる。立川のホテルを、川崎市登戸を、小田急線を忘れないでいることができる。先立った友を忘れないでいることができる。インターネットの発達は遠い地の出来事を知ることまでも可能にしてくれたから、香港のダイヤモンドヒルを、ウクライナを、ガザを忘れないでいることができる。忘れないことで抗うことができる。
人は忘れる生き物? であればわたしは書くことができる。わたしは書いてきた。わたしのことを、先生のことを、辛うじて踏みとどまっている同胞のことを、逝ってしまった友輩のことを書いてきた。書いて残してきた。
2024年も書く。