敏感肌ADHDが生活を試みる

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2024年5月19日の文学フリマ東京38でエッセイ本を販売します&障害者割を実施します【本文サンプル】

 

 

 

2024年5月19日(日)に開催される第38回文学フリマ東京にて、エッセイ同人誌を販売します。

タイトルは『クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム』です。値段は1000円を予定しています(未確定ですが、そんなに大きく変動することはありません)。

サークル名は「呉樹直己」、ブース番号はU-13(第一展示場)です。

 

Webカタログはこちら。

 

c.bunfree.net

 

文学フリマ東京38の開催地は東京都大田区の東京流通センターで、最寄り駅は流通センター駅です。

入場料1000円が必要です。

イベント公式サイトはこちら。

 

bunfree.net

 

イベント公式X(Twitter)はこちら。

 

 

この記事では、文学フリマに初めて来る人向けのイベント案内と、わたしが販売する本の紹介、わたしのブースで実施する障害者割引の説明、取り置き・通販・電子化・よくある疑問など、イベントを楽しみわたしの本を買っていただくのに必要な情報をまとめました。末項に本文冒頭のサンプルもあります。

 

 

 

 

 

1.文学フリマとは

文学フリマとは、小説・短歌・俳句・詩・評論・エッセイ・ZINEなど、広義の文学に属する創作物を作り手自らが直販するイベントです。略称は文フリです。ジャンルとしては同人誌即売会ということになるでしょう。

年数回、屋内の広いイベントスペースで開催されます。今回わたしが出店する文学フリマ東京38は、東京都大田区の東京流通センターで開催されます。会場内は細かく区切られてブース番号が振られており、それぞれのブース内で作り手が作品を用意して販売をします。客は会場内を自由に見て回ることができます。

 

2018年の設営前の東京流通センターの様子。

 

 
 
 
 
 
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販売物はわたしのようなアマチュアによる作品が多いですが、大手出版社や商業作家も出店していたりするので、全体のクオリティは高いです。もちろんクッソしょうもない作品もあるでしょうが、玉石混交の中から出会いを楽しむのもこの手の即売会の楽しみの一つとされています。

 

2.文学フリマ東京38について

今回わたしが出店する文学フリマ東京のイベント情報は以下の通りです。

 

日時:2024年5月19日 12:00-17:00(最終入場16:55)

場所:東京流通センター 第一展示場・第二展示場(最寄り駅:流通センター駅)

入場料:1000円

 

文学フリマは例年入場無料のイベントでしたが、今回の第38回東京会場では入場料1000円が必要になりました。参加者の増加に伴う措置のようです。

事前にネットで購入する前売チケット、現地で購入する当日チケットともに1000円です。詳細は公式サイトへ。

 

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チケットは入場順とは関係がなく、事前に買ったら早く入場できるわけでもありません。行けるかどうか当日に体調と相談したい人は、無理に事前に買わなくても大丈夫だと思います。当日券も数量限定ではないので、時間内に来場すれば買うことができます。

文学フリマ東京は例年、12時の入場開始直後は長蛇の列になります。当日券販売窓口もそれなりに混雑するかもしれません。しかし個人的には、文フリは大規模オタクイベントの中ではそんなに混まないほうだと感じます。混む時間帯を外せばもっと空いています。ただし、来場が遅いと目当ての本が売り切れるリスクはあります。

 

今回どんな本が販売されるのかは、Webカタログで確認することができます。わたしも載っています。事前にいろいろ見て、好みのジャンルが集まっているエリアなどの検討をつけておくと、当日会場でスムーズに買い物できます。

 

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会場となる東京流通センターのバリアフリー情報は公式ページに詳しいです。駅からは車椅子で来場することができ、例年車椅子の方は何人か見かけます。多目的トイレもあります。

 

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3.本の内容

わたしが今回販売するのはエッセイ同人誌です。内容はブログを基にした新規書き下ろしです。短歌の連作も載せています。ブログをすでに読んでくださっている方も初めましての方も楽しんでいただけると思います。

本の内容はざっくり以下の2つです。

 

①精神障害者ルームシェアについて

双極性障害を患う「先生」と共同生活をして4年になるので、総括をしました。会ったことがない状態で同居を打診され、初対面から2カ月で引っ越した共同生活の様子は、過去記事にも何度も書いています。今回の本では、先生との生活を振り返りつつ、この資本主義社会・新自由主義社会で再生産労働をアイデンティティとすることについて総括を行います。

 

www.infernalbunny.com

 

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②男性ホルモン治療について

2022年から、テストステロン注射(男性ホルモン治療)を受けています。2年と少し継続してきて感じたことや、実際の変化などをまとめました。ただの体験レポではなく、フェミニズムやトランスジェンダー差別など広範なトピックを含むエッセイです。過去にホルモン治療について書いた記事で雰囲気を掴んでください。

 

www.infernalbunny.com

 

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本では、上記2つを柱に、フェミニズム・トランスジェンダー差別・メンタルヘルス・発達障害など、ブログで書いてきたようなさまざまなトピックを取り上げています。本記事末尾にて冒頭部分を公開しているのでご覧ください。

表紙絵は、とても素敵なイラストを描いていただいています。完成したら公開しますのでご期待ください。

 

 

 

4.障害者割を実施します

文学フリマ東京の有料化を受けて、今回「呉樹直己」のブースでは、障害者割を実施します(文学フリマ公式とは無関係で、わたしのブースでのみ自主的に実施する措置です)。

障害者手帳(身体障害者手帳・精神障害者手帳・療育手帳)をお持ちの方は割引価格でご購入いただけます。具体的な金額は本の値段が確定してから告知します。

割引を利用したい方は、支払時に「手帳割お願いします」と一言申し出てください。手帳を提示する必要はありません。性善説運用とし、口頭で申し出があればすぐ割引します。なにかを証明したり説明したりする必要は一切ありません。

有名人のサークルであれば、いやがらせで虚偽申請等する人もいるかもしれませんが、今のわたしの規模感ならいたとしてもごく少数であろうと判断して実施します。

 

5.取り置きに対応します

本はなるべく多くの方に手に取っていただきたいのは山々ですが、印刷費などの都合上、商業出版の本ほどたくさん印刷することはできません。イベントは17時までですが、終わり近くになると売り切れている可能性はあります。そこで、確実に手に入れたい方や、来場時間が遅くなりそうな方は、取り置きをご利用ください。XなどのSNSのリプライやDMで、名前(ハンドルネームでかまいません)と欲しい冊数を連絡していただければ、そのぶんは確保しておきます。17時までに来場していただき、「取り置きを頼んだ●●です」と名乗ってください。

取り置きをした上で、当日来場ができなくなった場合は、お気になさらずDMでご一報ください。

取り置き希望者が多いと励みになりますし、印刷部数を決める際の参考にもなります。お気軽にご利用お願いします。

 

 

 

6.通販の予定は未定です

文学フリマ東京38以降の販売については未定です。通販はできるだけ実施したいと思っていますが、商業出版とは違うコストがかかりますので、申し訳ありませんが確約はできません。

しかしわたしも地方出身者として、首都圏在住者のみに機会が偏る事態は避けたいので、できる限り通販対応したいとは思っています。通販が可能になればブログとSNSで通知します。

通販では障害者割は実施しませんので、どなたも一律料金で買っていただくことになります。

 

7.電子化・Web再録の予定について

本そのものを丸ごと電子書籍にしたりWeb再録したりする予定は今のところないので、全内容をまとめて読めるのは紙の本でだけです。

ただし、今後のブログ記事に本から引用したり、一部を掲載したりすることはあると思います。

 

8.文フリについてよくある疑問

Q.どれくらい混む?

時期や会場によって異なります。わたしは文フリ東京にしか来場したことがないので東京会場のみの話になりますが、東京会場はそこそこ「人の海」状態です。でも、身動きに苦労するほどではないです。大声を出さなくても会話可能です。わたしはコミケには来場したことがないのですが、話を聞く限り明らかにコミケのほうが過酷です。文フリはそんなに身構える必要はないと思います。わたしが行ったことのある東京のほかのイベントと比較すると、コミティアと神保町古本まつりは文フリより混んでいます。MPは文フリより空いています。

ただし、今回の文フリ東京38はイレギュラーなことが2つ重なっています。文フリ初の入場料が導入された回であることと、東京流通センター会場で開催される最後の回であることです(例年東京流通センター開催だったのが、次回からは江東区の東京ビックサイト開催に移動)。なので、今まで以上に人出が読みにくいです。

いずれにせよ、水筒と細かいお金とスマホさえ持ってくればなんとかなると思います。水分補給はしっかりしてください。近隣の自販機やコンビニはすぐ売り切れます。細かいお金は、ほとんどのサークルが現金決済のみなので必須です。わたしのサークルも現金決済のみです。

 

Q.文フリって作者に話しかけてもいいの?

基本いいと思います。普段から注目している作り手がいるのなら、文フリは作り手と直接コミュニケーションして感想を伝えるいい機会です。呉樹も話しかけられたら嬉しいと思います(話しかけてくれる人がいるのかは不明)

ただ、人気の作り手ならブース前に行列ができたりするので、混雑しているときに長々と話しかけるのは当然NGです。マナーを守りましょう。心配な人は「ギャラリーストーカー」とかで検索してみるのがおすすめ。文フリはギャラリーではありませんが、マナーはおおむね同じです。

 

Q.呉樹の本は買いたいけど呉樹と顔を合わせるのは照れ臭い、なんかイヤ

こちらからお客に話しかけたりじろじろ見たりすることは基本ないのですが、不安な人は売り子ワンオペのタイミングを狙って来てください。当日は売り子として友人の高島鈴さんが手伝ってくれます。

 

 

呉樹も買い物をしたいので、呉樹が離席して高島さんワンオペになるタイミングは必ずあります。離席するときはXで一声呟きます。金髪坊主なのが呉樹、オレンジ髪なのが高島さんです。

 

文フリは公式サイトがしっかり作り込んであるので、大抵の疑問は公式サイトで解決できます。調べてみてください。

 

bunfree.net

 

 

以上、文学フリマ東京38と、わたしの本についてお知らせでした。

 

以下、告知第一弾として本の冒頭サンプルを公開します。このような雰囲気の本が出るので、ぜひよろしくお願いいたします。

今後、値段・書影・目次全文なども順次公開していきます。取り置きの連絡はイベント直前まで受け付ける予定ですので(期日などはいずれお伝えします)、まだ急がなくて大丈夫です。

 

 

 

9.『クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム』冒頭サンプル

 

序章

 

書くことがわたしの使命であると信じて生きている。使命とまで言い切れるのは、自分の能力を高く見積もっているからではなく、自分の状況が恵まれていると知っているからだ。純粋な文章能力だけの話なら、わたしより優れている人はたくさんいる。しかし、創作にかけられる時間的・経済的コスト等をひっくるめた総合的な執筆環境という点ではわたしは随分恵まれているほうで、アドバンテージの数々はわたしの仕事の質を大いにブーストしている。

恵まれた環境を活用して、いろいろな文章を書いてきた。今のペンネームで出ているものだけでも、2018年から頻繁に更新しているブログであったり、外部媒体から依頼されて書く原稿であったりと数はそこそこ多いのだが、いずれも基本的には一つのテーマに沿った一塊の文章であることに我ながら不満があった。当然と言えば当然のことだが、ブログも原稿もタイトルや依頼テーマに沿っている。コスメレビューと題しては化粧品について書き、反トランスジェンダー差別がテーマなら思うことを書き連ねる。しかし、このようなワンイシューの、せいぜい1万字程度の短文を積み重ねても虚しさばかりが募るようになったのはいつのことだったか。クィアと呼ばれる同胞たちの文章なりセルフィーなり、「今ここにいる」という、本人たちからすると切実な叫びであるはずの自己表現に食傷の感しか抱けなくなったのはいつからだったか。この生における毎分毎秒の積み重ねで形成されたわたしという人間を、現時点においてキャッチーで、普遍性のありそうな属性で切り分けて、「不必要」な部分を捨象して提出する作業は、他者が読みやすい文章に仕上げるためにはある程度避けられない。しかし人生で一度くらい、もっと巨視的に、わたしという人間丸ごとを貫く最も広範な倫理を掘り起こすことに挑戦してみるべきではないのか。たとえば「コスメオタク」として語ることも、たとえば「トランスジェンダー」として語ることも、ソーシャルイシューとして提示する際の手つきに求められる「深刻さ」に差はあれど(言うまでもなく、今この社会では後者のほうがずっと「シリアス」である)、わたしという人間のアイデンティティの一部でしかないものを恣意的にピックアップしているという点では同じことだ。そして、現時点において普遍的とされるアイデンティティであれば、先行研究とでも言うべき偉大な先達の語りは膨大な量になり、われら力弱き後輩の語りはそれら既存の語りに容易く影響される。事実として生が多様であることは、語りの豊かさを決して担保しない。現実とは乖離した手前勝手な「あるべき姿」から外れた当事者が中傷に晒される世の中であればなおさらのことだ。わたしが過去に生成してきた自分語りの中にも、ステレオタイプの域を出ないものは多いだろう。凡庸であること自体が悪なのではなく、ステレオタイプに影響されて、豊かで多様であったはずの語りを結果的に矮小化してしまうのが悪なのだ。

もちろん、属性および付随して想起される既存の語りという補助線を用いずに、生身の人間という混沌とした存在から一本筋を見い出すのは、非常に骨の折れる作業ではある。なぜアイデンティティの一部をピックアップし既存の語りを踏襲するタイプの自分語りが飽き飽きするほど流行っているかって、そうするほうがずっと簡単だからだ。そもそもまったくのオリジナルの語りなどというものは原理的に不可能でもある。しかし、0か100かで不可能であるから諦めるのではなく、できるだけ属性および既存の語りに引っ張られない語りをとりもなおさず志向し続けることには、一定の意味があるとわたしは考える。本書は、わたしが人生を通じて断片的に行ってきた生の実践を、一つに統合する試みの未完成な記録である。わたしが2018年から運営しているブログ『敏感肌ADHDが生活を試みる』を加筆修正した再録と、書き下ろしテキストから成る。再録部分と加筆部分は明確に分かれてはおらず、新規テキストに過去の文章を組み合わせるような形になっている。ジャンルはエッセイということになるだろう。本書のタイトル(註:2024年4月20日の現時点では仮題である)は『クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム』であり、ジェンダークィアであることと精神障害者であること、2つの属性を補助線として使用している。今のわたしのポピュラリティでは、数多の書籍の中から露出を獲得するには属性のキャッチーさに頼るのは不可避であると判断された。とはいえ中身は、すでに流布されている語りからは距離を置き、複数のアイデンティティ間を越境するような自分語りを心がけた。心地のよい裏切りのある読書となるように力を尽くしたつもりである。逆に言うと、ホルモン治療の具体的な体験談などは主題ではない。しかし主題ではないとはいえ大事な要素ではあるので、それらを求める人にも楽しんでもらえるだろう。

 

さて、序章の最後には、わたし自身の自己紹介をしないわけにはいくまい。わたしの名前は呉樹直己(くれきなおみ)という。出生によって日本国籍を取得した日系日本人で、本邦のエスニック・マジョリティである。脳の認知機能面を除く身体に大きな障害はなく、五体満足で五臓六腑が揃っている。精神科医による診断名は持続性抑鬱障害とADHD(注意欠陥多動性障害)。精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。手帳等級の数字からわかる以上の障害の重さの程度を、わたしから明言することはできない。苦労話に説得力を持たせるためにはある程度重いと思われる必要があるが、報連相を怠ったり締め切りを破ったりしない程度には社会性があると思われる必要があるからだ。ここにおいて鬱とADHDというわたしのアイデンティティはわたし個人のものではなくなり、それを聞いて社会がどう思うか、あなたがどう思うかを大いに意識したものになる。しかし、他者の視線を反映することはアイデンティティという概念の宿命であり、本来おかしなことではない。

2020年から、兼業小説家の「先生」に養われている。先生の診断名は双極性障害で、わたしと同じく精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。先生はわたしのブログの読者で、先生から同居を持ち掛けられた時点でわれわれは会ったことはおろかSNSでリプライを交わしたこともなかった。初対面から2カ月後に先生の家に引っ越して、かれこれ4年になる。先生が主に賃労働、わたしが主に家庭内の再生産労働を担う形で共同生活を運営してきた。生活は順調であるとも言えるし、心労の連続であるとも言える。先生の目に触れるオープンな文章では前者に力点を置いて語ることが多いかもしれないし、先生の目には触れない親しい友人同士のクローズドな会話においては後者に力点を置いて語ることが多いかもしれない。どちらもわたしの実感としては真実である。語りがどちらに寄るかは完全に環境任せで、つまりあなたに左右されて表出する。他者であるあなたはすでにわたしのアイデンティティ形成に一枚嚙んでいる。

2022年から1年間、精神科病院にクローズ就労し精神科医療の現場を経験した。労働環境は劣悪で、ありとあらゆる違法行為と苛烈なハラスメントが横行していた。べらぼうに高給ではあったが、入職して1週間以内に辞めるスタッフが大半で、1年間に20人近くの離職者を見送った。わたしの入社面接をしてくれた先輩も、上司に横領の濡れ衣を着せられて逃げるように去った。驚いたことに、精神科医すら入れ替わりが激しかった。書類にコーヒーをぶっかける医師、暴れて診察室のロッカーを破壊する医師、性犯罪の罪で裁判中で改名している医師もいた。そのような環境でたった1年とはいえ勤務した経験は、相応の心的外傷と貴重な知見の両方をわたしにもたらした。よい経験だったとも悪い経験だったとも、今はまだまとめたくない。

2022年から、GID科で持続型テストステロン製剤の注射を今も受けている。これは一般的に男性ホルモン治療と呼ばれるもので、性別違和を持つトランスジェンダー向けの医療的措置である。2年と少し続けて、声は低くなり、肌質は脂っぽくなり、体毛は伸びた。坊主頭にしてからは、外で「お兄さん」と呼びかけられることもある。その変化に喜びを感じつつ、それでもわたしは女性の境遇に留まって生きるつもりでいる。規範から逸脱するにしてもあくまで女性の範疇の中で、わたしはわたしのアイデンティティを表現していく必要がある。そのことは必ずしも苦痛や不本意ではない。性別違和がありつつも社会的には女性として生きると選んだことまで含めて、わたしのジェンダーアイデンティティだからだ。女性とは出生時につかまされたアイデンティティだが、長じて再度掴み直したのはわたしの意志である。だが、このままホルモン投与を続けて身体が変化し続ければ、社会的に「男」を引き受けざるを得ない場面は増えるであろう。今この社会で男性ジェンダーを生きるという重労働が、果たしてわたしに可能なのか、いずれ決断せねばならない。

 

自己紹介はとりあえず以上である。次章からは、わたしという人間を形成するいくつかのアイデンティティを拾い上げつつ、複数のアイデンティティを横断するような自分語りを試みていきたい。最終目標は、アイデンティティ自体を相対化し、知見として社会に還元することである。試みは完成には至っていない。この本を出したあとも、試行錯誤は続いている。

 

目次

第1章 先生のこと──わたしは「自立」しているのか?

第2章 生家のこと──わたしは誰のものか?

第3章 生活を試みる

第4章 余命20年の猫

第5章 昔の家族の話

第6章 ホルモン治療のこと──ネオリベ病院のネオリベ注射

第7章以降 絶賛制作中