敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

ハラスメントの冤罪被害を受けた話(2)

 

 

 

過去記事に書いたように、かつてわたしは呉樹直己にモラルハラスメントを受けたと称する冤罪被害を受けた。2019年秋のことである。

 

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上記記事公開は2023年のことで、あれは被害だったと明記できるようになるまで4年かかったことになる。冤罪をかぶせてきた相手の主目的は、わたしの感情をなんらかの形で揺さぶることだったため、傷ついたと認めることは相手に敗けることだと感じられた。しかし今は、やはりあれは被害であり、わたしは傷ついたと認めざるを得ない。わたしは心的外傷を負い、その後なんとか回復をみた。具体的になにがあったのかは過去記事をまず読んでほしい。読めばわかる通り、平たく言うと「友人間のいざこざ」の域を出るものではなく、そもそも「ハラスメントの冤罪被害を受けた話」としてまとめるのは的を外しているように読者には感じられるかもしれない(念のため書いておくが、友人間だろうが被害者が歳上だろうが場合によってはハラスメントは成立する)。しかし、「友人に傷つけられた」ではなくて「ブロガー・呉樹直己にモラルハラスメントを受けた」とするシナリオを主張したのは先方であり、今もわたしは先方を許していないので、堂々と受けて立つ所存の表明として前回そして今回もこのタイトルを選んだ。

 

この記事は、前回同様、わたしが自分の内面を言語化して整理することを第一の目的として書かれた。次いで公開して人目に晒して昇華させることで、5年経った今もわずかではあるが残存する心的外傷を修復する助けとしたい。加害者である大学の先輩・Aに読んでもらって反省を促したいと思っているわけではない。Aが今もわたしのブログをチェックしているのかはまったく不明である。もちろん、インターネット上で全世界に公開する以上、Aの視界に入る可能性は十分に考慮しているし、個人情報の取り扱い等には最大限配慮したつもりである。お互いに無名であるので万が一にもないと思うがAの特定などは控えてほしい。Aを攻撃するために書いているのではない。

 

前回の記事でも載せた注意書きを再掲する。以下本文では、わたしの被害に具体的に触れる。閲覧は自己責任でお願いしたい。ただし、この件の被害は同世代の同性の相手から主にオンラインで受けた言葉による精神的暴力に限られており、身体的暴力・性的暴力の描写は一切含まれないので、その心配は無用である。もちろん、同世代間であろうが同性間であろうが身体的暴力・性的暴力は成立するが、今回のわたしの被害に関してはそうではなかった。

また、今回の一件は被害届を出す・訴えるといった法律絡みの係争には至っていないので、警察のことや裁判のことなどで現在進行形で悩んでいる方の役に立つ文章ではない。あくまで、一個人の心情的な体験談となる。出来事だけを見るなら先述したように「友人間のいざこざ」の域を出るものではなく、センセーショナルな告発や新奇性のある体験談を期待する向きにもお応えできない。おそらくわれわれの間の出来事は、どこにでもある、ごくありふれた感情のもつれでしかないことだろう。ごくありふれた感情のもつれがいかに人を傷つけ得るかの実例として、気軽に読んでほしい。

 

 

 

 

 

1.わたしはなにに怒っているのか

具体的な出来事等は過去記事を読んでいただいているものとしてさっさと進めていく。今もわたしはAに怒りを抱いている。自分で言うのもおかしいが普段のわたしは温厚なほうである。それなのに今も怒っているのは、Aがわたしが大切にしているものを多数踏みにじったからである。なににそんなに怒っているのか、以下で整理していく。

 

①わたしの友人を侮辱した

Aは、わたしを根っからのハラスメント気質であり、自己愛性パーソナリティ障害であり、周囲の人間を苦しめていると言い放った。わたしに友人がそこそこ多いことはAも承知していたが、その友人たちは全員わたしに洗脳されているか怖くて言い出せないかで、真の友達は一人もおらず、いずれ誰からも見捨てられて孤独になる、と指摘した。Aはこれらを、大学の先輩としての忠告であると書き添えて送りつけてきた。即刻カウンセリングを受けてその性格を矯正すべきである、「モラルハラスメント」という言葉を最初に提唱したフランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌの本を読むといいとアドバイスされた。虐待してきた(A自身の)母親にそっくりである、(呉樹の父親から)虐待の連鎖をしているとも言われた。

わたしがA自身の母親に似ているというのはAの感想であるから否定はできない。わたしがわたしの父に似てきている(Aとは互いの家庭環境のことを打ち明けあう仲であった)というのも、とりあえずは認めよう。しかし、わたしの大切な友人たちの内面を善意のアドバイスという形で決めつけてきたのは許せなかった。わたしは、どんな経緯であれAがわたしの存在によって深く傷ついたことは紛れもない事実として受け止めて、即刻謝っている。法的闘争の場であればどちらの非かがシビアに問われるのだろうが、そうではないのだから、友人が傷つきを訴えてきたらまずは謝って労わるのが友人としても人間としても当然であると思われた。しかし、A自身の傷つきを訴えるのではなく、謎の第三者目線で会ったこともないわたしの友人の内面を盾にしてくるのは、一線を越えていると感じた。卑怯であり、友人たちへの侮辱であると思った。もちろん、わたしの友人の中にはAの言う通りわたしに怯えながら過ごしている人もいるのかもしれない。わたしの立場からは、いないと言い切ることは原理的に不可能だし、また言い切ってはいけない(言い切るのはそれこそモラハラ臭い)。しかしAに代弁される筋合いはないはずだ。わたしは甚だ至らない人間ではあるがわたしなりに友人たちを愛しており、友人たちもまた完璧な人間ではないなりにわたしとの関係性維持に自発的にコストを割いてくれていると思っていた。わたしは友人たちを信じたかった。少なくともAのように、おのれの傷つきすらおのれ自身で語ることができず他人を盾にする卑劣な人間にわたしの友人関係に口出ししてほしくはなかった。これはこれでマッチョな考え方なのは自覚しているが、本音である。

 

②第三者を引っ張り出して攻撃してきた

他人を盾にすると言えば、Aは、わたしが知らないAの先輩に呉樹直己のX(当時Twitter)のアカウントを見せてわたしとの関係について相談して、「威圧的な人だから離れたほうがいい」とアドバイスされたことを伝えてきた。相談は自由にすればいいし、赤の他人にどう思われようとかまわないが、これもまた、Aの書き方はわたしへの攻撃と感じられた。

なお、時系列からしてAの大学の先輩がわたしのアカウントを見たのは、わたしが故あってとあるフェミニズムメディアの編集部ととある社会学者を批判する投稿をしているときだった可能性が高い。批判的言及ではあるが誹謗中傷などではなく、口調も過激ではなく、恥じるところはないと今も思っている。しかしXの使い方は人それぞれであるので、人によっては威圧的と感じられるかもしれない。感じ方はその人の自由だが、わざわざ伝えてくるAにはやはり陰湿さを感じた。また、友達が人間関係で深く悩んでいる様子なら、誰だって距離を置くようにアドバイスするのではないだろうか。ましてAとわたしは同棲しているわけでもなく、都道府県も離れており、距離を置くのになんのしがらみもない。友達の背中を押すために、その相手をちょっと悪く言うくらいのこともするかもしれない。顔も知らないAの先輩を恨む気持ちはない。

 

 

 

③文章が盗作であると言われた

当時わたしは、Xやブログで「祈る」というフレーズを好んで使っていた。しかしそれは、AのLINEのアイコンが聖母マリア像だったことから着想を得ており、Aのアイディアの盗作に当たると言われた。もちろん事実無根である。AのLINEのアイコンがマリア像であることも言われてから気づいた。

前提として、2024年2月現在のわたしは、ライターではある。実績は極めて少ないが、金銭と引き換えに文章を提供した経験があり、内1つは商業出版のルートにも乗っており、ライターではないと言うことは関係各位に失礼に当たると思われるので、大恥を忍んで、名乗るべき場面ではライターと名乗っている。しかし2019年秋当時のわたしは寄稿経験もなく、Xのフォロワーは1000人にも満たなかった。500人もいなかったかもしれない。それでも、創作を志す人間としてのプライドだけはいっちょ前にあったので、盗作と言われたことは不快だった。なにからなにまでエピソード全体があまりにもしょっぱく、本当にこんなことを言わせないでほしい。恥をかくのはむしろわたしである。

 

④感情は醜く理性は高尚と思っていると決めつけられた

Aは、わたしが理性的であろうとしすぎて苦しんでおり、感情豊かなAに嫉妬しているのだろうと言い募った。Aを見下しているとも言われた。見下しているのなら、少なくともその点においてはAを羨ましいとは思わないはずなので、Aの言い分は最初から破綻していると今ならわかる。

過去記事に書いたようにAはどちらかというと興奮しやすいほうで、交際相手などにたびたび怒鳴ったり試し行動をしたり、自傷を繰り返したりしていた。Aはそんな自分を変えたいと願って、真面目に通院・服薬しカウンセリングも受けていた。わたしは友人としてAの努力を素直に応援していたつもりである。たしかに、対人関係においてわたしはAよりも少しばかり器用だった。Aのことは2歳上にしては幼いと感じていたことも認める。しかしそれでAを馬鹿にするような態度を取ったつもりはない。誰しも得意不得意があり、わたしにもAに及ばない部分がある。Aの不運は、わたしの得意分野がAのコンプレックスと根深く結びついていたことだろう。「なぜ距離を取ってくれなかったのか」と言われたが、それはわたしに求めすぎなのではないだろうか。Aは何度も「もう関わらないでください」と書いてよこしたが、わたしに執拗に粘着しメッセージを送り続けたのは常にAのほうである。

感情は醜く理性は高尚と思っていると浅薄に決めつけられたのも腹が立った。そもそも理性と感情は一概に対置できるものではないと思っているし、わたしはブログでは人間の弱いとされる部分をとっかかりにして人生をやっていく方針を示していたつもりだった。Aはわたしのまだまだ未熟なブログの深意まで読み取ってくれ、熱心に感想をくれていたのだが。

AのXアカウントをほんの少し覗きに行くと、わたしが電話口で謝りながら泣いていたことについて「私は彼女の泣き声を初めて聞いた。美しいと思ったよ。弱さをさらけ出すことができる人間は美しい」「感情を表現するのはそんなに穢らわしいことなのでしょうか。彼女にとってはそうなのでしょう」と投稿されていた。あまりにも表層的で、視野の狭い意見であると感じた。なお、当時わたしは男性ホルモン治療もまだ受けておらず、自分の性別違和についてAに打ち明けたことはなかったので、Aがわたしを「彼女」と呼んでいるのは悪意のミスジェンダリングなどでは決してないことは明記しておく。

 

⑤わたしの喪失体験に対して配慮がなかった

過去記事に書いたように、Aは最終的には丁寧な謝罪の手紙を寄越した。それはAなりの最大限の真摯さでもって書かれており、基本的には真面目で善良な、わたしが長年知る通りのAの人柄が反映されていた。それでも、芯を食った謝罪ではないと感じられた。わたしがAにモラルハラスメントを働いていたという前提はいまいち崩れていないまま、わたしを許す言葉が綴られていた。手紙の内容を詳しく述べることはしないでおく。Aの許可を一切取っていないこの記事においてせめてもの誠実さを保ちたいからである。

一つ、些末ではあるが不愉快に感じられた点を挙げておく。Aは手紙の末尾で、数日前に自身の祖母が危篤に陥ったことで命の尊さを実感した体験を綴り、わたしに「だからあなたも死なないでください」と語りかけていた。Aの体験はA自身のものなので大切にすればいいのだが、当時わたしは3カ月前に友人を自死で亡くしたばかりであった。そのことは過去記事にも書いたし、Aにも話している。友人と肉親ではまた距離が違うとはいえ、命に関して思索する機会なら直近であったばかりなので、Aの書きぶりはやや無神経に感じられた。とはいえこれは些末なことであって、前項までの怒りに比べたら我慢できる。

 

 

 

2.創作者として、友人として

Aは、わたしに傷つけられた体験を最初は自身のブログに書くと宣言してわたしをブロックした。しかし再度解除して、「やはり直接言います」と直接伝えてきた。「貴女は人気者だから私の訴えは信じてもらえない」など、自分を卑下する発言もあった(繰り返すが当時のわたしは寄稿経験もなく、フォロワーも下手したら500人もおらず、べつに人気者ではなかった)。つまり、Aはわたしと自分自身とを創作者として位置づけて、創作者同士の戦いのように演出したがっていた。2019年11月当時話題になっていた、フィギュアスケーターの織田信成氏がコーチからモラルハラスメントを受けたとして提訴し記者会見を開いた一件を引き合いに出して、自分と織田氏を重ねるような発言もみられた。

Aはわたしに文章で張り合いたがっていたが、Aの意気を削ぐような出来事がたまたま重なっていた。Aが、Aのブログの読者とDMする中でわたしのブログを相手に紹介すると、相手がわたしを絶賛してぜひ紹介してほしいと言ってきたらしいのも、ちょうど決裂の直前であった。Aは経緯を律儀に伝達した上で、「やっぱりわたしは誰も特別だと思ってくれないんだ」とこちらが応答に困るようなことを書いてきた。どう返答したかは憶えていない。既読無視してしまったかもしれない。

実は、モラハラという言葉を最初に使ったのはAではなくてわたしである。わたしが、「わたしの言動はAさんにはモラハラと感じられていたと思う」と言ったのだ。これはわたしなりにAのコンプレックスを遅まきながら察した上での言葉であったが、裏目に出たと言わざるを得ない。

過去記事に書いたように、Aの文章は正直凡庸だった。わたしは、以前から感じていたAの精神的未熟さと合わせて、Aに少し幻滅のような気持ちを抱いており、それを謝罪の形で本人に伝えてしまった。それは、こちらに非があると長文で責められ続けて、とにかく謝罪しなければと混乱した頭でひねり出した「わたしの非」であった。言わなくてもいいことであったと今は思っている。

Aの中で、わたしの人物像はわたしの実態を超えて膨れ上がり、偉大な作家のようになっていた。わたしは長らくそれに気づかずにいたし、薄々気づきはじめてからも、その点においてAに配慮的ではなかった。当時明確に言語化できていたわけではなかったが、わたしとしては、Aが文筆でわたしと張り合いたいのなら受けて立つべきであると思っていたのだ。へらへら笑ってはぐらかすほうがAを舐めていて不誠実で失礼で、Aが挑んでくるのなら正々堂々と受けるべきだと思った。それが、当時も今もただの個人でしかないわたしの、青臭い自意識であり、プライドだった。若かったのだ。

 

Aが、わたしに支配されているような心理状態であったことはまったく疑っていない。虚言ではなく、主観的には、モラルハラスメントを受けている者の心理状態と本当に感じられたであろう。だからわたしも自分からモラハラという言葉を持ち出した。わたしの立ち回りは極めて難しかった。わたしといるとAの精神に著しく悪影響なのは確かなのだから、わたしを悪者にしてでもAを一刻も早くわたしから遠ざける必要があった。わたしに激しく執着してくるAに、これ以上刺激して衝動的な自害・他害などに追い込まない程度には優しく、しかしAに未練のようなものが生じない程度には冷たく突き放す必要があった。矛盾する態度を両立させようと必死で文面を考えた。Aは長文を送信している途中でも、少し間が空くと「続きを書く気ありますか? 私の出方を伺っているんですか? また私を支配する作戦ですね?」などと一的な解釈を寄越して急かしてきたから、時間もあまりなかった。Aの謝罪の手紙には、歳下のわたしがこのような極めて難しい立場から精一杯Aを思いやっていたことへの言及が一切なかった。気づいていなかったのだろう。Aは、わたしがなにを考えているかを、Aの立場からはそれこそ夜も眠れないくらい血眼で想像していただろうが、わたしの立場に成り代わって考えてみることは、ただの一度もしなかったのではないかと思う。そこに思い至らない限り、いくら暴言を真摯に謝罪されてもわたしはAを許すことができない。

ちなみに、先述した織田信成氏の訴えであるが、コーチはモラハラの事実はなく逆に名誉を傷つけられたとして反訴。2023年2月に織田氏の請求は棄却され、賠償命令が下っている。このことにとくにコメントはない。モラハラ裁判の難しさを思うばかりである。

 

 

 

今ならはっきりわかるが、Aは創作者になりたいわけではなかったのだ。Aはただ、わたしに嫉妬し、依存し、わたしを独占したいだけだった。わたしには実際のところ、ハラスメント加害者としての誠実さなどまったく望まれていなかったのだ。わたしが求められていたのは、Aに対して絶交してくれるなと追いすがり、なんなら決裂した夜に新幹線の終電に飛び乗ってAの家まで押しかけて泣いて、わたしの友達はあなただけだからどうか見捨てないでと土下座することだった。そうすればAは一時的には満たされたかもしれない。しかしそれはできない相談である。Aはかけがえのない友達だったが一番でも唯一でもなかった。

Aとわたしの関係は、遅かれ早かれ破綻していただろう。

 

Aは、わたしに心的外傷を与えたという点ではわたしの特別になり、忘れえぬ人になった。Aとの一件のあと、わたしに優しくしてくれる人全員が怖い時期がしばらく続いた。大切なあの友人もこの友人も恋人も、ハラスメント気質のわたしが無意識に丸め込んでいて、抑圧し洗脳してしまっているのではないかと懊悩した。

 

2019年時点までの人生において、わたしを最も深く傷つけ、最も激しく愛したのはAだったと思う。

 

 

 

3.Aへ

長々と書いてきた。最後に、万が一Aの目に入ってしまったときのために、過去記事にも書いたAへのメッセージを再掲して終わりにしたい。

 

この文章を読んでしまったAへ。あなたの課題は、わたしのような人間に執着しないことであるはずなので、本来この文章が目に触れている時点でおかしい。しかし、人間だから好奇心に負けて見に来て、好奇心に負けて読んでしまうことはあるでしょう。勝手にわたしの言い分ばかり書いて、申し訳ないとは思っています。あなたは5年前、「わたしのことをブログに書いたら許しません」と送った翌日に、「やっぱり書くのはあなたの自由だから書いていいよ」と送ってきましたよね。だから一応許可は出ているとも考えられるのですが、あの数日間のあなたは極度の混乱状態にあったと思うので、この言葉をどれだけ真に受けていいのかは迷うところでした。それでもわたしは書くことを選びましたが。また、混乱状態にあったとはいえ、あなた自身の言葉なのだから、責任能力ある大人の言葉として扱うのが友人(あの時点ではわれわれはまだ友人でした)とも思います。

それともあなたは、好奇心でついついこのブログを訪れるのではなく、今はまったく平静に、単なる読み物として読んでいるのでしょうか。そうであれば、わたしへの思うところも5年前とは大きく違っていることと思います。そんなあなたの言葉に、正直興味はあります。しかし、5年前のような濃密なやり取りをしたいとはもう思いません。今のわたしの生活に、そのような余地はありません。わたしは5年ぶんの経験をし、5年ぶん歳を取りました。本当にいろいろなことがありました。それはあなたも同じで、わたしの知らないさまざまな経験を積み重ねていることでしょう。あなたが、わたしの知らないところで、あなた自身でいられる、誇りある生を生きていることを願います。 呉樹

 

 

繰り返すが、この文章はAを攻撃するために書いたのではない。そんな物好きはいないだろうが、Aの詮索・特定は控えてほしい。とりわけオフラインの親しい友人は、Aが誰なのか仮に察しがついてしまったとしても、ネットに書いたり噂を広めたりはしないでほしい。Aの心身が健やかであることを願っている。