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注意:自死した友人の話をします。
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2019年9月13日に死んだ友人について、ふとX(Twitter)で以下のような投稿をした。
東大受験を強いる教育虐待を受けて最終的に慶應に入った友達は28で自殺して、わたしは東大京大早慶よりも低い学歴だから彼のご両親に友人として認めてもらえずいまだに墓の場所も知らない。4年前の9月のことです。
— 呉樹直己🐢求職中 (@GJOshpink) 2023年9月11日
ややバズったのは、口さがないXの住民が大好きな「学歴」の話題として受け止められて消費されたからだ。わたしは図太いのでXに怒ることはあまりないのだが、このときばかりは憤った。わたしの切り取り方も迂闊だったかもしれないが、友人の思い出があまりにも粗雑に扱われたと感じた。だから、この文章を書く。ブログという、インターネットに接続されてはいるがXよりは静かな自分の庭で、ほかの誰のためでもなく、自分のためだけに、友人の話を改めて言葉にする。
かれ──中村とはXで出会い、2015年ごろから言葉を交わすようになった。当時わたしは地方在住で、毎日自殺を試みたり試みなかったり、胡乱で刹那的な日々を送っていた。中村もまた、個人輸入した向精神薬に依存することで生き延びていた。わたしが東京に行くたびに会って話をした。
わたしは地方からの大学進学という形で機能不全家庭を一時的にせよ逃れたが、中村は東京生まれゆえに逃れ得ていなかった。Xに書いた通り、不適切な受験教育を受け、10代のころには殴られながら4時間睡眠で勉学に励んだという。教育虐待という言葉はすでにあったが、今ほどは普及していなかったように思う。医学部を9浪させられた女性が母親を惨殺し、「モンスターを倒した」と投稿した事件が発覚したのは2018年6月で、司法記者との往復書簡がノンフィクションとして出版されたのは2022年12月のことである。
中村の親はとある新宗教の信者だったが、宗教2世という言葉も当時まだ普及していなかった。旧統一教会の信者の子が元首相を暗殺するのは2022年7月のことで、中村はそのころにはとっくに世を去っていた。
中村が生きているころに普及していなかった言葉といえば、ノンバイナリーもそうである。中村は性を巡る葛藤とともに生きており、生きやすい在り方をかれなりに模索し実行してもいたが、トランスジェンダーとXジェンダーには帰属意識がないと話していた。かれをなんと呼ぶのが「正しい」のか、今となってはわからないが、わたしの中で、中村はただ中村である。格好よく可愛らしく愛おしい生き物だった。男装もロリィタも病みかわメイクも似合った。なお、当時地雷系という言葉はなかった。中村は歌舞伎町の若者文化にも親しんでいたが、それは「歌舞伎町」や「トー横」が一種アイコン化するよりも前のことである。
https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594090265
教育や宗教に基づく虐待にせよ、性を巡る葛藤にせよ、メンタルヘルスと結びついたサブカルチャーにせよ、今となっては中村を思わせる言葉は、奇しくも中村の死後に急速に普及した。先述したように、わたしのような外野が「分類」するための言葉としては、それらは無意味である。なにに「分類」されようがされなかろうが、言葉が人口に膾炙する前から、中村はただ中村として生きていただけだろうから。しかし、苦しみにとりあえずの名前がつくことで、中村の孤独が僅かでも休まっていたかもしれないと考えると、少し悔しくもなる。中村は属性に居場所を見い出せるタイプではなかったので、その可能性はごく低いだろうけれど。
中村は博識で、社会問題にはかれ一流の見解を示した。中村から学んだものは多い。ただの友達ではなくて、わたしがものを考えるときに、中村ならどう考えるだろうと、頭の中で問いかけて手本にするような相手だった。尊敬する先輩だった。安定的な生家がなく、就労できず、薬に依存して日々を繋ぐ生き方をする先達として、中村の生き方を見守らせてもらうつもりでいた。
それなのに、あっけなく既遂した。
その日のうちに逝去の知らせが届いて、それっきりだった。
葬儀は新宗教の作法に則って盛大に行われたと聞く。
最初に会ったとき、別れ際に、「次会うときまで生きててくださいね」と言った。2回目に会ったときも言った。それで油断して、以降言わなくなった。最後に会ったとき──死の16日前──も、言わなかった。しかし次はなかった。
わたしは中村の死に顔を見ていない。16日前に、「また遊びましょうね」と言って、手を振って別れた姿が最後だ。逝去の知らせを受けてからしばらくは、まだどこかにいるかもしれないと思っていた。中村の存在がわたしの中に生々しく色濃いことが、苦しかったが救いでもあった。
しかし4年が過ぎた今、中村はやはり死んだのだと実感している。
たとえばCOVID-19とか、たとえば地雷系カルチャーとか、たとえば宗教2世とか、中村が興味を持ちそうなトピックはたくさんある。なのに、かれが見解を口にすることはない。かれはもう言葉を発さない。であればやはり、中村はもういないのだ。中村のいない世界で、わたしだけが言葉を捏ねている。
その後わたしはもう一人のかけがえのない盟友であるnai_inhexを失う。nai_inhexもまた、鋭敏な言葉の使い手だった。
言葉は人が書くのではなく、言葉を世界に顕現させる触媒として人があるのだと思っている。あらわされた言葉が結果としてその人の言葉と呼ばれるだけだ。
世界は中村を死なせ、nai_inhexを死なせたが、かれらを知る人間たち──たとえばわたし──はまだ残っている。触媒としてのわたしは、中村の言葉を、nai_inhexの言葉を受け継いでいるはずだ。わたしの言葉と混ざり合ったそれは、飛び石である。わたしの文章は、濁流を渡る人のためにある。濁流を渡るための足場の一つとして、踏んで踏んで踏み倒してもらうためにある。その中の誰かが、わたしの先に新しい飛び石を作るはずだ。
濁流を流されてしまった同胞がいる。辛うじて踏みとどまっている同胞もいる。
わたしもいつ流されてしまうかわからない。飛び石を置く作業は、流されるそのときまで続けるつもりだ。
中村が死んだ2019年当時の日記はこちら。
nai_inhexについてはこちらから。