先週末に、友だちと遊んだ。夜遅くまで話が盛り上がったので、解散する頃には、駅からわたしの家までのバスが終わってしまっていた。楽しい時間の余韻に浸りつつ夜道を歩いていると、ああ、去年死んでしまった友だちとはもう二度とこういう風に遊べないのだなと不意に実感して、数カ月ぶりに涙が溢れて止まらなくなった。
友人が亡くなってから、今日でちょうど半年。涙を流すことは、死の二カ月後くらいにはもうなくなっていた記憶がある。この半年、特別なことはなにもなかった。ただ、勉強して、働いて、文章を書き、本を読み、音楽を聴き、映画を観て、買い物に行き、友だちと遊び―― いつも通り、一日一日を逃げ延びていた。精神障害者にとっては、日々の一挙手一投足すら常に苦痛なのだから、何気ない日常を、何気なく受け流すことはできずに、薬や、人のぬくもりや、インターネットや、広義の酩酊物質たちに頼って、一日一日を生き繋いだ。そういう、もはや馴染み深いものとなった苦痛も込みで、通常運転の平凡な半年だった。平凡だが、夜空に星がひとつ増えたことを忘れかけるには十分な月日だった。これが自然なのだろう。そこにはべつに寂しさも後ろめたさもない。
それでも。希死念慮は寄せては返す波のようにわれわれを襲うが、波なのだから、引くときもあるのだ。そういうタイミングを手繰り寄せて、われわれは大事な人との交流を維持してきた。夜道でふと彼のことを思い出したのだって、昔からそんなもんだったじゃないか。べつに毎日顔突き合わせる親兄弟じゃないんだから、お互いに、毎日お互いのことを考えているはずもない。なにかのタイミングでふと思い出して、LINEしたり、遊びに誘ったり、そうやって緩やかに繋がり続けてきただけだが、それで十分楽しかったじゃないか。いま、わたしはあなたを思い出した。世の人びとが友人を思い出すのとまったく同じように、君のことを思い出した。最後に会ってから半年。遊びに誘うタイミングとしては不自然じゃない。わたしは思い出した!君を思い出した!なのに、なぜ会えない?
―― 死んだからだ。
死という事象の衒学的な意味に興味はない。ただ、もう会えないというシンプルな事実だけが、生者であるわたしにとってのリアルだ。
数カ月ぶりに彼のことを思い出したかのように書いたが、厳密には違う。
以前に書いたように、彼は表の顔として音楽活動をしており、それ専用のTwitterアカウントを持っていた。そのアカウントに紐づけられた匿名メッセージサービスは、アカウント主がいなくなった今も、メッセージ募集の定期ツイートを律儀に生成している。
だから、それがタイムラインに流れてくるたびに、思い出してはいた。
しかし、だからこそ忘れていたとも言えるのだ。自動ツイートが流れてくる限り、ひょっとして彼が蘇ってはいないか、新しい呟きが投稿されてはいないかと、アカウントを見に行かずに済むのだから。
数日ごとに新しい自動ツイートが流れてきて、わたしは彼を思い出していられる。同時に、忘れていられる。どちらでもさほど違いはない。思い出しても思い出すだけだし、忘れても忘れるだけで、なんら次の行動には繋がらない。追憶も、忘却も、ただ追憶として、ただ忘却として、わたしの頭の中だけで弾けて消える。二度と会えない。