敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

nai_inhexについて

 

 

 

まず、今すぐに以下の記事を読んでください。

 

nai-inhex.hatenablog.com

 

これはわたしが実家から逃げ出し学位取得を目指した7年間の記録です。あらかじめ断っておきますが、格差の是正や高等教育の漸進的無償化といった崇高な目的のために書かれた文章ではありません。わたしの生活史に資料的価値があると考えるほど思い上がってもいません。平凡な18歳が親の援助なしで自立した場合のありふれた経過について書かれていると思っています。

 

読みましたか? 今日は、これを書いた人間の話をしたい。これを書き記した人物、はてなid:nai_inhexは、2021年12月2日に27歳で亡くなりました。自死です。皆さんにお伝えしたいのはまずこのことです。nai_inhexは死にました。自殺しました。この、苛烈な生きざまを苛烈な文章で表した、魂の記録を記した人物はもうこの世にいません。どうか嘆いていただきたい。惜しんでいただきたい。そして慙愧していただきたい。彼ほど真摯に生きようとしていた人間を殺してしまったことに。お伝えしたい二つ目のことは、彼を殺したのはこの社会であり、つまりわれわれであるということです。

 

申し遅れましたがわたしはnai_inhexの友人だった者です。彼からは、友人、親友、家族、きょうだい、心中相手、魂の妹とも言われ、共依存的に繋がりあった時期も意識的に距離を置いた時期もありつつ、数年来途切れることなく濃い付き合いを続けていました。彼のことは過去記事に書いたこともあります。そんな度を越した親友としての立場に甘えて図々しくも言ってしまいますが、彼は殺されたのです。彼自身は、一種のプライドから、あくまで自ら選択した死であると言いたいかもしれませんが、わたしはそうは思いません。彼の死は、続くはずだった生の不本意な途絶であり、それ以上でもそれ以下でもありません。不完全な、不格好な、途絶であり、敗北です。こう断言することは彼を貶めることになってしまうかもしれません。しかし、自己選択の結果の死なのだと糊塗することのほうがはるかに侮辱であるとわたしは考えます。彼が闘っていた、社会という名の強大な敵の姿を矮小化してはならないのです。彼は文字通り命を懸けて闘っていたのですから、その闘いのさまを正確に見据えるのが礼儀というものでしょう。nai_inhexは27年の長きに渡って闘い続けて、敗北し、死に追いやられたのです。わたしは、わたしたちは、彼を死なせた責と向き合わねばなりません。

 

わが国は、社会が想定する「あるべき姿」を外れた人間にどこまでも冷淡です。あるべき姿とは例えば、両親が健在で、子どもを養育する意志があり、教育費その他費用を支出するさまです。nai_inhexの両親はそのようではありませんでした。彼は、眠るのすら布団ではなく玄関マットの上でした。冬は犬を抱いて暖を取っていました。家の庭には母親が見事な薔薇園をこしらえていましたが、丹精込めて薔薇を世話するのと同じ手で、彼は夜ごと昼ごと殴られ続けました。庭をこしらえ、犬を飼い、妹を養育するお金はあったのに、彼に最低限の衣食を与えるお金すら、両親は支出しようとはしなかった。「あるべき姿」を外れてしまった彼が自立して教育を得るために、どのような艱難辛苦を重ねたのかは、冒頭に引用した記事で一部明かされている通りです(なおあの記事はだいぶ簡素な記述になっています。友人の一人として、本当はもっと壮絶な苦労があったことを聞き及んでいますが、ここでは触れないでおきます)。被虐待児がこれほどの苦労を強いられる社会を温存してきたのは、ほかならぬわたしたちです。

 

さて、これまでお伝えしてきたことを踏まえて、皆さんにお願いが二つあります。

一つには、nai_inhexのことを憶えていていただきたいのです。彼は大変魅力的な人物でしたが、自罰感情から交遊を自分に許せない時期が長かったせいで、顔が広い人間ではなかった。今となっては、真実の彼の姿を(少しでも)知っているのは、わたしを含むごく少数の友人と、インターネット上で彼のことを気にかけていた少数の知人と、彼の最愛の恋人しかいないのです。両親はもちろんあてになりません。どうか皆さんに、彼のことを忘れないでいてほしい。nai_inhexという、これほど真摯に、烈しく、血の滲むような努力を重ねて生きようとしていた人間がいたことを。

もう一つは、抵抗のお願いです。

わたしたちは彼を死なせた社会の一構成員として生きています。その社会に、少しでも抵抗をしてもらいたいのです。わたしたちは彼を殺した機構の一部ですが、一部であるがゆえに、それを変革する可能性もまた、わたしたちの手の内にあるのです。わたしたちは、彼が命を賭けて行ってきた闘いを引き継ぐことができます。どうか闘ってください。抵抗してください。一人ひとりのできる範囲でかまいません。それぞれのやり方でかまいません。人によっては選挙に行くことが抵抗の手段でしょう。署名活動に加わるのもいいかもしれません。穏やかな業務用slackを政治の話題でささやかに緊張させるのも立派な抵抗です。

しかし最も単純な手段は、生きることだとわたしは考えます。この社会への抵抗の意志を抱いて生きることそのものが、根源的な抵抗になり得ます。社会は、「あるべき姿」を外れた幾多の先人たちを死なせ、今またnai_inhexを死なせ、これからも残念ながらたくさんの人たちを死なせるでしょう。次に死に追いやられるのはわたしたちかもしれない。そんな冷酷きわまりない社会で、死なず、生き続けることこそが、抵抗の表明になり得るとわたしは思います。

 

生きてください。そしてできれば、nai_inhexのことを憶えていてください。

 

 

2021年12月9日 告別式の帰りの車内から

 

 

夕暮れの空。

 

 

【追記】nai_inhexのことを、わたしは過去にいくつかのブログ記事に書いている。過去記事では、彼の名は「L」という仮名に設定し、年齢や出身地などいくつかの情報にフェイクを入れていた。一般論としてプライバシーは保護されるべきだし、まして彼は親と絶縁しているのだから、万が一にもわたしのブログから彼の居場所が親サイドにばれるようなことがあったら取り返しがつかないからだ。しかし今となっては彼は亡くなってしまったので、仮名をnai_inhexという(ネット上の)本名に戻し、個人情報も本来のものに書き換えた。彼の姿をできるだけ正確に書き残すことがせめてもの贐になると信じている。わたし個人からの一方的な記述ではあるが、彼の人柄の一端を伝える文章として、ここに残しておく。

 

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