敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

アナーカフェミニストと暮らす(8月11日~8月14日)

 

 

 

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前回の続きです。高島鈴との同居日記、やっていきます。

 

8月11日、木曜日。8月10日の深夜から渋谷のクラブイベントに行っていた高島鈴は、疲れて一日中寝ていた。起きたら即、イベントの感想をエゴサしまくっていた。

高島鈴がイベントで特に力を入れていたのが、手書きの「アジビラ」の配布である。わたしはなんと、原本をもらう栄誉に預かった。以下にその全文を載せる。

 

高島鈴の手書きのアジビラ。

 

力なく倒れる、動けずに夜を迎える、憎しみの中で天井を見つめる。殺してやりたいと思う、誰を? 何を? わからない、どこに向けていいのか、何もわからない。

お前がそのような状況にいるのであれば、それはすでに革命の開始地点に鎮座したことを意味する。動けない身体、何もできないと思い込んでいるその身体こそ、静かに革命に向けて準備されている臨戦態勢の主体であると、(私/俺/自分/わし/?)は宣言する。

 

行動偏重主義の古い左派思想は終焉を迎えるべきである。

左翼は動けぬ身体が生き延びることそのものの革命性を認めるべきである。

苦しみの中でのたうち回る生は、不安の中で揺蕩う生は、すなわちわれらの生は、常に革命性を帯びる。

 

だが忘れてはならない、苦しんでいるのは己だけではない。考えなくてはいけない、己が他者に対して引き受けるべき特権的アイデンティティーを自覚し、それを果たす覚悟を決めなければならない。たとえばトランスジェンダーに対するシスジェンダーの責任、在日コリアンに対する〈日本人〉の責任、(社会モデルにおける)障害者に対する非障害者の責任。声の大きな者の持つ力は声の小さな者のために使われなければならない、そして他者に対する責任を引き受けることを通じて己をずたずたにし、もう一度新しく他者に出会い直すための身体へと自分を組み替えるのだ。
その覚悟がいる。

 

今虐げられている者たちを思え。権力を疑え。天皇なる哀れな人間が中央に鎮座し、同性婚は実現しておらず(婚姻制度は維持されるべきではないが過渡期において同性婚は必要である)、「幸せそうな女性」を狙った加害が起き、ウトロには火が放たれ、トランスジェンダーに対する差別が大手を振って罷り通り、優生思想は姿を変えてあちこちに浸透している。このような状況を何が、何が許しているのか? それがわからないということは、社会すべてがひとつの組み替えるべき対象であるということだ。社会、そしてそれを構成する全ての者が、それぞれの形で己をずたずたにし、もう一度出会い直すための準備をする必要がある。

 

今己の中に息づいているものを探る。

それは心臓をまさぐるように苦しいであろう。

だがその作業を終えた先でなければ、きっと見られない景色がある。

(私/俺/自分/わし/?)はそのように断言する。

 

カッコよくないですか? 文句なくカッコいい。グッとくる。エモーショナルである。その美点こそが、わたしが高島鈴の書くものを一種警戒している所以でもある。布団の中で息づく生それ自体が革命の端緒であることに反論の余地はない。真理である。しかしその真理が、ハッシュタグアクティビズムが隆盛している本邦のTwitterフェミニズムシーンでどのように受容されてしまうかを思えば、わたしは素直に肯首することができない。この肯けなさは、高島鈴の初の単著『布団の中で蜂起せよ アナーカ・フェミニズムのための断章』への肯けなさに直結するであろう。なぜ推測なのかというと、わたしは本をまだ読んでいないからである。サイン本をくれるというので、買わずに待っていたら、高島鈴が抑鬱のために永遠に郵便局に行けないという事態に陥っており、発売後1カ月近く経つのにまだ手元にないのである。発売日当日、なんなら数日前に受け取って、「ご恵贈いただきました☆」とかって有名人ぶってツイ~トする気まんまんだったのに! 早く読みたいので、早く送れください(とはいえ無理せず)。布団の中から蜂起することはできるけど郵便局の窓口に行くことはできない、これもまた現実。

 

夜は近くのピザ屋まで歩いて行って、ピザをテイクアウト。ナポリの窯という店で、チェーン店らしいが、わたしの居住地域には出店していないらしく初耳でした。食べてみると、ドミノピザやピザハットやピザーラよりもずっと美味しいではないか! ぜひうちの近所にも欲しい。とはいえ、近所にできたらできたで、いざ食べてみると高島鈴宅で食べたほどには美味しくなく、友達とわいわい騒ぎながら食べるからこそ美味しかったのだと気づいてしまうかもしれないが。

 

ピザ。

 

 

 

8月12日、金曜日。この前後で高島鈴は、クラブイベントのために塗ったネイル(わたしがあげたやつ)を落としていた。除光液とコットンも、わたしのおすすめを参考にしてもらいながらバラエティショップで二人で買ったものである。わたしは美容のおたくなので、おたくだからこそ、興奮のあまり要らぬクソバイスをせぬように普段は自重しているのだが、アドバイスを求められたらもちろん喜んで答える。win-win。

 

 

 

夜はサイゼリヤで豪遊。二人だと小さなおかずをたくさん頼んでシェアして楽しむことができていいですね。

 

サイゼリヤ。

 

昨日お風呂に入らないでいて、今日もお風呂に入らずゴロゴロしていたら、高島鈴にせっつかれたので入浴。ちなみに高島鈴は、どんなに抑鬱状態でも湯船に湯を張ることはできるらしい。わたしはそれはできないのですごいと思う。

 

 

 

 

8月13日、土曜日。二人でカラオケに行く。COVID-19が流行りはじめてから足が遠のいていたので、久しぶりのカラオケである。歌が下手になっていて自分でびっくりする。元々上手いほうではなかったけれど、なけなしの声量がさらに減っていてどうにもならなかった。歌うということをしなさすぎて筋肉が衰えたのだろうか。それとも、テストステロン注射(男性ホルモン治療)の効果で声帯が徐々に変わっていて、声が出にくくなっているのかもしれない。最後までグダグダの歌唱であった。優しい高島鈴は歌下手だね~とは言わなかったが、上手いね~とも言わず、わたしの歌について一切触れないままであった。

 

 

 

夜、唐突にわたしについてのブログを書いてもらう。嬉しい。それがこちら。

 

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8月14日、日曜日。2日ぶり2回目のピザパを決行する。

 

ピザ。

 

このころから高島鈴はPMS期間に入り、わたしへのウザ絡み(便宜上ウザ絡みと書くがべつにウザくはなかった)が増える。わたしはPMSがない恵まれた体質なので、生のPMSを初めから終わりまで観察するのは初めての経験であり、興味深かった(今はテストステロン注射でそもそも月経が止まっているが、月経があったころからPMSはなかった)。物事への感受性が激変する体験を月一で経験していると、強固な自己同一性が存在するなどという幻想を早くから幻想と看破できそうだなという感想(わたしは抗精神病薬を飲むまでわからなかった)。

 

 

 

以上、8月14日までの同居日記でした。

まだ続きます。