敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

アナーカフェミニストと暮らす

 

 

 

7月末から、友人と暮らしている。

友人がルームシェアを解消したので、空いた部屋に一カ月限定で転がり込むことになったのだ。

 

友人は高島鈴(たかしまりん)という。

 

twitter.com

 

高島鈴とわたしは、インターネット上で編集者とライターとして出会った。わたしのブログを目に留めた高島鈴が、原稿の依頼をくれたのが縁の始まりである。それから二人でお茶したり読書会をしたりして交流を深め、今回の同居に至った。

高島鈴はアナーカフェミニストを名乗り、研究者・批評家・エッセイストとして活動している。文藝・群像・ユリイカ・現代思想など錚々たる媒体に寄稿しているほか、ウェブ上でも幅広く活躍し、共著もある。秋には待望の単著が出る予定だ。

そんな高島鈴を相手に、わたしはこの8月、リアルタイムで他者を描く営みを試してみたいと思う。

そもそも、他者を書くことは暴力である。と思う。だからわたしは、せめてもの線引きとして、同居人の「先生」をブログに書くときは、文中の出来事からある程度の時間を置いてから世に出すように心がけていた。嘘は書かないが、まったくのほんとうのことも書かず、個人情報保護目的ではないフェイクを入れていた。それらの配慮が現実的にどこまで良きほうに作用したのかは定かではないが、少なくとも、わたしの罪悪感を和らげる役目は果たしてくれた。

先生も物書きだが、商業小説とブログでは土俵が違う。

高島鈴はそうではない。高島鈴は、ブログ的な文章(つまりエッセイ)も書く人間である。しかも、エッセイで単著を出すような、わたしよりずっと力のある書き手である。

 

書くことは暴力だが、高島鈴は必要であればわたしよりもっと強く殴打し、わたしよりもっと深く刺すことができるだろう。わたしが筆を誤って高島鈴を傷つけても、高島鈴は鮮やかに反撃をしてみせるだろう。

 

そんな人間を相手になら、ある程度甘えても許されるのではないかと思う。

ということで、しばらくの間、高島鈴との暮らしをブログに書いていくことにする。

 

 

 

ここ数日の高島鈴

・左翼! 左翼!と叫びながら左方向にゆらゆら揺れるダンスを踊る高島鈴。

・「ミロパーティーしよう」と言いながら夜中にミロを作る高島鈴。

・「フリー素材だからなにを書いてもいいよ!」と笑う高島鈴。

・新しいワンピースを買おうか迷う、奨学金という名の借金が400万円ある高島鈴。

・わたしと楽しくおしゃべりしている最中にも、お菓子をつまむように抗不安薬を飲む、わたしにはわからない不安を抱えている、鬱病の高島鈴。

 

高島鈴の本棚。