敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

猫とおしゃべりする。小さいのと、大きいのと。

 

 

 

 

 

机に向かっていると、猫が隣で「なにをしているのですか? なぜねこをお腹に乗せてくれないのですか? ねこと一緒にお布団に戻りましょうよ」と話しかけてくる。かまわないでいるとじきに部屋を出てしまうのだが、すぐ出ていくのではなく、ちらちらとこちらを見て鳴きながら、「ねこ行っちゃいますよ? ほんとですよ? いいんですか?」みたいにじりじりと扉のほうへ近づいていくのがいじらしい。あるいは部屋の外から、前脚と鼻先で扉を開けて中をちらっと覗いて、わたしが机に向かっているのを見ると、一声「ベッドでねこをお腹に乗せてくれないのですか? じゃあいいです」と鳴いて出て行くこともある。

小さいほうの猫は、実によくわたしに話しかけてくれる。とはいえ上記のように内容がわかることのほうが稀で、ほとんどの場合よくわからない。それでも猫は、種族の違うわたしを一個の話し相手として認め、毎日毎日おしゃべりしてくれる。

 

ひざの上のキジ白猫。

 

 

 

反対に、あまり話しかけてこないわりに気分がちゃんと伝わってくるのが、大きいほうの猫だ。

大きいほうの猫は寡黙である。一日にわたしと交わす言葉は、猫が一日にTwitterで呟く文字数の10分の1にも満たないであろう。その代わりに、大きい猫は無言の気配を発する。いまの気分―― 疲労困憊、不安、焦燥、罪悪感、希死念慮など―― を、顔と身体で実に雄弁に語る。ため息ひとつ、眉間のしわひとつとってもそれぞれ違う。人は誰に見せるでもなくてもこんなにも表情豊かなのかと思うと感動的ですらある。わたしは一時期、朝起きてくる大きい猫の足音と「おはよう」の声色だけで、猫の体調―― 出勤できるか欠勤することになるか―― までわかるようになっていた。もちろん本人には言わないようにしていたが、的中率は8割には達していたと思う(その後猫が薬を変えたことで体調の波が小さくなり、やがて足音の違いも少なくなり、今ではわからなくなっている)。

 

とはいえ、すべてはわたしの推測なので、合っているかはわからない。また、的中させる必要があるわけでもない。大きい猫とわたしは種族が同じだが、独立した意志を持った別個の人間として隔たっている。

 

キジ白猫のしっぽ。

 

夕食後、大きい猫とわたしがソファに座って会話をしていると、よく小さい猫が乱入してくる。二人の間に割り込んだりわたしの膝に乗ったりみゃーみゃー鳴いたりして、存在をアピールしてくる。ワンルームでもあるまいに、一部屋の一角に住民全員がみっちみちになる格好だ。こんなに近くにいても、相変わらず小さい猫の話している内容はわからないし、大きい猫に関する推測はいつまでも推測のままだ。なにもわからん。今日も三匹で、なにもわからないまま、みっちみちになって暮らしている。

 

 

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