敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

深夜、花蜜を吸いにやってくる、わたしのヴァンパイア

 

 

 

逆光に照らされている夜の樹木。

 

 

秋の夜長、十五夜の前日、満月の前々日に、創作実話をしたためる。

 
そう、これはあくまでフィクションというテイで読んでいただきたいんですけど、わたしが10代のころ、よくわたしの家に遊びに来ていた人がいたんですね。恋人になりたいというわたしの申し出は早々に断られてしまいましたが、それでもわたしたちは仲のよい友人として交流を持ち続けていました。
 
彼女がわたしの家を訪れるのはいつも、早くても夜21時を回ったころでした。日付をまたぐことも何度かあったでしょうか。彼女は隣県に住んでいて、仕事の都合で月数回だけ、白のステップワゴンをはるばる転がして、わたしが住んでいる都道府県を訪れていたのです。仕事を済ませたあと、彼女が疲れすぎていなければ、わたしの部屋に寄ってくれていました。そして、二時間ほどおしゃべりをして、またステップワゴンを運転して帰っていくのです。
 
『こんばんは。起きていますか? 今仕事が終わりました。寄らせていただいてもかまいませんか』
そんなLINEが来たら、彼女が来る合図です。連絡は決まって当日の夜に来ます。彼女は精神に疾患を持っており、体調がかなり不安定だった。事前に会う約束をしても果たせなくて、お互いに気疲れしてしまうのを恐れていたのかもしれません。
 
わたしはLINEが来たら、素知らぬ顔で『起きてますよ! 待ってます』と返していましたが、実はわたしはインターネットの海から彼女の仕事用のFacebookアカウントを特定しており、彼女がわたしの住んでいる都道府県に来る日付は事前に予想していました。仕事が早めに終われば、彼女はやってくる。忙しければ、そのまま帰ってしまう。Facebookの投稿からはそこまでは読み取れないので、彼女が来るかもしれない日の夜は、気もそぞろでした。部屋を掃除して、シャワーを浴びて、22時、23時、24時、じりじりと待ちます。25時、26時。さすがに深夜2時以降に連絡が来たことはなく、3時を回ったら、わたしは諦めて眠りにつきます。
連絡が来たら、わたしは跳ね起きて、身支度を整えます。LINEが来てから小一時間ほどで彼女はチャイムを鳴らす。待ち構えていたことを悟られないように、適度に気の抜けた服装をして、でも適度に髪や顔を整えて。部屋がしっかり掃除されていることを確かめて、玄関口もトイレもきれいであることを確認して。胸を高鳴らせながら、わたしは彼女を出迎えるのです。
 
卓上には、花を置いていました。彼女が来る可能性がある日は、必ず活けておくようにしていたのです。
彼女は毎回、花の存在に気づいていました。博覧強記で、植物にも詳しい人で、毎回一目見ただけで名前を言い当てていた。ダリア。ガーベラ。トルコキキョウ。アンスリウム。グロリオサ。アルストロメリア。きれいですね、いつも花がありますよね、いつも飾っているんですか。そう聞かれて、わたしは答えました。はい、なるべく絶やさないようにしてます。お金はあんまりないけれど、花くらいはいつも飾っておきたいから。心だけは潤っていたいから。
 
―― 真っ赤な嘘でした。
当時のわたしは、花を飾る習慣なんか持っていなかった。そんな精神的余裕はありませんでした。そそくさと花屋に走っていたのは、彼女が来るかもしれない日だけだった。彼女が帰ってしまえば、残された花は世話をされることもなく、ただ萎れて、濁った水の中で立ち枯れていた。わたしはそれを無造作に捨てる。彼女がまた来るかもしれない日になったら、茶色く汚れた花瓶を洗って、新しい花を買って挿す。さも習慣のような顔をして部屋に置く。その繰り返しでした。
 
少しでも彼女の目を楽しませ、あわよくば癒したかったのです。こどもの稚拙なたくらみです。わたしの家にいるときくらいは、心穏やかでいてほしかった。わたしの部屋で、あるいは深夜営業のカフェに足を伸ばした先で、彼女がぽつりぽつりと語ってくれた悩みは、お金のこと、治らない病気のこと、うまくいかない仕事のこと。ありとあらゆるハラスメント、相続を巡るいざこざ、老親や親族との関係……どれも、年齢相応に複雑で、20も歳下の小娘が出る幕はひとつもなかったのです。いつも話を聞いてくれてありがとうね、と彼女は微笑っていましたが、わたしはもっと彼女の役に立ちたかった。他者の役に立ちたい、救いたい、なんていうおろかな色気を、当時のわたしはまだ持っていたんですね。
 
でも、現実的にわたしにできることはなにもなかった。無力感と、せめて彼女の交友関係の中で少しでも印象に残る人間でありたいという欲目が、わたしに花を贖わせたのです。
 
彼女は気づいていたでしょうか。わたしが、花を飾る習慣なんか持っていなかったことに。彼女の歓心を買いたい一心で嘘をついていたことに。
当時のわたしの生活ぶりからすると、勘のいい人なら気づいたかもしれません。わたしは、今も褒められたメンタルをしているわけではありませんが、当時は輪をかけてひどく、定期的に花を買う余裕がある人間にはとても見えなかったと思います。とはいえ彼女は、とても繊細な人である反面、あまり察しのいいタイプではありませんでしたから、おそらく気づいてはいないでしょう。そうであることを願っています。
 

 

 
こうして振り返ってみると、ほんとうに、夜にしか会ったことがないので笑ってしまいます(初対面も、共通の知人を交えた場で、夕食をともにしながらでした)。昼の光の下では、ついぞ会わなかった。
 
一度だけ、朝日の下で見たことならあります。
いつになく話が弾んで、彼女はまだ話し足りなそうでしたが見るからに疲れはじめていて、もう今日は泊まってちょっと仮眠してから帰ったらどうですか、とわたしから提案しました。布団を二つ敷いて、天井を見ながらまたしゃべって、どちらからともなく抱きあって、結局仮眠をしそびれて、朝6時ごろ、彼女は帰っていきました。夏のことで、6時の太陽はすでに強烈でした。玄関を開けると、毒々しいほど黄色い光が、彼女の疲れた顔を容赦なく刺した。それはいつも以上に血の気が失せて見えて、儚くて、ああこの人をこんなはげしい光の下に出してはいけないと思ったのを覚えています。やさしい月明かりこそが、彼女には相応しい。春夏は黒のカットソー、秋は黒のニット、冬は黒の別珍のコートで現れる、ヴァンパイアみたいな彼女には。
 
彼女が冗談めかして「深夜の密会」と呼んだわたしたちの関係は、彼女の仕事の都合で終わりました。仕事の内容が変わって、わたしが住んでいる都道府県に来る必要がなくなったのです。わたしたちは、深夜のお茶友だちから、ごくまれにLINEするだけの関係になりました。彼女は筆不精なので、ほんとうにたまに。
 
 
その後、わたしは少しだけ大人になり、彼女とは関係のないところで改めて花に興味を持ち、生花を飾る習慣を本当に持つに至りました(花を楽しむ方法については、過去記事に書いたとおりです)。

 

www.infernalbunny.com

 

かつての嘘が、真実になった形です。
かつての花は、彼女の目に触れさせるためだけのオブジェでしたが、その後、本当にわたしの心を潤す存在になったのです。
 
しかしその習慣も、引っ越しによる環境の変化に伴って、いまはありません(その経緯は下の記事に)。
 
 
それだけの年月が経ったのです。
 
わたしにいろいろなことがあったように、彼女にもいろいろなことがあったはずです。
 
ほんとうに、年月が経ってしまったのです。
 
最後に会ったとき―― わたしが今の家に引っ越す半月ほど前のことです。彼女は、一年半ぶりに、仕事のついでではなく、わざわざ県を跨いで来てくれました――、再会を約束しました。彼女は彼女の夢を、わたしはわたしの夢を語って、それが叶った暁にと。
いつになるか、どこになるか、まったくわからない再会を。
 
年月日はわかりませんが、時間帯ならわかる。
それはきっと夜で、深夜で、彼女は(まだ壊れていなければ)あのおんぼろステップワゴンを転がして、わたしのもとにやってくる。月の光にやわらかく照らされて、わたしに会いにやってくるのです。
そんな彼女に、わたしは花を差し出したい。色は白が似合いそうだ。薔薇? カサブランカ? 種類は決めていないけれど、とびきりきれいな花を山ほど渡したい。歓心を買うために急ごしらえで挿した花ではなく、ほんとうにわたしの心を揺さぶった花を、わたしのヴァンパイアに捧げたい。以上、そんな創作実話(仮)。秋の夜長、十五夜の前日、満月の前々日に解き放つ。