郵便受けの中に、はさみを入れていた。
今は、入れていない。
共同生活を始めて、一日一回ポストを確認しに行くのもわたしの役目になった(先生の出勤日は、先生が帰りがけにチェックすることもある)。先生宛とわたし宛に仕分ける作業が要るようになって、ポストから出した郵便物を即座に開封する習慣がなくなったからだ。今は、自室に戻ってからゆっくり開けている。
上記の記事を書いてから一年半、われわれを取り巻く環境はずいぶん様変わりしてしまった。世界が可変的・流動的なものであるという真理は、かつてないほどの切迫感でもって広く認識されているように思う。今日あったものが明日もそのままとは限らない。職場は、学校は。将来設計は。
手紙のスピード感だけが変わらない。
封筒の中には、相変わらず過去しかない。今はもう豹変しているかもしれない景色の、真新しいお墓しか。
過去の言葉を授受することで、大いなる時の流れを狂わせること。あなたとわたしの二人っきりで、変わりゆく世界に反逆すること。世界にバグを作ること。手紙の本質はいまも健在だ。
ぜんぶ、あまりにも夢見がちな解釈で、幻想だけれど。
幻想だけれど。夢物語だけれど。必要でも火急でもないものの尊さを、わたしたちはもう知っている。