敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

冬の生きやすさの話と、情報量が少ない食事としての鍋物の話

 

冬という季節は、鬱にも喩えられるくらい厳しくつらいし、凍える寒さは直接的な意味で人を殺し得る。しかし、それよりももう少し穏やかなレベルの話をするならば、わたしは夏のほうが生きていて疲れる。夏の屋外は、情報量が多いのだ。

夏の屋外はどこもかしこもきれいだけれど、カラフルすぎる。あまりにも多彩な音、匂い、情報でわたしを打ちのめす。頬を撫でる風ひとつにすら、初夏には初夏の、盛夏には盛夏の、晩夏には晩夏の、それぞれ異なる気配がある。

 

冬の屋外は、ただ冷たい。まっしろな雪はわたしを侵害しない。ただたいらな白色として、わたしが寒がるに任せてくれるやさしさがある。冬とて、夏と同じように日々うつろってはいるのだけれど、圧倒的な寒気がすべてを支配するので、夏ほどはその変化を感知せずに済んでいる。

冬はさむい。均一にさむい。朝も昼も夜もたださむい。その均一さは、救いでもある。変わらないことはよいことだ。継続するものにしか、安寧は生じない。

 

 

ということで、あけましておめでとうございます。2019年も、なんとかブログを “継続” できました。

皆さまとわたしの2020年が、よりよいものになりますように。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

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感覚が均一なことは、感覚過敏傾向の発達障害者が快適に暮らすためには大事な要素だと思っています。視覚でも、聴覚でも、触覚でも、味覚でも、嗅覚でも、均一さは安心感につながる。発達障害者はメイクが嫌いな人が多かったり、お風呂に入らないと体調を崩しやすかったりするのも、そこらへんが関係してるんじゃないだろうか。メイクは顔の皮膚にものを塗るから顔だけに違和感が生じて不快だし、お風呂は全身をお湯にひたすから感覚が統一されて気分がいい。

以前の記事で、脳内の情報渋滞を緩和する工夫について軽く触れたが、脳内に入ってくる「情報」とは、文字で表すことができるものだけではない。それこそ、「初夏から盛夏への移り変わり」とか、些細な感覚刺激も一種の情報である。感覚過敏の人間にとって、外界は情報の洪水状態なのです。疲弊せずにはいられない。

 

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わたしはここ1年で、味覚も均一さを意識すると疲労感が減ることに気づいたので、真夏でも鍋物をよく食べていた。この冬ももちろん食べる。

実は昔から、一汁三菜的なオーソドックスな食事が苦痛だった。美味しさは感じられるのに、主食と主菜があって副菜があって……というような品数の多い食事をすると、異様な疲労感に襲われるのだ。だが、ひとつの器でごった煮する鍋物や、一皿で一食が完結するパスタだと疲れないことに気づき、味覚から入ってくる情報量が少ない食事を心がけるようにすると、かなり楽になりました。思えば以前から、自炊する体力がなくてコンビニで食料を買うときも、複数種類のおかずが入っているお弁当ではなく、焼きそばやグラタンなど一種類でお腹を満たす系の一品料理を無意識に選んでいましたね。

食事がおっくうな発達障害者は多いことと思う。その直接的な原因は、自炊が面倒だからかもしれない。しかし、そもそも味覚刺激の多さに疲弊させられているというセンもあるんじゃないでしょうか。心当たりのある方は、味覚情報のバリエーションが少ない、一皿で完結するメニューを試してみてください(栄養バランスには気をつけて。サプリに適切に頼ろう)。わたしは、雑炊をローテーションすることで食事の苦痛がだいぶ軽減されたし、自炊するモチベーションも上がって食費が減りました。単純に、一汁三菜よりは一品料理のほうが作るのが楽だとかそういう話でもなく(外食であっても一汁三菜スタイルは苦痛だったのだから)、もっと根本的な部分で、食事が楽になりました。

 

鍋の基本的な作り方はこんな感じ。非常にお粗末です。食事ではなくて餌かもしれん。でも、とりあえず食えりゃええんよ、食えりゃ。美味いもんだけぶち込んで炊きゃあ美味いスープができるんじゃ(by 千鳥・大悟)

 

 

この通りに作れば、とりあえずは楽に食べられる餌ができます(記事の前半のほうに載せた豪華な魚介鍋の写真は、当然自炊じゃないよ。お店で食べたやつだよ)。

自炊自体の工夫についても、いずれ記事に書きたいと思います。

 

冒頭で書いたように、冬の寒さは一種救いでもあるけれど、それでも寒いものは寒い。寒いのはつらい。鍋でも食べながら、乗り切っていきましょう。それでは各自、健闘を祈る。解散!