前々回のミニバッグの中身紹介記事をはじめとする過去記事で紹介してきた、わたしがたまにバッグにつけている布ステッカーは、アーティストのsuper-KIKI(スーパーキキ)さんにいただいたものである。
Profile
super-KIKI @super.kiki
2011年より路上デモに参加しながら社会に対する疑問やメッセージを、ぬいぐるみでできた横断幕やネオンサイン風ステンシルのプラカード、衣服などをDIYで制作し表現する。フェミニストゲーマーのミーティングや、政治的メッセージを刷るシルクスクリーンワークショップなども展開。自身のケアと性表現の探求からinstagramでセルフィーの投稿もする。バーンアウトの経験から、日常的にいかに無理しない形で持続的に声をあげられるかを模索し、身に付けられる政治的アイテムを日々制作中。
出典:「自分自身の身体に、抵抗の落書きを」『SUPER-KIKI SHOP』開設に込めた変革の希望super-KIKI インタビューneol.jp | neol.jp
そのsuper-KIKIさんの初のポップアップイベントが開催されるというので、2024年6月8日、友人を誘って訪れた。
天気は湿度の低い快晴。場所は下北沢のイベントスペース。KIKIさんによるメッセージがプリントされたポリティカルアパレルはわたしが訪れた時点で完売の品が多かった。隣接するリトルプレスのフリマスペースも想像以上の人出で、一時は身動きにも苦労するほどだった。ブースの数は多くはないのであまり下調べもせず臨んだのだが、見渡すと友人知人顔見知りが関わっている本が並んでおり、来場者にも友人知人顔見知りが複数いて立ち話をすることになった。著書を買ったことがある初対面の作家さんと遭遇して、先方から「ブログ読んでます!」と声をかけていただき、見知らぬ出版業界の方と名刺交換するような流れも発生した。ただのものを売るポップアップイベントではなく、KIKIさんの狙い通り、反差別を志向する人々の緩やかな繋がりを後押しするコミュニティスペースとしても機能しているのが窺われた。
その場所にわたしは友人を伴って出かけて行ってステッカーやZINEを買い、そのあとは古着屋巡りをしてなにやかにや買い込み(下北沢は古着の街として有名である)、夜にはべつの友人と合流し、東京の便利で愉快な部分をRTAするような濃い一日を過ごした。
前々回のバッグの中身紹介では、チコラッテ(Chicolatte)の巾着ポーチを紹介した。チコラッテはヴィンテージスカーフをリメイクした雑貨のブランドで、福祉作業所(就労継続支援B型事業所)と協業した生産体制を特徴とする。就労継続支援B型事業所は障害者に軽作業を提供し社会参画の場とする福祉施設である。利用者には身体障害者や知的障害者、そしてわたしのような精神障害者もいる。
チコラッテのパンフレットより
巾着ポーチはSサイズが3080円、Mサイズ3960円。ヴィンテージスカーフを用いた一点物商品であるから決して暴利ではないが、手のひらに乗るサイズの巾着としては高いほうであろう。チコラッテのほかの商品は、がま口ポーチが4950円、ナップサックが13200円。買えないことはないかもしれないが地味に効いてくる値段である。
チコラッテは実店舗を持たないが、頻繁にポップアップを開催している。一番多い開催地はもちろん東京である。
つまりはだ、よりよい消費なるものを目指すと、「高い」か「東京にしかない」か「高い上に東京にしかない」のどれかに当てはまるものを延々と買い続けることになるのだ。
さらに、よりよい生活(消費活動含む)の実践を共有することを旨としているわたしのこのブログにおいては、「高い」か「東京にしかない」か「高い上に東京にしかない」のどれかに当てはまるものを延々と紹介し続けることになるのだ。
果たしてこれらは、本当に「よいこと」なのか?
これらとは、高いこと、東京にしかないこと、高い上に東京にしかないこと、高い上に東京にしかないものを延々と紹介し続けること、高い上に東京にしかないものを延々と紹介し続けるブログを東京の人(とりわけ「業界の人」)に称賛されること、そのすべてである。
「高い」に関しては合理的な説明は可能だ。よりよい、つまりより搾取的ではない生産体制を整えようと思ったら高いコストがかかるのは必然であろう。
しかし「東京にしかない」はもう言い訳が利かない。よいものが首都圏に集中していて然るべき理由など一つもない。
わたしの出身地は、およそあらゆる都道府県ランキングで最下位争いをしている地方である。上位争いをしているのは森林面積くらいだ。しかし、なにもない町だったと言うつもりはない。わが故郷にもその場所なりの文化があり、なによりもそこに根づいた暮らしがあり、息づいている人々がいた。戻るつもりのない故郷を、今もそこに息づいている人と尊厳があるにもかかわらず、不毛の地であったことよと述懐するのは、どうにか故郷を出ることができた現・都会人(わたしを含む)が進んで囚われたがる甘美な陥穽である。
わが故郷にも文化と暮らしはあった。しかし選択肢がなかったことはどうしようもなく認めざるを得ない。格差は選択肢を奪う。よりよいものどころか、目の前にあるもの以外を選択するという行為をそもそも困難にする。それはこんにちにおいては実質、人としてかくありたいと願うような倫理を実践する機会を奪われることに直結する。そして機会がなければ発信もできない。左翼イベントの様子をソーシャルでシェアするには、イベントに参加しなければならない。東京は、インターネットにおける連帯可能性や、倫理的振る舞いに伴うささやかな承認すら独占しようとする。全世界を平等に繋いでいるはずのインターネットにすら格差は生じている。この不平等を解決する言葉は、今のわたしにはない。しかし考え続けることはできる。自分の尻を叩いて、考えることを辞めないための行動を起こさせることはできる。
行動の具体的な内容はいくつか考えている。一つ予告しておくと、わたしは2025年に、地方の文学フリマに呉樹直己として出店する予定だ。生まれた県でもなく、大学時代を過ごした県でもない、縁もゆかりもない県に、新幹線に乗ってわざわざ出かけて行く。これは数年前から考えていたことだ。文学フリマ東京に出店したい気持ちがずっとあったことは文フリ出店レポ記事にも書いたが、同時に、文学フリマ東京に出たあとは地方の文学フリマにも出てみたいと思っていた。出なければならないと考えていた。東京だけが文学フリマではない。自分の可処分時間と金銭を削って出張して、東京ではない場所における「場」に参加してはじめて見えてくるものはあると思っている。それでも、継続的に「場」にコミットしている人に比べたらわたしが認識できるものなどごく僅かだろうが、経験が0回よりは1回のほうがいくらかましだろう。幸い、交通費等を出費することは可能な経済状況にある。一人一人ができる範囲でできることをするしかない状況において、わたしはわたしにできることをする。
正式に決まったら改めて告知を出す。地方出店の感想も必ずブログで共有するつもりだ。
地方在住者として、本当にこれに悩まされている。
— かおる (@kaoru_come) 2024年6月9日
以下引用>>よりよい消費なるものを目指すと、「高い」か「東京にしかない」か「高い上に東京にしかない」のどれかに当てはまるものを延々と買い続けることになるのだ。 https://t.co/tzsUoBRypw
面白そうだったり、楽しそうなイベントは、ほとんど東京開催。政治的な正しさを求める集会やその交流会も東京開催。政治的ななパッチやグッズが買えるのも東京が多い。地方在住者は透明化されていないことにされている。そこに行くまでの電車代を東京の人は考えたことは無いだろう。
— かおる (@kaoru_come) 2024年6月9日
そして東京在住者の中にも格差があり、東京にいれば買えるとも限らない。例えば東京にいるわたしがちょっと高いものを買えるのは「先生」と暮らしているから(https://t.co/du3oEYliSj)ですが、「正社員だから」が理由な人もいるでしょう。二重三重の格差がありつつ、でも我々は「各人できる範囲で https://t.co/BHKkRiXCKI
— 呉樹直己 (@GJOshpink) 2024年6月10日
できることをやっていく」基本原則を苦々しく繰り返すしかない。自身が権威化するのではなく持ち帰ってもらって真似できるようなモノを、と仰るsuper-KIKIさんのご活動はここにおいても生きてくるものと理解しています。
— 呉樹直己 (@GJOshpink) 2024年6月10日