見ての通りのデコボコな人生を送ってきたもんだから、後悔してることがいくつかあるわけですよ。中でも、他人を傷つけてしまったことは自分一人だけの問題ではないので悔いが深い。そのうちの一つが、小学5年から6年にかけて描いていた4コマ漫画の件だ。
小学生のころわたしは絵を描くのが好きで、将来は芸術系の仕事に就きたいなんて思っていた(ちなみにその自信は、中学校でもっと絵が上手な人にたくさん出会ってからは消滅する)。小学4年くらいからは4コマ漫画を描き始めた。最初は自分自身や当時飼っていたカメやウナギを二等身キャラにして、ほのぼのした4コマ漫画を作っていた。たくさん描き溜めて製本したりするうちに楽しくなり、クラスの友達も二等身キャラにして登場させはじめる。キャラクターは徐々に増えていって、小学5年生のころには、クラス全員が登場する日常ギャグ4コマを毎日量産するようになっていた。しょせん小学生レベルのユーモアではあるがクラスメイトには好評で、担任がファイルに綴じてくれ、学級文庫に並べられるまでになった。評判を聞いてべつのクラスの先生がわざわざ読みに来ることもあった。小学5年から6年にかけて、分厚いファイルが何冊もできていたと思う。
後悔とは、二等身キャラの造型のことである。登場するキャラクターは先生たちとクラスメイトで優に50人は超えていたと思う。2年間描き続けて、卒業記念冊子の表紙イラストにも抜擢されたので、今でもわたしはクラスメイトの名前を言われればその人のキャラを描くことができる。似ていると評判だった。しかし、今にして思えば似すぎていた。子どもの無邪気さで、人々の特徴を遠慮なくデフォルメしていた。面長な子は面長に、出っ歯な子は出っ歯に、ふっくらした子はふっくらした姿に描いてしまっていたのだ。わたしに抽出された特徴がコンプレックスであった人もいたかもしれない。内心嫌だと思っていてもやめてほしいとは言い出せなかった人もいたのではないだろうか。わたしが短慮だったせいで当時傷つけていた人がいたら、申し訳なかったと今にして思う。
なので、当時の4コマ漫画は、一部には苦い思い出なのだが、同窓会などで同級生が懐かしんで話題に出してくれるのは嬉しく受け止めている。そして最近、新たに同級生から聞いた話を書き留めておきたい。小学5年から6年にかけて、わたしがいたクラスは鈴木(仮名)という教師が担任だったので、4コマ漫画集は『鈴木先生日記』のようなタイトルだった(仮名)。わたしが卒業するときに『鈴木先生日記』のファイルはすべて鈴木先生の元に残してきたのだが、最近聞いた話では、『鈴木先生日記』はなんと今も鈴木先生が担任するクラスの本棚に置かれており、鈴木先生の教え子たちに読み継がれているという。後輩たちにとってはクラスメイトが出てくるわけでもないのに読んで面白いのかは疑問だが、鈴木先生もけっこうキャラが濃い人だったので、鈴木先生の造型などでウケているのかもしれない。自分の作ったものが今も人々を笑わせているというのはとても嬉しいことだ。今のわたしは絵はとっくに諦めていて、文章に興味が向いているが、本に残って読み継がれるという夢は実はもう叶っていたのかもしれない。
また、当時のわたしはすでに希死念慮や自傷などがあり、友達にも親にも気づかれないように振る舞っていたが、毎日それなりに辛くはあった。鈴木先生のことも実は苦手だった。そんな中でも創作物は作者の状況とはべつとして人々を楽しませられるという事実には、勇気づけられるものがある。
もう一つ、最近知ったエピソードを記録しておく。夏に同級生と飲みに行ったときに聞いた話だ。その同級生は地元で就職しており、ある年新入社員を指導することになった。新入社員の前で自己紹介をし、話の流れで出身校の名前を言ったところ、新入社員に、「●●さんって、『鈴木先生日記』に出てませんでしたか?」と言われたのだという。たしかにその同級生の二頭身キャラは我ながら似ていたが、小学校の名前と容姿だけで特定されるとは思わなかった。その同級生は感慨深いエピソードとしてこの話をしてくれたので、わたしのデフォルメで傷つけてはいなかったと思いたい。
この小さなブログも、インターネットで全世界に公開されているからには、小学校の同級生に実は見つかっている可能性はある。当時わたしのキャラメイクで傷つけていたらすみませんでした。『鈴木先生日記』があなたにとってただのいい思い出であることを願っています。