この記事は、2022年8月末、わたしが友人宅に滞在していたときに書きかけていた文章を完成させたものである。なお、猫は五体満足でゴロゴロしているので安心してほしい。
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ひょんなことから友人宅に滞在することになり、猫に会えない日々が続いている。
猫は保護猫である。わたしが先生と暮らしはじめるずっと前から先生に寄り添ってきた。猫としては寄り添うなんていうウェットな気持ちでそばにいるわけではないとは思うが、ソファで一つの生き物みたいにしょっちゅうくっつきあっている様は、はたから見ているとやはり「寄り添う」と表現したくなる。猫はいつでも先生のそばにいる。先生が笑っていても、泣いていても、そばにくっついている。
初めて先生に「死にたい」と言われたときのことはよく覚えている。2020年10月末、先生と暮らしはじめて2カ月が過ぎたころだった。先生は出先にいて、わたしは家にいた。『ごめんなさい もう無理です』『さよなら』『踏み切りあるからそこに行く』──悲痛なLINEが次々に届いた。ただ、『死なないで』『帰ってきて』と返すしかなかった。猫を探した。猫はわたしの部屋にいた。抱きながら、「●●さんはね、双極性障害っていう病気なんだよ。わたしとにゃーちゃんを置いて死んじゃうかもしれないんだよ。●●さんが死んだらどうしようねえ」と語りかけた。猫を抱いてうずくまっているうちに先生は帰ってきた。踏切には行かずに。
この日を皮切りに、以降約半年間、先生は精神状態を悪化させ、頻繁に死を口にするようになる。「今日死ぬ」と言われたこともあるし、夜中に急に部屋に入ってきてただ泣かれたこともある。「今から終わらせてくる」と言うから何事かと思ったら、自室の床でベルトを握りしめて呻吟していたので、そっとベルトを取り上げたこともある。「今夜首を吊る」と言い張るので、先生の足元の床で寝たこともある。朝、「今日死ぬ」と言う先生の話を聞いているうちにわたしのバイトの時間になり、心配しながら出勤して、帰ってきて生きている先生を見てわたしが泣いてしまったこともある。半年間、それなりに大変ではあったが、先生の心情の吐露を受け止めること自体はまだよかった。一番つらかったのは、「もう死ぬ」と言う先生が、いつも猫のことだけ言い残して、わたしについては触れないことだった。
「自分が死んだあと猫をよろしく」とは何度も言われたが、同居しているわたしに残す言葉はなかった。「猫ごめん」とは言われたが、わたしへの謝罪はなかった。当時のわたしは大学生のアルバイターとはいえ立派な成人だったのだから、庇護すべき存在である猫と比較するのもおかしな話かもしれない。猫は自力では生きていけない愛玩動物だが、人間の大人であるわたしはどうとでもなるかもしれない。それでもわたしは、寂しく、悲しかった。最愛の猫と同じくらいとは言わないが、数カ月起居をともにして支えあってきた者として、最後の言葉くらいわけてほしかった。先生の頭の中にわたしが存在していてほしかった。
要は、猫に嫉妬していたのだ。醜い人間が可愛い猫に嫉妬するなんて馬鹿々々しいと笑われるかもしれないが、有り体に言うとそうだった。嫉妬しながらも、サブの飼い主として、先生が出かけているときは餌や水をやり、遊び相手になった。猫はわたしの心中を知ってか知らずか、わたしにもよくなついた。
そんな猫と、今は離れて暮らしている。
家主である友人とは初めて一緒に暮らすが、もう何カ月も一緒にいたかのように馴染んでいる。もう一生ここで暮らしてもいいとさえ思える。そんな中でも、ふとした瞬間に、わたしは猫の存在に気づくのだ。わたしの心の中に、あの憎くて可愛い小さな畜生がたしかに存在していることに気づくのだ。
猫が自由に通行できるように、部屋の扉を少し開けておくこと。
猫が閉じ込められないように、洗濯機の蓋は必ず閉めること。
脱いだ服は、乗っかられて毛だらけにされないようにすぐ片付けること。
魚を含むものを食べたらすぐ皿を洗い、食べかすは三角コーナーに放置するのではなくその場でゴミ箱に捨てること。
全部、今滞在している家では不要な習慣である。それなのに、わたしは律儀にそれらを実行していたのだ。
わたしは心を信じない。精神疾患を患って、心なんてものは脳内分泌物質のバランスひとつで簡単に変わりうると学んだ。
それでも、人間に宿る不可視の霊的存在があるとしたら、それは日々の生活に、身体ごと染みついているものだと思う。
先生の家に引っ越してから2年、わたしの生活は大きく変わった。すべての家事は自分のためだけではなく、先生のためでもあるようになった。と同時に、猫のためでもあったのだと、猫と離れて気づいた。これは愛ではない。わたしは猫を憎んでいる。それでも、猫の居場所は、わたしの中にいつの間にか存在していた。
猫はいつか死ぬ。おそらくは、確実に、先生とわたしより早く死ぬ。
先生は泣くだろう。
わたしも泣くだろう。猫がいなくて悲しいのではなく、わたしは生きているのに先生が泣いてばかりいることが悔しくて泣くだろう。
猫が死んでからも、しばらくの間は、先生とわたしは部屋の扉を少し開けて、洗濯機の蓋を閉じて、魚の骨をすぐに片付けることだろう。われわれの身体に染みついているから。
いつか、長い長い年月が経って、それらの習慣が消えたときにこそ、わたしはあの、可愛くて憎らしい小さな畜生を心底愛することができるだろう。わたしの中から居場所をなくして、可愛らしい思い出だけとなった猫を。