敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

昔の家族の話

 

 

 

新しいスニーカーを買った。

古いスニーカーは、白色だったキャンパス地が年々黄ばんできていた。それでも洗いながら履いていたのだが、2022年にはソールとの接合面が破れてきたので、買い替えるに至った。

6年半履き続けたスニーカーだった。

 

白黒柄のスニーカー。

 

いかにも思い出話が始まりそうな書き出しだが、その通り、わたしはこれから思い出話をする。赤の他人の昔語りに興味がない人は読む必要はない。

18歳、大学進学と同時に一人暮らしを始めた。雨風しのげる立派な屋根はあるが、完全とは言いがたい部屋に住んでいた。布団はあったが枕もシーツもなかった。シャンプーはあったがリンスがなかった。必要であるという発想がなかった。精神疾患の診断もまだ得ておらず、ここ数年呉樹直己名義で蓄積してきたような、生きがたさを緩和するすべを何一つ持っていなかった。

驚くべきことに、そんな丸裸の18歳のわたしを、抱きしめてくれようとした19歳がいたのだ。同じ学部の学生だった19歳を、仮にSと呼ぶ。映画や本の話題で仲良くなり、二人でミニシアターに通い、呆れるほど長い通話をした。話は尽きなかった。Sといるときのわたしはおしゃべりで、自分がこんなにもよくしゃべる人間であることを知って驚いた。二人とも所属するコミュニティでは中心人物でありつつ芯からは馴染めておらず、そんな孤独感が二人を結びつけた。恋人同士ではなかった。セックスはしていたが、傷ついた獣同士のグルーミングの延長に粘膜接触が生じたという感覚に近かった。
Sもまた精神疾患を患っていたが、わたしよりはほんの少し、自分を労わるすべを知っていた。Sのベッドには枕があったし、温かな毛布もあった。キャンドルや香水といった消えものに投資する発想を持っていた。

Sは枕であり、シーツであり、リンスであった。なくても生きていけるが、あったほうがより人間らしくいられるような、温かく心地よいものは当時すべてSとともにあった。

Sがわたしを人間にしてくれた。

 

わたしが恋人を作って、Sとは一度断絶した。感謝と愛情と応援を綴った手紙をもらって涙を流した。たかがわたしに恋人ができたくらいで関係が終わるなんて信じたくなかった。ひよわな獣同士として、いつまでもおままごとのような暮らしをしていられるような気がしていたのだ。雨の中をSの家まで走り、一人にしないでと胸を叩いた。一人にしないでとは、Sのほうこそ言いたい台詞だったろうに。

それでも後年、紆余曲折を経て、わたしとSは交際に踏み切るのだが、そのときのことは書きたくないので書かない。わたし自身の精神状態が底をみていた時期と重なるし、なにより、わたしはよい恋人ではなかった。浮気もした。最終的にはわたしから振った。

われわれの関係を、名づけないまま愛おしむ力が当時のわたしにはなかった。Sにもなかったと思う。双方にとって、真にかけがえのない関係だったから、特別なものにしたかった。友人関係では平凡すぎる気がしたから、最終的には交際関係を選択するしかなった。既存のロマンティックラブイデオロギーに則った形に押し込めるしか、20歳かそこらの頭では思いつかなかった。お互いに、恋愛感情がまったくなかったわけではない。おそらく恋している時期もあったし、その時期が一致している時期もあったと思う。お互いの気持ちを明確に言語化する作業を、お互い避けていた。自分たちはよき恋人同士であると思い込もうとしていた。よき恋人同士でないとなると、すべてが壊れてしまう気がしていた。大切な人だからといって必ずしも恋愛関係になる必要はないと、今ならわかる。

 

近しいコミュニティにいたから、今でも共通の知り合いは多い。先日、その知り合いの一人から、Sが(わたしの名は出さず)昔の恋人について話していたと聞いた。かつて、交際相手におそろいのイヤーカフを送ったが、耳が痛いと言ってつけてもらえなかったと。たしかにそれはわたしのことだった。耳が痛かったのは嘘ではないが、本当は、自分に装飾品をつける資格はないような気がしてつけられなかったのだ。シーツを使う資格、枕を使う資格、リンスを使う資格がないような気がしていたのと同じだ。わたしのセルフネグレクトは20歳過ぎまで続いていた。Sはちょうど、わたしが行きつ戻りつしながら変わっていっている時期にそばにいてくれたのだ。

ひょっとしてイヤーカフがまだ手元にないかと、戸棚をひっくり返した。イヤーカフはなかった。たくさんプレゼントをあげて、たくさんもらってきたが、引っ越しを経た今手元に残っているものは存外少なかった。手紙と、ネックレス2本と、ブックカバーと、万年筆が出てきた。それと、Sと東京観光しているときにアメ横で買ったけれど、もう古びてしまったスニーカー。

 

白黒柄のスニーカー。

 

6年半、無我夢中で駆けてきた。人生の転機が何度もあった。過去を感傷的に思い返すことはほとんどなかったように思う。今強いてSを思い出そうとすると、思い浮かぶのは不思議と、明確に恋人同士であった後年ではなく、友達とも恋人ともつかない関係であった初期のことだ。

Sとは今でもどこか繋がっているような気がしている。恋人への未練ではなく、かつて片割れであった半身を懐かしむように思っている。今は隣にいなくてもなんの支障もないけれど、かつては抱きあったそばから血管が通うように近かった、かつての片割れを。関係を無理やり名づけるような愚を再び犯すわけにはいかないが、強いて考えるならば、家族とでもいうべきかもしれない。お互いに自立・自律した人間でなくても、曖昧に許され、続いてしまう、原義としての家族。かつてSとわたしは、たしかに家族であった。

すべての連絡手段は断絶しているが、いつかわたしはSと再会するだろう。今度こそわれわれは、名前のない関係を、名づけないままはじめることができるだろうか。