最終更新:2023.8.6
呉樹直己にモラルハラスメントを受けたと称する冤罪被害を受けた。
あれは被害だった、と明記できるようになるまで4年かかった。被害なんかではない、傷ついてなんかいないと、長らく自分に言い聞かせていた。冤罪をかぶせてきた相手の主目的は、わたしの感情をなんらかの形で揺さぶることだったため、傷ついたと認めることは相手に敗けることだと感じられたからだ。しかし、4年経った今、やはりあれは被害であり、わたしは傷つき、損なわれたと認めざるを得ない。それが現実である。
【注意】
以下の文章では、被害に具体的に触れます。心理的ダメージを受ける可能性のある方は閲覧に注意してください。なお、今回の被害は同世代の同性の相手から主にオンラインで受けた言葉の暴力に限られており、身体的暴力・性的暴力の描写は一切含まれませんので、その心配は無用です(もちろん、同世代間であろうが同性間であろうが、身体的暴力・性的暴力は成立します。今回のわたしの被害に関してはそうではなかったというだけの話です)。
また、今回の一件は被害届を出す・訴えるといった法律絡みの係争には至っていないので、警察のことや裁判のことなどで現在進行形で悩んでいる方の役に立つ文章ではありません。あくまで、一個人の心情的な体験談となります。要約するならば「友人間のいざこざ」の域を出るものではなく、センセーショナルな告発や新奇性のある体験談を期待する向きにもお応えすることはできません。おそらくわれわれの間の出来事は、どこにでもある、ごくありふれた感情のもつれでしかないことでしょう。ごくありふれた感情のもつれがいかに人を傷つけ得るかの実例として、気軽に読んでいただければと思います。
被害全容
1.Aについて
2019年、わたしにモラルハラスメントを受けたと称して、Twitter*1での粘着やメールでの自害・他害仄めかしを行った人物を、ここではAと呼ぶ。
現在わたしは通信制大学で学んでいるが、当時は一般的な四年制大学に通っており、Aは別の学部の先輩であった。2015年、わたしが2年生のときにフィールドワーク形式の講義で出会い、同じグループで共同作業を行った。当時Aは4年生だった。講義内での交流はさほど濃くはなかったが、Aの卒業後、大学図書館で会う機会があり、会話の中で趣味などが近いことが判明し、以降ちょくちょくLINEするようになった。
親交を結ぶうちに明らかになったことには、Aは機能不全家族出身であり、抑鬱を伴う精神疾患があり、ADHDの診断も受けていた。つまり、わたしと境遇が近似していた(ADHD以外の診断名は違ったが)。われわれは急速に親しくなり、ほぼ毎日のようにLINEし、近場で就職したAの休みの日にはオフラインで遊んだりもした。
今のわたしはAのことを加害者として思い返さざるを得ないが、当時、われわれは紛れもなく友人であった。それも、メンタルヘルスのことなど、誰にでも忌憚なく話せるわけではない話題を打ち明けられる友であった。わたしが恋愛の悩みを打ち明けてはAが相談に乗り、Aがオーバードーズをすれば通話をして一緒に泣き、ままならない精神を抱えつつともに生きる仲間だった。
しかし、思えば互いの感情の濃度は均一ではなかった。
Aはその性向として、人間関係において極端な行動を取ることがあった。恋人などの特別な人間には時に激昂し、頻繁な通話を要求し、いわゆる試し行動を繰り返していた。大学の友人と繋がるアカウント(いわゆるリア垢)ではブロックや垢消しを多用し、LINEのフィード欄に不穏な投稿をし、LINEアカウントすら削除することがあった。畢竟、Aの友人は少なかった。「呉樹しかいない」という言葉を聞いたことすらある。一方わたしは、Aよりは継続的な人間関係の構築に長けており、友人は多かった。この差にAは劣等感を抱いていた。当時のわたしは気づいていなかったが。
2.経緯
Aがわたしにハラスメントを受けたと称するに至るまでに、鍵となる出来事はいくつかあった。すべて当時はそれと気づかなかったのだが、今となっては思うことを書いていく。
①Aが一人暮らしをやめて地元に戻った
2017年半ばごろのことだったと記憶している。精神科に通いつつ一人暮らしを営んでいたが、精神的にも金銭的にも独居が難しくなっての決断だったと聞いた。Aの生家は機能不全家庭であり、そこに戻ることは不本意な選択だったはずだが、友人としてはできることがあるはずもなく、見送るしかなかった。Aにとってはおそらくは挫折経験であろう。自由な一人暮らしを継続できていたわたしの境遇と比べて落ち込むこともあったかもしれない。また、元から少なかったAの友人はさらに少なくなり、孤立も深まったことと思う。
②お互いにリア垢ではないTwitterアカウントで繋がった
2017年末か2018年上旬のことだったと記憶しているが曖昧だ。繋がりを持ちかけたのはたしかわたしからだったが、結果的には間違った行動だった。リア友に本垢を教えるのはやめとけ。しかし当時はAのことを好くあまりに、本垢である呉樹直己アカウントを教えてしまった。
当時のわたしはまだブログをやっておらず、フォロワーは1000人もいなかった。それでもAの本垢よりは桁違いに多くて驚かれた。これも、Aの嫉妬心を深めていたと後から気づく。
③わたしがブログを始めた
2018年6月にひっそりと始めたブログは、2019年上旬に最初の「バズ」を経験した。3000RT程度で、Twitter上のバズの平均からすればまったく大したことはないが、素人ブログとしては頑張っているほうなのではないだろうか。自然にバズるまでフォロワーには頼らないと決めていたので、バズったタイミングで初めてTwitterで作者の名乗りを上げた。Aがわたしのブログを知ったタイミングもたしかそこだったと思う。同じくメンタルヘルスを患うAにもわたしのブログは好評で、熱心に読んでは感想をくれた。その賛辞は心からのものだったが、しかし一方で、「脚光」を浴びるわたしと、誰からも褒められないAという構図が生まれていた。と、少なくともAは感じていた。もちろん、フォロワー1000人にも満たない素人ブロガーが浴びる脚光などインターネット全体からするとたかが知れているが、Aのフォロワーは20人とかそこらへんだったから、Aにとっては十分嫉妬と対抗心を燃やす契機になり得たのだ。なお、Aもいつからか小規模なブログを運営していたが、当然読者はわたしのそれより少なかった。
④Aがエッセイストとして活動を始めた
これが結果的に大きな火種となった。
2019年当時、わたしは呉樹直己アカウントで日々フォロワーとの交流を楽しんでいたが、とりわけ親しいフォロワーが一人いた。LINE交換やオフ会なども済ませて、フォロワーから友人関係へと発展していたその人を、仮に須藤と呼ぶ。須藤は筋金入りのオタクで、誠実なフェミニストでもあった。わたしはたまたま須藤が好きな映画の新参オタクとしてオタクツイートをしており、歳が比較的近いこともあって一気に親しくなった。そんな須藤がある日突然、とあるフェミニズム系webメディアにエッセイを応募し、いきなり採用された。掲載されたそれは須藤らしい思慮に満ちた文章で、わたしは当然、RTして称賛の言葉をツイートした。それと前後して須藤も、わたしが作った自主映画やわたしのブログの感想をたびたびツイートしてくれていた。
須藤とわたしのやり取りを、Aはつぶさに見ていた。
Aから見るとわたしと須藤の関係は、ただの友人ではなく、「クリエイター同士のリスペクトのある関係」──これはAの言葉原文ママである──に見えていたのだ。Aはそれに激しく嫉妬していた。
繰り返すが、フォロワー1000人にも満たないアマチュアブロガーが浴びる脚光など、インターネット全体からすると鼻くそのようなものだ。須藤とて、エッセイが1本採用されただけのオタクアカウントでしかない(webメディアに応募したのは、転職活動にあたって箔をつけるためだったとあとから知った)。クリエイターもなにもあったものではない。しかし、Aからすると、そのように見えていたのだ。当時のわたしは気づいていなかったが。
そこでAはなんと、須藤と同じフェミニズム系webメディアに応募し、採用されたのだ。わたしは採用が決まったあと・掲載される前のタイミングで、「須藤さんと同じサイトに採用された」とAから打ち明けられた。わたしは、友人二人が同じサイトに載ることに単純に興奮し、Aを称賛した。Aは、そのwebメディアで使ったペンネームで今後もエッセイを書いていくつもりだと話していた。
言うまでもなく、わたしと親しい須藤への嫉妬心と、文章で注目されるわたしへの対抗心が取らせた行動であった。
3.発端
Aがエッセイを志したことで、わたしの中でAへの感情に変化が生じていた。
今までAのことは、当たり前だがただの友人として接していた。Aのブログは読んでいたが、軽い日記のようなものだと認識しており、読み流していた。精神障害者としての具体的な生活のコツなどを綴っていたおのれのブログと比較する発想は一切なかった。申し訳ないけれども、ライバルとしては眼中になかったのだ。
しかし、Aは自ら比較の土俵に上がりたがっていると感じられた。このころわたしは、わたしや須藤へのAの複雑な感情に徐々に気づき始めた。必然的に、同じ文筆を行う者としてAのことを見るようになったのだ。
これを書くことが適切な行為なのか、わたしはいまだに確信がない。悩みながら書いている。それでも、これを書かないことには話が進まないのではっきり書いてしまうと、Aの文章は平凡だった。べつにわたしや須藤が非凡だったというつもりはないが、それでも、わたしや須藤に比べたら、残念ながら優れたものではないと感じられた。わたしには、アマチュアブログではあるが曲がりなりにも1年以上コンスタントに更新した蓄積があり、須藤には日本有数の名門大学で学んだ頭脳とフェミニズムへの造詣があった。
思えば、学部のころからそうだった。講義の中でAの文章に触れることがあり、それはAらしく細やかに行き届いていたが、率直に言うとわたしのほうが面白かったと思う。
だからなんだ、という話ではある。たくさん友人がいれば、わたしより文章がうまい人もいるし、わたしより文章が下手な人もいる、それだけの話だ。わたしは文章力で友人を選んでいるわけではない。それでも、文筆を志す人間として改めてAを眼差したときに、一種の幻滅があったことは否定しない。繰り返すが、わたしより文章がうまい人もいれば下手な人もいるというだけの話で、わたしがそこに優劣を感じることは通常ない。しかし、Aに関しては、Aを劣位に感じる内心があったことを、ここにはっきり認めようと思う。なぜAだけ特別だったのかは、いまだに言語化できていない。A本人こそが、わたしや須藤の文章に接しつつ人間性と文章の巧拙を引きつけて自裁しては劣等感に苛まれていたことは間違いないと思うから、その気配に引きずられたのかもしれない。しかしこれはわたしの内面をAのせいにするようで心苦しい。
わたしが文筆のライバルとしてのAにひっそりと幻滅するのと前後して、Aはついに、わたしや須藤への負の感情をわたしに吐露するようになる。もう4年も前のことで、詳細な経緯はあまり憶えていないのだが、「ほかの人とリプライしてたら嫉妬する」「ブログに『誕生日プレゼントにもらった』と言ってべつの友人からもらったコスメを紹介していると嫉妬する」などのLINEが届くようになった(ちなみに、Aからもらったコスメもちゃんと紹介している)。webメディアに応募した動機がわたしと須藤への対抗心・嫉妬心だったこともAの口から明かされた。Aは「呉樹に文章で認められたいと思ってしまう」と涙ながらに語った。さらに、「呉樹のように理論的に話すことが自分にはできない」「呉樹には褒めてくれる人がたくさんいるけどわたし(A)には誰もいない」「呉樹の見た目が羨ましくて派手髪にした」「パーソナルカラーは呉樹みたいな冬がよかった」「呉樹の彼氏は呉樹を大切にしているがわたし(A)の彼氏には粗雑に扱われる。自分には呉樹と違って魅力がないからだ」「誰も本当に愛してくれない」など、返答に窮するようなメッセージも激増する。わざわざ書くのも馬鹿らしいが、Aは誰もがそうと認める可愛い顔をしており、わたしよりもずっとモテていた。しかし当時のAの中では、万人に好まれる均整の取れた美貌よりも、わたしのような、醜形と紙一重のインパクトのほうが価値があるようであった。
一番強烈だったのは、「同じ話題に言及しているのに須藤さんのツイートはRTしてわたし(A)のツイートはRTしないのはわたしへの嫌がらせ?」「須藤さんと一緒になってわたし(A)を馬鹿にして笑っているの?」と訊かれたことである(文面は大意であり、原文ママではない)。わたしのツイート内容や人間関係まで邪推して干渉してくるのは、一線を越えているとわたしには感じられた。当然強く否定した。
4.決定打
しかし、Aは納得してくれなかった。これまた詳細は経緯はあまり覚えていないが(このころは毎日のように濃密な内容のLINEや通話を繰り返していたため)、ある日の夜、ついに、Aから絶縁のLINEが届く。
詳細な文面は憶えていない。超長文であり、込み入っていたからだ。しかし要約すると、「わたしが須藤とAを比べてはAを嘲笑している」と、Aは信じ込んでしまっていた。Aとわたしの関係を「共依存」と呼ばれた。また、元はAが呉樹に嫉妬しているという話だったはずが、いつの間にか、呉樹がAに嫉妬していることになっていた。いわく、呉樹は論理的であろうとしすぎて感情を抑圧しており、感情を豊かに表すことができるAが羨ましくて仕方なく、Aの足を引っ張ろうとしていると。
距離を置きたいということ、「このLINEに呉樹から返事が来たら読みはするけれど、それに対して返事はしません」とのことが綴られていた。
このLINEに対するわたしの返答が適切なものだったか、わたしはいまだに自問自答し続けている。わたしが冤罪被害を受けた、つまり、Aがわたしからモラルハラスメント被害を受けたと思い込むようになったのは、この夜のわたしの対応が直接的な原因だったからだ。
わたしは、友人として大好きなAを嘲笑しているように言われてショックを受けた。そのような節があったのなら、猛省し謝罪しなければならないと思った。そこで自分の内面を振り返って、Aの文章や感情表現が稚拙であることでほんの少し幻滅したことを思い出し、それを自分の非としてAに伝えて謝罪をしてしまったのだ。
Aは激怒した。
いきなりLINE通話がかかってきた。やはり呉樹はわたし(A)を馬鹿にしていたのだ、学部時代からずっとそうだったのだ、ずっと感情的なわたしを内心馬鹿にして論理的な自分を鼻にかけてモラハラしていたのだ、わたしの内心を支配して劣等感を感じるように仕向けていたのだ、歴代のモラハラ彼氏と同じだ、といったことを激しく連呼された。
わたしは泣きながら謝るしかなかった。
激昂したまま、Aは通話を切った。
AのTwitterを見ると、ブロックされていた。別垢から恐る恐る見に行くと、わたしが泣いたことが、感情を上手に表すことができた例として褒められていた。また、わたしへの加害予告とも読める内容がツイートされていた。
Aの地元から当時わたしが住んでいた都道府県への新幹線は、その時刻ではまだ便があった。即家を飛び出せば間に合う。Aはわたしの住所を知っているので、訪ねてくる可能性はゼロではなかった。Aが時に極端な行動を取る性格であることを知っていたので、怖かった。
LINEが来て、過去のLINE履歴を全消去するように要求された。
Aの性格からして、やり取りが今夜では終わらないであろうことは確信があった。Aが犯罪行為に走り、警察沙汰になり、経緯の説明を求められる可能性はあると思った。
わたしは、その日のAとのやり取りをすべてスクリーンショットで保存してから、履歴を全消去した。空っぽになった青空のトーク画面のスクショを送信して、「消しました」とだけ送った。既読はついた。おそらくその後、LINEもブロックされた。
Twitterのほうは、ブロックを解除され、超長文DMが大量に届いた末に、再度ブロックされた。
その夜は須藤に連絡を取り、一部始終を打ち明けた。自分にまったく非のない感情のもつれに巻き込まれて、須藤にとってはとんだ迷惑だっただろうが、須藤は真剣に話を聞いてくれた。第三者に話をしたことで、わたしも少し落ち着いた。
翌日、案の定AからTwitterに超長文DMが何通も来た。やり取りの詳細は憶えていない。
一番強烈な印象を残し、後々までわたしを苦しめたのは、わたしの交友関係に言及したくだりだった。
Aいわく、わたしは根っからのハラスメント気質であり、自己愛性パーソナリティー障害であり、周囲の人間を苦しめている。周囲にはイエスマンしかいない。須藤含め今わたしと親しくしている人間は洗脳されているか怖くて言い出せないかで、わたしには本当の友達は一人もいない。いずれ誰からも見捨てられて孤独になる。これは大学の先輩として親切で忠告してあげている。即刻カウンセリングを受けてその性格を矯正すべきである。「モラルハラスメント」という言葉を最初に提唱したフランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌの本を読むといい。がっつりあてはまっている。虐待してきた(A自身の)母親にそっくりである。(呉樹の父から)虐待の連鎖をしている。
おおよそ、このようなメッセージが送られてきた。
一読して、呪詛であるわかったが、読んだ時点で呪いは完了していた。
トラウマになると確信し、事実トラウマになった。
わたしは謝罪をするしかなかった。
ハラスメント気質に関しては、自分の体臭が自分ではわからないのと同じで、否定の仕様がないことであった。よくよく自省し、今かかっているカウンセラーに相談します、と伝えた。
最後に、DM履歴も全消去するように要求された。すべてスクリーンショットで保存してから全消去し、空っぽの画面のスクショを送信した。その後再度ブロックされた。
6.葛藤
Aは見事にわたしを呪った。
わたしはその日からしばらくの間、モラルハラスメントの加害者として自省して過ごした。
まず、友人としてAを登場させていたブログ記事3つを削除した。ハラスメント加害者に(当時は許可を出していたとはいえ)好き勝手に言及された文章が世に出ているだけで被害者は気分が悪いだろうと思ったからだ。
そもそも、ブログ自体の全削除も考えた。フェミニズムを語り、フェミニストを内心で自称していた人間が親しい友人にモラハラしていたなんて、言語道断だと思った。今まで書いていた文章はすべて嘘ということになるから、削除するのが筋だと思われた。自分はインターネットにものを書く資格を永久に失ったと感じた。
自己愛性パーソナリティ障害と指摘されたことについても、後ろめたい部分はあった。
実はわたしは、Aとの仲が不穏になるずっと前に、Aに、境界性パーソナリティ障害なのではないかと言ったことがあったのだ。
精神疾患者の端くれとして、病名を素人判断で押しつけるべきではないのはもちろん承知している。とりわけパーソナリティー障害は、人格への誹謗中傷と捉えられやすいので、医師ですら慎重に取り扱う病名なのも知っている。口に出したのも、それなりの文脈と、Aとわたしの親しい関係性があってのことで、誰にでも軽々しく病名を憶測で伝えたりしているわけではない。病名を中傷の手段として使ったわけでも決してない。Aも、その場では「当たっていると思う」と言い、納得しているようだった。自分を境界性パーソナリティ障害であるとした上で当事者として発言するようなツイートもしていた。しかし、わたしが素人判断でAの病名を憶測で告げたのは事実であり、いかに親しい友人であろうとも本来やってはいけないことだったのだと深く反省した。今わたしが自己愛性パーソナリティ障害であると言われたのは、Aに不誠実な言動をした罰なのだから、真剣に受け止めるしかないと思った。
懊悩した。いくら懊悩してもAの傷ついた心が回復するわけではないことを考えるとたまらなかった。自分には自殺する資格すらないのだと思った。
しかし、須藤がそんなわたしの心を解きほぐした。
本当の友達は一人もいなくていつか孤独になると言われた、と伝えると、須藤は力強く、一人にはしないと断言してくれた。Aとわたしのやり取りも客観的に見てくれて、Aにも非があると冷静な言葉で伝えてくれた。ブログの削除も止められた。
しかし、須藤の言葉を信じるのは容易ではなかった。Aの言い分によると、須藤もまたわたしに洗脳されてイエスマンになっているだけで、真の友人ではないのだから。
わたしに優しくしてくれる人全員が怖い時期が続いた。大切なあの友人もこの友人も恋人も、わたしが無意識に丸め込んでいて、わたしの都合のいい面だけを見せていて、抑圧し洗脳してしまっているのではないかと。わたしは周囲の人を苦しめているのではないかと。
友人と会話した日に電車に乗ると、足が震えて立てないようになった。Aがわたしを刺しに来るのではないか、ある日アパートの扉を開けたら階段の手すりでAが首を吊っているのではないかと思い、外出すること自体怯えるようになった。
須藤はそんなわたしの葛藤も含めて理解してくれ、辛抱強く言葉を投げかけてくれた。
須藤の旧友であり、共通のフォロワーでもあるもう一人の友人も、同じくわたしに寄り添ってくれた。
わたしが今あるのは、真にこの二人のおかげである。
わたしはTwitterをブロックされたあとはAのTwitterを見に行かないようにしていた。しかし、個人情報のばらまきなどをされていないかだけ気になっていた。そこで、須藤ともう一人の友人が代わりにAのTwitterを見張ってくれていた。二人は気を遣ってAのツイート内容をわたしに伝えることはなかったが、わたしへの暴言が多数投稿されていたことは察している。攻撃的なツイートは自分宛ではなくても読むだけで消耗するだろうに、二人には感謝してもしきれない。
ずっとあとになって、わたしが監督した自主映画のDVDを破壊した写真がツイートされていたことだけ、須藤からこっそりと聞いた。
数日後、Aのアカウントは削除された。
7.再度の接触
半ば予想していたことだったが、約1カ月後、Aは新しいアカウントを作って再度わたしに連絡してきた。新しいアカウントで超長文のDMを送り、わたしのメールアドレスにも同様の文面を送る凝りようだった。その上で、わたしのTwitterに、「P様 メールを送りましたのでご返信ください Qより」とリプライを寄越していた。Pはわたしの苗字のイニシャル、QはAの苗字のイニシャルである。新しいアカウントのbioには、「大学の後輩からモラルハラスメントを受けました」とあり、フォロー欄にはハラスメント相談室のアカウントや、ハラスメント問題に詳しいと称する心理士のアカウント、夫からのモラハラ被害者を名乗る女性のアカウントなどがずらりと並んでいた。
メールは、もちろんわたしを責めるものであった。ちょうど当時、コーチからモラルハラスメントを受けたとして記者会見を開いていた実在のアスリートとA自身を重ね合わせるような描写も見られた。
Aは、わたしがAと決裂したあともTwitterやブログを更新していることを責め、反省していない証だと言い募った。承認欲求が強すぎてネットをせずにはいられなくて可哀想と言われた。ブロックされたあともわたしがAのアカウントをこっそり見ていたという前提に立ったと思しき内容もあったが、本当に見ていないのでそれはわからない。
「殺しに行こうと思った」「あなたを殺して自分も死のうと思った」といった、明確な自害・他害の言葉も見られた。
返信に窮している間にも、Aはわたしのツイートに攻撃的な引用RTを多数つけていった。
Aが再度接触してきたことを、わたしは、ハラスメント被害者にしばしば見られる状態であると判断して焦った。深いトラウマを負った者が、嫌なはずなのになぜか自分から加害者に接触してしまう現象は、性被害に関する本などで読んで覚えがあった。Aはまだわたしに心理的に囚われているのだと思った。
一方で、須藤と友人の励ましにより、今回の一件はわたしだけが悪いわけではないはずだという思いも芽生えていた。Aの呪いを脱しつつあった。
わたしにモラハラされていたにせよされていなかったにせよ、Aがわたしから一刻も早く離れるべき状態なのは間違いない。須藤と友人のアドバイスを受けつつ返信を考えた。非常に難しかった。優し気な文面だと、Aの執着を助長する可能性があった。しかし冷たすぎると、Aが激昂して本当に自害・他害に及ぶ可能性があった。数時間かけて文面を練り、できるだけ簡潔な文面を作成してメールした。
案の定、Aは昂奮していた。「通話しよう。LINE教えて」「LINEは?」「早く」「LINE」「あなたは●●(Aの元彼の名前)と同じでわたしを見捨てる」「殺して」「殺しに来てよ。住所は■■■」「LINE教えて」「わたしは頭がおかしい。わたしもこんなわたしが嫌です」「わたしは狂ってる」「狂ってるわたしが正常な呉樹さんに干渉して申し訳ございませんでした」「全部わたしが悪いんです。最後に、全部Aが悪いって言ってください」……混乱したメールが次々と届いた。また、今回再度接触してきたのは、わたしがAに関するブログを削除したことに気づいて悲しかったからだということも明かされた。読むだけ読んで、返信はしなかった。
TwitterにもDMが大量に届いていた。返信はしなかった。
数日後、アカウントは消えていた。
8.顛末
以上が、わたしが受けた被害である。
さらに1カ月後、Aからは手紙が届いた。わたしが開封せずに捨てることを危惧したのか、封筒には「これはあなたを責める内容ではありません。わたしからの最後の連絡です。どうか読んでくださいませ」と書いてあった。わたしは数時間開封できないまま放置し、須藤と友人に励まされてようやく開封して読んだ。封筒の言葉通り、わたしを責める内容ではなかった。
内容をここに書くことはしない。Aの許可を一切取っていないこの文章におけるぎりぎりの誠実さを保ちたいと思うからだ。しかし、Aが、その時点で考え得る限りの真摯さでもって謝罪をしてくれたことは明記しておく。しかしわたしの傷つきからすると、不十分と感じられた。
今思うこと
Aはわたしを加害者だと思い、わたしはAを加害者だと思っている。この文章はわたしとAのどちらが「正しい」かを読者に問うものではない。わたしからの一方的な語りであるから、わたしのほうに分があるようなストーリーになるのは当然である。その上で、実際のところどちらが正しいにせよ、お互いに加害者が被害者ぶっていると感じていることはぴったり一致しており、あまりの平行線っぷりには驚き呆れるしかなかった。加害者は被害者を装うとは本当なのだと思った。
また、冤罪を証明することの難しさも強く感じた。
AはわたしがTwitter依存症であり、フォロワーに嫌われないようびくびくしていると決めつけていた。その上で、「被害」をネットにばらまくことを仄めかしてきた。わたしは今も昔もただのアマチュアブロガーであり、「告発」されたところでそよ風とも話題にならないのは明白であったが、多少面倒なことにはなっただろう。
ハラスメント加害者であると思い込まされて過ごした日々は端的に言って地獄であったし、人を加害者と名指すのなら同じ地獄を見る覚悟でやってほしいと、Aに怒りを覚えた。今も怒っている。
同時に、被害告発が、そのような被害者が身も世も投げ打った苛烈なものであるべきではないとも当然思う。ハラスメントは万人の間で成立し得るものであり、誰もが加害的な振る舞いをする可能性がある以上、もっと「気軽」に加害を指摘し改善を求める流れがあってもいいのではないかと思った。
あと、これは100%偏見なんですけど、「あなた」を「貴女」と書くやつはヤバいという経験則がまた深まった。Aは最初の激昂以降、文面ではわたしをずっと「貴女」呼びしてきた。なんなんだろうね、これ。
以上です。
Aからのメッセージのスクショは今もすべて保存してあるが、これを書くにあたって読み返すことはしていない。それらの内容は今もわたしのトラウマであり、見ることに苦痛を感じるからだ。よって、時系列などに誤りがあるかもしれない。もちろん、Aのプライバシーのために意図的にフェイクを交えている部分もある。併せてご了承ください。詮索は避けていただけると幸いです。
須藤とその友人のプライバシーに関しては、いろいろあってわたしとのTwitter上での交流は今は絶えているので、さほど心配はしていない。しかしこちらも詮索はご遠慮ください。
Aへ
最後に、この文章を読んでしまったAへ。あなたの課題は、わたしのような人間に執着しないことであるはずなので、本来この文章が目に触れている時点でおかしい。しかし、人間だから好奇心に負けて見に来て、好奇心に負けて読んでしまうことはあるでしょう。勝手にわたしの言い分ばかり書いて、申し訳ないとは思っています。あなたは4年前、「わたしのことをブログに書いたら許しません」と送った翌日に、「やっぱり書くのはあなたの自由だから書いていいよ」と送ってきましたよね。だから一応許可は出ているとも考えられるのですが、あの数日間のあなたは極度の混乱状態にあったと思うので、この言葉をどれだけ真に受けていいのかは迷うところでした。それでもわたしは書くことを選びましたが。また、混乱状態にあったとはいえ、あなた自身の言葉なのだから、責任能力ある大人の言葉として扱うのが友人(あの時点ではわれわれはまだ友人でした)とも思います。
それともあなたは、好奇心でついついこのブログを訪れるのではなく、今はまったく平静に、単なる読み物として読んでいるのでしょうか。そうであれば、わたしへの思うところも4年前とは大きく違っていることと思います。そんなあなたの言葉に、正直興味はあります。しかし、4年前のような濃密なやり取りをしたいとはもう思いません。今のわたしの生活に、そのような余地はありません。わたしは4年ぶんの経験をし、4年ぶん歳を取りました。本当にいろいろなことがありました。それはあなたも同じで、わたしの知らないさまざまな経験を積み重ねていることでしょう。あなたが、わたしの知らないところで、あなた自身でいられる、誇りある生を生きていることを願います。 呉樹
*1:現X。2019年当時はTwitterという名前だったSNS。