敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

鬱とソファと、時々ベッド

 

 

 

水族館のウミガメ。

 

 

精神状態が悪いときの先生は、眠ることができなくなる。

それは必ずしも、不眠になるということではない。眠気はあったとしても、意思でもって寝る体制に入ることができなくなるようだ―― すなわち、ベッドに横たわるまでのさまざまなプロセス(風呂、着替え、歯磨き、日中過ごしている部屋を出て寝室まで歩いていくなど)ができなくなるのだ。眠る決断ができなくなる、と言ってもいいかもしれない。そんなときは、狭いソファで身体を丸めて、薄いブランケットだけをかぶって、気絶するように意識を手放すことになる。なお、言うまでもないことだが、すべてはわたしから見た推測なので、実際の機微は違う可能性も大いにあります。

なにもしなくていいからせめてベッドで身体を伸ばして温かくして寝てほしいと、書生として思わずにはいられないが、それは先生も重々承知だろうから、なにも言わないようにしている。ベッドに横たわるまでのプロセスの、どこにどのようなハードルがあるのかは、他人にはわからない。先生だけが知っていることだ(あるいは先生にもわからないのかもしれないが)。

ともかく、ソファではなくベッドで眠ることができた日は、それだけで祝うに値する日なのである。

 

 

 

朝、わたしは6時20分に起きて朝食を用意する。先生がベッドで寝ることに成功した日は、6時25分ごろに足音が聞こえてくることが多い。そして、キッチンがある部屋の扉が開いて、先生が現れる。おはようございますを交わす。この時点で、もうその日は百点満点と言ってもいい。なんてったってベッドで眠ることができたのだから。

二人で食卓について、朝食を食べる。猫が足元にまとわりつく。

 

いつも通りの朝は、いつも訪れるわけではない。

 

明日もわたしは、6時20分に起きて朝食を用意するだろう。未来は、見ようとして見えるものではない。凡庸な日常を積み重ねた先に生じるものだと思っている。