敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

獣たちの冬時間

 

 

 

冬が来ている。家の外にも、内にも。

 

曇天の白い空と木々。

 

鬱のときの先生は他人を寄せ付けない。手負いの獣が傷を癒やすように、独りでソファーに丸くなって、押し黙っているか呻吟しているのが常である。そんなとき、もう一匹の獣である猫は、先生がかまってくれないので、自然と書生の部屋に入り浸ることになる。

猫は前脚と鼻先を使って器用に扉を開ける。わたしが机に向かっているときは椅子の下をうろつき、わたしがベッドで休憩しているときは布団の中に潜り込んでぴったりと寄り添ってくる。

 

猫を撫でているところ。

 

手負いの獣はしゃべらない。小さな獣は元より言語を解さない。物言わぬ生き物たちの気配だけを感じていると、わたしの挙措も、自然と同調して静かになる。遠くから電車の音が聞こえる。灯油の移動販売車が童謡を流しながら近づき、そして遠ざかる。家中の時が止まる。

 

 

 

なにはなくとも日は沈む。

夜になると、わたしはキッチンに向かう。先生がいるソファはキッチンから見える位置にある。夕飯を食べられるか否かを問うと、首だけが縦または横に動く。

 

夜空。

 

生きるために食べて、食後の薬を飲む。

 

生きたくなくてもそうする。そうしなければならないから、そうする。食べて、飲んで、手負いの獣は再び丸くなって傷を癒やす。癒えなくてもそうする。わたしは、最低限の後片付けをして、電気を消して、キッチンを去る。

 

そんな、とある冬の日の休日。

止まった時間を、止まったままでやり過ごすしかない日の話。