敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

近況:わたしを捕えた福祉と黒い塊について

 

 

 

2月ごろから精神状態がよくない、と、ただそれだけのことを書くのにずいぶんと時間がかかった。自分の苦痛がまざまざと生々しく伝わるような、文学的な、修辞的な表現をあらわしたいと、高望みをしているうちに5カ月が過ぎたのである。いまのわたしの脳みそではそのような巧みな文章は到底書けないと、ひとまずの諦めがつくまでにこれだけかかった。5カ月の間にも状況は改善せず、ブログの更新頻度は減り(わたしは自分の文章を気に入っているので、悲しいことである)、ツイートの内容は薄くなり(これは比較的どうでもいい)、薬は増えた。それでも、生きるしかないから、生きている。

 

***

 

朝起きる時間は決まっている。なんとか起き上がって、朝食を用意して、先生を起こして、食べる。

どうにか朝食を終えて、午前中はずっと横になっている。いまのわたしのアルバイトは12時始業なので、幸いにもこのような時間の使い方が可能なのだ。

横になっているときのわたしは、内も外も人間らしい形はしていない。コールタールのようなねばねばした黒い塊に覆われて、布団に貼りつけられている。もはやわたし自身がコールタールなのかもしれない。

足元では、猫が寝ている。猫はわたしの部屋を気に入っているようで、一日の大半をわたしのベッドの上で横になって過ごす。

 

丸まって眠るキジ白猫。

 

そんなわたしの部屋を、先生が在宅勤務の合間に訪ねてくる。扉を開けて、わたしと猫を見て、「あら、またコロコロしてるの」と、やわらかくほほえんで、猫のお腹を撫でて、たまににおいを嗅いで、ついでにわたしにも二言三言話しかけては、仕事に戻る。

午前中から横になっていても、先生はもちろんわたしを責めたりはしない。

先生に話しかけられているときだけ、わたしは黒い塊から人間に戻る。

 

 

 

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かねてより申請していた精神障害者保健福祉手帳が届き、国のお墨付きの障害者になった。

この国において精神疾患の診断名は、治療の都合上の便宜的なもの、あるいは、申請主義の福祉支援に対応するためのものでしかないと、常々思っている。わたしにはたまたま、わたしの痛みをうまいこと国にプレゼンできるだけの気力があった。そしてわたしの痛みはたまたま、国のお墨付きを得ることができるタイプの痛みだったというだけのことだ。

このお墨付きに安堵してはいけない、と思う。わたしは、痛みを訴えるすべを持たない者の側、おおやけに認められない痛みを抱えた者の側でいたい。わたしに手帳を与えた役所の別の窓口では、痛みをプレゼンし損ねた者、お墨付きを得られない痛みを抱えた者が、今日も追い返されうなだれているはずだ。安堵ではなく、開き直りでもって、手帳による恩恵を享受していけたらと思う。

 

空。