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コロナ時代に読む『八甲田山死の彷徨』、あるいは大いなる物語に飲み込まれることの恐怖

 

 

 

文庫本表紙。

 

新田次郎『八甲田山死の彷徨』読了しました。雪山の寒さ自体は分け隔てなく人体に影響を与えるけれど、力尽きる順番は決して平等ではない。極寒の露営地で、焚火に当たることができたのは将校クラスの者だけ。“この夜も死の序列はその階級序列におおむね従っていた”(P.203)という一節が重くのしかかる。ウイルスによる社会機能不全の影響も、おそらくは。なお、「将校クラスの者」とはべつに麻生太郎や安倍晋三のことではないだろう。学生で、独居とはいえ被扶養者の身分で、今日明日の食に困るほどは貧困でなく、立派な屋根つきの寝床を持っているわたしもまた、将校の側であろう。そこは勘違いしないでおこうと強く思った。

 

2020年4月に本書を読んだ人間として、日本の現状と重ねたくなるポイントは他にもたくさんあったが、いまは、現実を「それっぽい」物語と同一視して「それっぽく」語る手法自体への警戒心が先立つので、とりあえずはこれくらいにしておきます。政府の仕事をシン・ゴジラやらエヴァやらと重ねてはしゃぐノリに、方向は正反対だけど接近してしまう気がする。本書はあくまでフィクションの小説であるし、史実としての八甲田雪中行軍遭難事件自体からして、そのわかりやすいセンセーショナルさで、物語消費に近い受け止め方をされているように思う。ほん怖やアンビリバボーみたいなノリ。三毛別羆事件のWikipedia超怖え~~とかと一緒ですね。YouTube上では、流行りの漫画動画まで作られ、そこそこ再生されています。アップロード日は2020年4月9日。明らかに、いまの政府を八甲田山の軍部と重ねて語る声が増えてきたことの影響でしょう。

 

youtu.be

 

うちら日本人は(大きな主語)、叱られるのは嫌いなくせに、ドラマチックな過去の悲劇をバーンと突きつけられて、センチメンタルな部分をぐりぐり掘り起こされて自己投影させられて、「これはお前たちの物語でもあるんだ!」とか有無を言わさずお説教されるのは意外と好物ですからね。 過去は絶対に変えられないので、変えようとする努力(奴隷根性が一番苦手なものですね)をする必要がないから、気が楽なのかもしれません。

過去の物語には、後世の手によって因果関係が見い出され、起承転結が与えられますが、リアルタイムの現実にはそれがない。現実の悲劇は、きっかけも定かではないままぬるりとはじまって、収束したという確かな実感もないままぐだぐだと過ぎ去ることでしょう。50年後の『映像の世紀』では、「2020年3月、パンデミック前夜。日本人は、迫りくる危機から目を逸らすかのように、酪農家を支援するという名目で、蘇という牛乳菓子の製造に熱中しました」なんていうナレーションが流れるのかもしれません。加古隆の重厚なメロディーに乗せて。ただ、今のわれわれは、3月上旬時点のあのノリは(少なくとも個々人の意識としては)そんな大層なものではなかったことを実感として記憶しています。これを正確に記憶し続けるのはリアルタイム世代の義務です。物語に飲み込まれてはいけない。因果関係が洗練されているほど、物語は「よくできた」ものになりますが、現実はそのようにできてはいないのです。

 

 

 

いま、事実が物語化するスパンは、人類史上かつてないほど速くなっています。もう誰も話題にしなくなった『100日後に死ぬワニ』は、2020年3月20日のワニの死後数時間もしないうちに、余韻を踏みにじるように矢継ぎ早に商業展開がなされたことが反感を買って炎上しました。いまや物語は、あれくらいのスピード感でわれわれの日常に入り込んでくるのです(※ワニの漫画自体、一人のイラストレーターによって編まれた「物語」ではあるのですが、ファンはワニを一個の人格として愛でていたはずで、だから迅速すぎるコンテンツ化に拒否反応を示したのでしょう)。ワニが炎上した一連の流れすら、3月26日には人文学者によって詳細に分析されて記事コンテンツになっていました。

 

bunshun.jp

 

いまや、コンテンツにならないものなどないのです。個人の人生すらも。今日もまた、Twitter発のエッセイ漫画が続々と書籍化されています。漫画家ではない素人だって、ちょっと面白い出来事を見つけたなら、即座に140字の物語にして発信することができます。うまく物語化することができたら、瞬く間に数十万、数百万のインプレッションを得ることも不可能ではありません。

物語では、因果関係がわかりやすく提示される。われわれは、わかりやすさにはとことん弱いのです。ころっとほだされるのです。COVID-19禍による自粛にしても、感染症の恐怖よりも経済的な不安よりも、明らかな愚策に従わされている不条理感こそがなによりも苦痛だと感じている人は多いはずです。人間は、内心の意に反したことを強いられるのが一番つらいのです。精神的なマルチタスクだから、脳のリソースを食われて落ち着かないのです(得手不得手の度合いには個人差がありますが、基本的には人間の脳はマルチタスクが可能なようにはできていないことが科学的に証明されています)。

 

現状を、スマートな官僚たちのお仕事もの映画に重ねるのが不適切なのは無論です。しかし、旧日本軍残酷物語と同一視しようとする思考回路もまた、同じ危うさを孕んでいるのではないか。根底にあるのは、同じ、わかりやすさへのやむにやまれぬ傾倒です。日本スゴいの物語を選ぶか、日本ヤバいの物語を選ぶかの違いだけで。この理不尽な、先の見えない自粛自粛の日々に、明確なすじみちを欲しているのです。いまの政府を見ていて本書(ならびに、本書を原作とした映画作品)を連想した個々人にそのような意図は一切なかったとしても、大きな流れの結果としてはそうなりかねない。賢者であろうとするならば歴史から学ぶことは必要です。しかし、この『八甲田山死の彷徨』を歴史の教材と位置付けるのは、個人的には躊躇われました。

いまの日本が、199名の死者を出した青森五聯隊と同じ愚を犯そうとしているのは、実際のところ間違いないでしょう。それでも今は、わたし個人としては、物語に飲み込まれないためのパンプアップだけを黙々と続けていたいところです。強いて古い小説を引っ張り出してきて積極的に自己投影せずとも、大いなる物語は、遅かれ早かれしめやかに、巧妙に供給されてくるのですから。あるいは、すでに抗いがたく侵されているのかもしれません。わたしが気づかないうちに。疫病のように。

 

 

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