敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

低気圧と官能

 

 

 

曇天の夕方の空。

 

 

雨の日は官能が鈍る。わたしからわたしが剥がされ、奪われていく。重く垂れ込める沈黙だけがやかましく、わたしを生あたたかく縛りつける。

この重苦しさは単なる、低気圧による脳貧血の症状だ。雨がやめば―― 安っぽい比喩ではなく、実際問題として晴天になれば―― 消え失せる。一刻も速く消え去ることを望むと同時に、この生ぬるい沈黙に犯され腐っていくのも悪くないと、思わないこともない。

 

低気圧は、頭痛や息苦しさや倦怠でもってわたしを支配する。その間、わたしの感受性は普段のパフォーマンスを失い、視界は単色で塗りつぶされる。それは無駄時間でもあるが、世界の美しさから辛うじて目を逸らしていられる貴重なロスタイムでもある。そういう意味において低気圧は、酒や、カフェインや、(わたしはあまり好まないが)煙草と似ている。喉が焼けるほど甘く調合したシーシャや、舌が痺れるほど濃厚なチャイも、似たような働きをしていると思う。一部の向精神薬も、あるいは。

 

それでも、いつまでもこの単色の世界に甘えているわけにはいかない。わたしがキャパオーバーを起こそうとも、事実世界はこのように美しく在るのだから。わたし個人の不甲斐なさのために、目の前の景色を矮小化してはいけない。そう思い至る頃には、低気圧は去っていて、わたしの視界は色彩を取り戻す。世界は、あまりにも多彩な音、匂い、色彩でもって、再びわたしを打ちのめす。わたしはいつも敗北する。そんなわたしを毎度のように立ち上がらせるのもまた、世界の美しさである。わたしの好奇心や探求心は常に、まだ見ぬ本、映画、音楽、有形無形の新しい景色をわたし自身に供給する。まだ見ていたい。もう見たくない。常に引き裂かれている。

 

 

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