敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

世界とイカのバター焼き

 

 

 

それは突然やってきた。

 

金曜日の夜。勝手に上がり込んでいた、付き合いの長い友人の家。仕事から帰ってきた彼は、目が覚めるような新鮮なイカを4匹ぶらさげていた。仕事が定時に終わったから、夕方の早い時間に閉まる市場に寄ってきたのだという。

 

生のイカ。

 

人工物で溢れかえった部屋に、突如舞い降りた有機体。

散らかったワンルームはすべてが雑然としていて、色と色、形と形が混ざりあって曖昧な地層を形成しているが、4匹のイカは、この部屋に不釣り合いなほど明瞭な輪郭線を主張している。ここだけ世界の解像度が高い。無限ピクセル×無限ピクセル。

生物は決して不規則な存在ではない。生物は、内なるセオリーに従って規則正しく生存している。持ち主が常に整理整頓していないとすぐに散乱してゴミと化してしまうのは、むしろ無生物のほうである。意志の力でおのれを制御してようやく社会適応しているわれわれは、イカよりもゴミに近い存在なのかもしれないですね。あるいは、生物としてのキャパシティを越えるほどに複雑な社会を形成してしまった種族の末路を体現しているのでしょうか。

 

精緻な肉体に、友人は容赦なく包丁を入れていく。捌く手順をスマホでググって、両手が塞がっている彼の代わりにわたしがスクロールする。イカの捌き方すら知らない無知で軟弱なわれわれですが、別の誰かがアップロードしてくれた情報にアクセスして知識を得ることはできるのです。今やインターネットは外付けの脳味噌。あるいは、人間一人ひとりが集まって、巨大なべつの生き物の脳味噌を形成しているのかもしれない。いずれにせよ、個々人は脆弱だが集まると強い、これが人間の生存戦略。

 

シンプルにぶつ切りにして、たっぷりのバターで炒めて、塩コショウをふったものがこちら。

 

炒めたイカ。

 

最高の白米のおかずでした。ごちそうさまでした。

 

わたしはイカの捌き方を知らないどころか、自力ではイカを捕まえることもできないわけですが、社会のシステムに則って、定められた金額を払えばイカを贖うことができる。わたし以外の誰かが作り上げたシステムの恩恵を受けて命を繋ぎ、システムを利用することで自らもシステムの一員となる。ただ生きているだけで、人としての役割を果たしているわけです。しかし、もう一歩踏み込んで、もうちょっと能動的にシステムに関与することもできる。たとえば、誰かがイカの捌き方をアップロードしていたおかげで、今夜の食材がつつがなく調理できたように。わたしという個体の生きた道も、意識的にアウトプットすることで、ほかの個体の生き方の参考になったりならなかったりするだろう。そのアウトプットが、美しきイカの肉体のように解像度の高いものであれば、なおさら価値がある。このブログも誰かの食卓の潤いになっていたらいいなと、そんなことを思う、2020年1月24日のイカのバター焼きでした。