19歳はドリアン・グレイの夢を見るか?

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6月の初め、すっかり夏めいた快晴の日に、最近親しくなったばかりの友人と演劇を観に行った。
待ち合わせの駅前では何かのイベントをやっていて、高校生たちが大鍋で野菜スープを作っていた。先に着いていた彼はすぐにわたしを見つけてくれた。目敏くて、よく気が利いて、よく笑いよく喋る彼は19歳。食事をしながら「身長が低いせいで女の子に異性として意識してもらいにくい」なんて話をする彼の頭は、わたしより8センチ下にある。

19歳は演劇初体験である。東京の若手と地元の実力者が集ったその舞台はやや強気のチケット価格で、それだけに会場の構えや受付案内の手際などはしっかりとしており、物々しさすら漂っていた。その雰囲気一つ一つが彼の高揚を煽っていることがよくわかった。開演までの時間、わたしはその前週に足を運んだ現代アート展の話をし、彼も春休みに行ったという美術館の話をしてくれた。有名絵画のレプリカを展示する美術館で、彼は写真をスクロールしながらこれはゴッホ、これはモネと一枚一枚指し示した。

3時間に及ぶ舞台は素晴らしいものだった。クライマックス、泣き声が聞こえて隣を見ると、19歳はぽろぽろと涙を流していた。初めての演劇体験がこれである彼は幸せだったと思う。その彼の貴重な記憶の傍らにあれたわたしも、また。

客電が点いてもまだ泣いている彼と、自然な流れで抱擁を交わした。ロビーに出て役者さんと会話し、わたしと彼と主演俳優の3ショットも撮ってもらった。そのままそこらのベンチに座って感想を語りあい、夕飯までに帰らなければと言う彼を駅まで送って慌ただしく別れた。わたしは彼にあげるつもりだったお菓子(もらいもので、沢山いただいた割に賞味期限が短く誰かに分けたかったのだ)を渡しそびれたが、渡さなくて正解だったと思う。余計なものは入れずに、演劇の余韻だけを持って帰るのが一番いい。


今は6月の中旬。梅雨を迎えて、あの快晴の日曜日が嘘のように雨天の日々が続いている。先日は1人で別の演劇を観てきた。高校生役の女性はハイソックスをはいていたが、あの日の駅前の女の子たち含め最近の高校生女子はおおむねクルーソックスだ。フィクションの高校生だけが皆ハイソックスをはいている。

19歳とわたしは今のところ、フィクションのような2人でいる。2人きりで遊んだ一度目の外出は、わたしの友人である作家の個展だった。ピアスを開けている私と私以上に全身穴だらけの友人は、ピアス談義に花を咲かせ、19歳は眼を白黒させていた。個展のあとは喫茶店に連れて行った。一見で入ることはまずない隠れ家的店構えの、ギャラリー併設カフェバー。二度目の外出が、今回の演劇。三度目にはサーカスを観に行く予定でいる。四度目以降はまだ決まっていない。


わたしと19歳の話を聞いたある友人は、「彼にとって、あなたは何らかのイデアなんだね」と言った。
わたしは彼のイデア。フィクションのようなわたしたち。わたしのような人間ですら誰かのイデアになれるのだから、年月の力は偉大である。
年齢を重ねる中で、誰かの初体験を見届けたり、誰かに教えたり指導したりする機会が増えていく。それは、一年経ったら身体が一歳老いるのと同じくらい自然な増え方だ。
一年老いたら一年分、年長者の立場へ押し上げられる。否応なく、と形容したくなるくらい強引に。年月の流れに恐怖する。この恐怖が始まったのがいつからかは記憶にないが、少なくとも19歳のわたしにはそんな感情はまだなかった。彼はどうだろう。

わたしはいつまで彼のイデアでいられるのか。
彼にとってわたしがイデアでなくなる日を、わたしは恐れる。イデアでなくなったとて、瓦礫の下からはすぐに新たな関係性が芽生えてくるとはいえ。


梅雨が明けたら盛夏が来る。彼にとっては10代最後の夏でもある。嫌になるくらいフィクションみたいな夏を、19歳と過ごしていく。