過去記事の続きです。
榎本マリコの装画はなぜ求められるのか
前回の記事では、韓国発のフェミニズム小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の流行以降増えたように感じられる「顔のない女性のイラストが表紙のフェミニズム本」およびその関連書籍を収集した。改めて書いておくと、チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国で社会現象的なブームを巻き起こしたのち、日本では2018年12月に発売されてヒットした。映画化・文庫化もされ、近年最も話題を呼んだフェミニズム関連書籍の一つといってよいだろう。
日本版の装画に採用されたのは、画家の榎本マリコの既存作品である。
キム・ジヨンのヒット以降、榎本マリコ装画の書籍は明らかに増えた。2023年11月25日に発売された榎本マリコの最初の作品集となる『空と花とメランコリー』は、キム・ジヨンの装丁担当者の名久井直子がデザインしている。帯の「今を生きるすべての女性に捧ぐ── それは誰でもなく誰でもある肖像」という惹句は、榎本マリコの作品が数多のフェミニズム本に求められた理由を示していると言えるだろう。榎本マリコの作品は、女性の顔を花で覆ったものが多い。花は従来的な女性らしさに紐づけられる一方で、メインの女性の顔を隠すことでSNS的な匿名性と不穏さが演出され、規範の攪乱を予感させる。その控えめな逸脱性は、「らしさ」の呪いから自由になろうとしてなりきれない、現代を生きる女性たちのムードにマッチしたのではないだろうか。
しかし、こうも連発されると、名前のある生身の女性を没個性的に匿名化するクリシェのように感じられてくるのが正直なところだ。もちろん榎本マリコ氏に非はなく、榎本マリコ(的な絵)に頼り続けるのが問題なのだ。榎本マリコ作品の写実的で優美なタッチはおおむね万人に好まれるし、花というモチーフもわかりやすく美しく、また顔を隠すことでキャラクターが限定されないので小説にも使いやすいと思われ、装画としてキャッチーではあるのだろう。それは素人目にもなんとなくわかるが、キム・ジヨンから6年も経った今なら、もう一歩踏み込んだ表現があってもいいのではないかと読者としては思う。
今回も、前回の記事に寄せていただいた情報をもとに、引き続き「顔のない女性のイラストが表紙のフェミニズム本」および関連情報を収集した。フェミニズム関連ではない本や男性表紙、映画ポスターにも触れている。
顔のないイラストが表紙の本
1.妻のオンパレード The cream of the notes 12
発売:2023.12.15
講談社文庫
著:森博嗣 装画:杉山真依子 装丁:鈴木成一デザイン室
ジャンル:エッセイ
ミステリー作家森博嗣のエッセイシリーズ、現時点での最新刊。
装画は杉山真依子の既存作品。
😺装画に作品を提供しました。
— 杉山真依子 (@maikosugiyama) 2023年12月18日
『妻のオンパレード』
森博嗣 著 / 講談社文庫
装丁:鈴木成一デザイン室 pic.twitter.com/nIOgt8RB08
ちなみに、2014年12月12日発売のシリーズ第4作『つぼねのカトリーヌ』も、顔のない女性のイラストが表紙であった。
公式のあらすじには「実は、僕の研究室にいた秘書さんが、カトリーヌという渾名だった――。」とあり、装画の女性はそのカトリーヌなる秘書を表していると思われる。秘書は女性就業者が多く、本来の事務補助業務のほか、給仕や気配りなど、従来的に女性ジェンダーに紐づいた役割を強く要請される。森博嗣が秘書カトリーヌと働いていたのがいつのことかは未読なので存じ上げないが、装画の女性の髪形はかなり古風である。ここには秘書職女性のイメージが反映されているのではないだろうか。
『つぼねのカトリーヌ』の装画はササキエイコ、装丁は鈴木成一デザイン室。2014年発売なのでキム・ジヨンとは関係がない。
2.男性性を可視化する――〈男らしさ〉の表象分析
発売:2020.2.17
青弓社
編:神奈川大学人文学研究所 編著:熊谷謙介 装丁:神田昇和
ジャンル:人文書
男性学方面のフェミニズム関連書には顔のない男性のイラストが採用されている。H・G・ウェルズの『透明人間』の表紙にも採用されていたマグリットの作ではないかと思うが詳細不明。わかる方は教えてください。
公式によると「社会のマジョリティであるために、透明人間のように『そこにいる』のに語られない、男性性を次々と明らかにしていく表象分析」の書であり、装画はそのものずばり透明人間である。
3.彼女の名前は
그녀 이름은
発売:2020.9.18
筑摩書房
著:チョ・ナムジュ 著 訳:小山内 園子、すんみ 装画:樋口佳絵 装丁:名久井直子
ジャンル:小説
『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョ・ナムジュによる短編小説集。セクシュアルハラスメントに遭った女性が登場するなど、キム・ジヨン同様フェミニズムをテーマにしている。装画は、キム・ジヨンほかの榎本マリコ作品とは違って群像なので一見した印象は異なるが、やはり顔のない女性のイラストである。
装丁はキム・ジヨンと同じく名久井直子。装画は樋口佳絵による描きおろし。
小山内 この本の装丁は名久井直子さん、装画は樋口佳絵さんですが、この本のために描き下ろしていただいた絵を最初に見たときは、すんみさんと一緒に、ほぼ泣かんばかりで。
すんみ そうですね。ハサミで布を切っている人、鳩に助けられて布を取っている人、ろうそくを手に持っている人、うずくまっている人、お祈りをしている人など、一つ一つの絵から様々な物語が見えてくるようですごく好きです。
4.絶縁
発売:2022.12.16
小学館
著:村田沙耶香、アルフィアン・サアット、ハオ・ジンファン、ウィワット・ルートウィワットウォンサー 、韓麗珠、ラシャムジャ 、グエン・ゴック・トゥ、連明偉、チョン・セラン
訳:藤井光、大久保洋子、福冨渉、及川茜、星泉、野平宗弘、吉川凪
装画:趙文欣 装丁:川名潤
ジャンル:小説アンソロジー
アジアの9都市9人の作家による異色のアンソロジー。出版の経緯は小学館のサイトで読むことができる。それによると、『フィフティ・ピープル』などで知られる韓国の若手作家チョン・セランの発案で開始したプロジェクトだという。
『フィフティ・ピープル』もまたフェミニズムをテーマとした作品であり、翻訳はキム・ジヨンも手がけた斎藤真理子である。『絶縁』も、フェミニズムの文脈から生まれた作品であると思われる。
装画の趙文欣(Zhao Wenxin)は中国・上海生まれのアーティスト。2019年に来日し、多摩美術大学で学んでいる。
装丁の川名潤は、前回の記事で取り上げた横道誠『ある大学教員の日常と非日常 障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』も手がけている。こちらの装丁は榎本マリコ。
村田沙耶香作品では、2018年8月31日発売の『地球星人』が顔のない女性のイラスト表紙である。あらすじには「地球では『恋愛』がどんなに素晴らしいか、若い女はセックスをしてその末に人間を生産することがどんなに素敵なことか、力をこめて宣伝している。地球星人が繁殖するためにこの仕組みを作りあげたのだろう。私はどうやって生き延びればいいのだろう――。」とある。フィクションの形でロマンティックラブイデオロギーを相対化する内容であると思われ、フェミニズム関連書籍と言えるだろう。キム・ジヨン以前なのでキム・ジヨンとは関係がない。装画は岡村優太、装幀は新潮社装幀室。
新潮社装幀室は、前回の記事で取り上げたように、オルナ・ドーナト『母親になって後悔してる』とペギー・オドネル・ヘフィントン『それでも母親になるべきですか』を榎本マリコ装画で作成している。2冊の作者は異なるが、明らかにキム・ジヨン以降のフェミニズム関連書籍としてPRされている。
【BOOKCAFE】《『射精責任』コーナー》
— 甲南大学生活協同組合(甲南大学生協) (@KONANCOOP) 2023年12月8日
ペギー・オドネル・ヘフィントン 『それでも母親になるべきですか』(鹿田昌美訳/新潮社)、入荷しています!
この装丁、やっぱり『母親になって後悔してる』と並べたいですよね。是非お立ち寄りください。 pic.twitter.com/InRyxbuYrm
顔のない女性の映画広告
5.アシスタント
\本日公開/
— 映画『アシスタント』𝟲.𝟭𝟲 𝗳𝗿𝗶 - 𝗡𝗼𝘄 𝘀𝗵𝗼𝘄𝗶𝗻𝗴 (@theassistant_jp) 2023年9月16日
◯ 𝟵.𝟭𝟲 𝘀𝗮𝘁 〜 𝟵.𝟮𝟮 𝗳𝗿𝗶
山形県:鶴岡まちなかキネマ@machikine #アシスタントhttps://t.co/kF7P1ujy5Q pic.twitter.com/gEJn1vU3dg
The Assistant アメリカ
アメリカ公開:2020.1.31 日本公開:2023.6.16
実話をもとに、新米アシスタントが映画業界で直面する性差別を描いた作品。ドキュメンタリー畑の女性監督のキティ・グリーンによる。一部の宣伝ビジュアルに、主人公の顔を消した写真が用いられている。若い女性の下働きが名前と顔を持つ人間として扱われない、映画業界の構造的差別を表現していると思われる。
6.Stopmotion
Stopmotion イギリス
2023年製作のイギリスのホラー映画。日本語情報はまだ少ないが、横暴な母を亡くして天涯孤独になったストップモーションアニメーターの女性が、ストップモーションアニメの制作に没頭するうちに精神に変調を来たし、作った人形たちが動き出してしまい……という筋らしい。
精神不安定な女性主人公、母親絡みの怨念、不気味な人形と、ホラーとしては王道の作りと感じる。ホラーのこのようなお約束の展開に対して、近年は、精神疾患を恐怖演出に用いることや女性の情念ばかりが悪魔化されることへの批判も高まっている印象だ。
母親との関係が物語の鍵だとすれば、顔が割れた卵になっていて化け物が這い出てくるビジュアルは、主人公が幼少期から母親に支配され個性を発揮できないでいたこと、そして抑圧された精神を糧に化け物を育んでしまったことの比喩だろうか。
ホラーやスリラー文脈での顔のない女性ビジュアルは、本気で探せばもっと見つかると思う。
以上、キム・ジヨン以降の顔のない女性のイラストが表紙のフェミニズム本および関連情報でした。引き続き観測を続けていきたいと思います。
まとめ第3弾はこちら。