敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

エッセイ同人誌『クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム』本文サンプル・文学フリマ東京38 販売情報・障害者割・通販・取扱書店まとめ

 

 

 

 

呉樹直己のエッセイ同人誌『クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム』について、初頒布される文学フリマ東京38のイベント案内、通販、取扱書店などの必要情報をまとめました。随時加筆していきます。

本文サンプルだけ読みたい方は目次から末尾に飛んでください。

 

【2024.5.19 追記】通販を開始しました。

 

 

 

 

1.書籍情報

 

 

クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム

A5サイズ、154ページ、1500円(文学フリマ東京会場のみ障害者割1000円。詳細後述)

著:呉樹直己

イラスト&デザイン:斉藤鳩

 

内容紹介:

鬱・ADHD・ジェンダークィア/ノンバイナリー当事者による、精神障害者ルームシェアレポ、男性ホルモン治療レポ、短歌、+α。複数のアイデンティティを横断し、アイデンティティそのものを挑発し相対化する全12章。ブログ『敏感肌ADHDが生活を試みる』を基にした全編書下ろしです。

 

序章

第一章 「先生」のこと──わたしは「自立」しているのか?

第二章 生家のこと──わたしは誰のものか?

第三章 もう死にますと泣くおまえにキャスターは見てくださいこの大きな毛蟹

第四章 余命二〇年の猫

第五章 定位家族Sの話

第六章 継承を試みる 

第七章 男性ホルモン治療のこと──ネオリベ病院のネオリベ注射

第八章 身体変化の記録──わたしはトランスジェンダーなのか?

第九章 その虹色は誰のためのものか

第一〇章 クィアネスとメンタル(アン)ヘルスを問い直す

終章 濁流を往く同胞へ

 

表紙は斉藤鳩さんに描いていただきました。ありがとうございます。

 

 

ちなみにわたしのラフはこちら。これがこんなに素敵な表紙になりました。

 

 

 

 

2.販売イベント、障害者割について

文学フリマ東京38【終了】

サークル名:呉樹直己 ブース番号:U-13(第一展示場)

イベント情報:

2024年5月19日(日)12:00-17:00(最終入場16:55)

会場 東京流通センター(最寄り駅:流通センター駅)

入場料 1000円(事前チケット or 当日チケット購入)

 

Webカタログ:

 

c.bunfree.net

 

イベント公式サイト:

 

bunfree.net

 

イベント公式X(Twitter):

 

 

取り置き受付中です。

また、当サークルでは障害者割を実施します。身体障害者手帳・精神障害者手帳・療育手帳をお持ちの方は、通常1500円のところを1000円でご購入いただけます。

性善説運用の自己申告制とし、手帳の提示は不要です。障害者割を利用される方は会計時に「手帳割お願いします」と一声かけてください。なにかを説明したり証明したりする必要は一切ありません。

 

文学フリマ東京は例年入場無料イベントでしたが、第38回となる今回から入場料1000円が必要になりました(運営のため必要な措置であることは了解しています)。よって、負担軽減措置として実施します。文学フリマ公式とは関係のない、当サークルでのみ実施する措置です。

有名人のサークルであれば嫌がらせ等あるかもしれませんが、当サークルの規模感ではあったとしてもごく少数であろうと判断して運用します。お気軽にお申しつけください。

 

文学フリマ東京38以降のイベント参加は、現時点では考えていません。

 

 

 

3.通販について

BOOTHにて販売開始しました。

【2024.5.19 追記】完売しました。

BOOTHはアマチュア作品に強い通販サイトです。匿名配送が利用できます。

 

gjoshpink.booth.pm

 

文学フリマ東京以外の場では障害者割は実施しません。どなたも一律料金です。

 

 

 

4.書店販売について

東京都・台東区の透明書店様にて販売中です。

 

 

書店アクセス:都営大江戸線 蔵前駅 A5出口 徒歩1分

 

ほかにも取り扱いを検討していただける書店様がおられましたら、gojuo.noir★gmail.comまでご連絡ください。

買切6-8割、委託7-8割にて検討中です。適格請求書発行事業者ではありません。

【2024.5.19 追記】通販分のみで完売したので、現在は募集しておりません。

 

5.電子化・Web再録について

本文を丸ごと電子書籍にしたりWeb再録したりする予定は今のところありません。当面の間、全内容をまとめて読めるのは紙の本でだけです。

一部であれば、今後のブログ記事に引用することはあるかもしれません。

 

【2024.5.19 追記】

予想を遥かに上回る反響をいただいたため、電子化もしくは増刷を検討中です。

Web再録は考えていません。

 

 

 

6.本文サンプル

 

序章

 

 書くことがわたしの使命であると信じて生きている。使命とまで言い切れるのは、自分の能力を高く見積もっているからではなく、自分の状況が恵まれていると知っているからだ。純粋な文章能力だけの話なら、わたしより優れている人はたくさんいる。しかし、創作にかけられる時間的・経済的コスト等をひっくるめた総合的な執筆環境という点ではわたしは随分恵まれているほうで、恵みを余さず活用することがわたしの使命であると捉えている。

 恵まれた環境を活用して、いろいろな文章を書いてきた。今のペンネームで出ているものだけでも、二〇一八年から頻繁に更新しているブログであったり、外部媒体から依頼されて書く原稿であったりと数はそこそこ多いのだが、いずれも基本的には一つのテーマに沿った一塊の文章であることに我ながら不満があった。当然といえば当然のことだが、ブログも原稿もタイトルや依頼テーマに沿っている。コスメレビューと題しては化粧品について書き、反トランスジェンダー差別がテーマなら思うことを書き連ねる。しかし、このようなワンイシューの、せいぜい一万字程度の短文を積み重ねても虚しさばかりが募るようになったのはいつのことだったか。クィアと呼ばれる同胞たちの文章なりセルフィーなり、「今ここにいる」という、本人たちからすると切実な叫びであるはずの自己表現に食傷の感しか抱けなくなったのはいつからだったか。この生における毎分毎秒の積み重ねで形成されたわたしという人間を、現時点においてキャッチーで、普遍性のありそうな属性で切り分けて、「不必要」な部分を捨象して提出する作業は、他者が読みやすい文章に仕上げるためにはある程度避けられない。しかし人生で一度くらい、もっと巨視的に、わたしという人間丸ごとを貫く最も広範な倫理を掘り起こすことに挑戦してみるべきではないのか。たとえば「コスメオタク」として語ることも、たとえば「トランスジェンダー」として語ることも、ソーシャルイシューとして提示する際の手つきに求められる「深刻さ」に差はあれど(言うまでもなく、今この社会では後者のほうがずっと「シリアス」である)、わたしという人間のアイデンティティの一部でしかないものを恣意的にピックアップしているという点では同じことだ。そして、現時点において普遍的とされるアイデンティティであれば、先行研究とでも言うべき偉大な先達の語りは膨大な量になり、われら力弱き後輩の語りはそれら既存の語りに容易く影響される。事実として生が多様であることは、語りの豊かさを決して担保しない。現実とは乖離した手前勝手な「あるべき姿」から外れた当事者が中傷に晒される世の中であればなおさらのことだ。わたしが過去に生成してきた自分語りの中にも、ステレオタイプの域を出ないものは多いだろう。

 もちろん、属性および付随して想起される既存の語りという補助線を用いずに、生身の人間という混沌とした存在から一本筋を見出すのは、非常に骨の折れる作業ではある。なぜアイデンティティの一部をピックアップし既存の語りを踏襲するタイプの自分語りが飽き飽きするほど流行っているかって、そうするほうがずっと簡単だからだ。そもそもまったくのオリジナルの語りなどというものは原理的に不可能でもある。しかし、ゼロか百かで不可能であるから諦めるのではなく、できるだけ属性および既存の語りに引っ張られない語りをとりもなおさず志向し続けることには、一定の意味があるとわたしは考える。本書は、わたしが人生を通じて断片的に行ってきた生の実践を、一つに統合する試みの未完成な記録である。わたしが二〇一八年から運営しているブログ『敏感肌ADHDが生活を試みる』を加筆修正した再録と、書き下ろしテキストから成る。再録部分と加筆部分は明確に分かれてはおらず、新規テキストに過去の文章を組み合わせるような形になっている。ジャンルはエッセイということになるだろう。本書のタイトルは『クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティティ・ゲーム』であり、ジェンダークィアであることと精神障害者であること、二つのアイデンティティを補助線として使用している。今のわたしのポピュラリティでは、数多の書籍の中から露出を獲得するには属性のキャッチーさに頼るのは不可避であると判断された。とはいえ中身は、すでに流布されている語りからは距離を置き、複数のアイデンティティ間を越境するような自分語りを心がけた。心地のよい裏切りのある読書となるように力を尽くしたつもりである。逆に言うと、ホルモン治療の具体的な体験談などは主題ではない。しかし主題ではないとはいえ大事な要素ではあるので、それらを求める人にも楽しんでもらえるだろう。

 

 さて、序章の最後には、わたし自身の自己紹介をしないわけにはいくまい。わたしの名前は呉樹直己(くれきなおみ)という。出生によって日本国籍を取得した日系日本人である、と一応書いておくが、本邦のエスニック・マジョリティであるがゆえに、自らのエスニシティをアイデンティティとして意識することは稀である。脳の認知機能面を除く身体に大きな障害はなく、五体満足で五臓六腑が揃っている。精神科医による診断名は持続性抑鬱障害とADHD(注意欠陥多動性障害)。精神障害者保健福祉手帳三級を取得している。手帳等級の数字からわかる以上の障害の重さの程度を、わたしから明言することはできない。マイノリティとしての苦労話に説得力を持たせるためにはある程度重いと思われる必要があるが、報連相を怠ったり締め切りを破ったりしない程度には社会性があると思われる必要があるからだ。これは、メンタルイルネルを一種のハイプとして用いているわたしのようなタイプの書き手が必ず直面するアンビバレンスであろう。ここにおいて鬱とADHDというアイデンティティはわたし個人のものではなくなり、それを聞いて社会がどう思うか、あなたがどう思うかを大いに意識したものになる。しかし、他者の視線を反映することはアイデンティティという概念の宿命であり、本来おかしなことではない。

 二〇二〇年から、兼業小説家の「先生」に養われている。先生の診断名は双極性障害で、わたしと同じく精神障害者保健福祉手帳三級を取得している。先生はわたしのブログの読者で、先生から同居を持ち掛けられた時点でわれわれは会ったことはおろかSNSでリプライを交わしたこともなかった。初対面から二カ月後に先生の家に引っ越して、かれこれ四年になる。先生が主に賃労働、わたしが主に家庭内の再生産労働を担う形で共同生活を運営してきた。生活は順調であるともいえるし、心労の連続であるともいえる。先生の目に触れるオープンな文章では前者に力点を置いて語ることが多いかもしれないし、先生の目には触れない親しい友人同士のクローズドな会話においては後者に力点を置いて語ることが多いかもしれない。先生の目に触れるとしても、SNSで短文を呟くのと、本書のような紙の書籍で長文を書くのとではまた違った語りになれる。いずれの語りもわたしの実感としては真実であり、どちらかが建前でどちらかが本音であるといった優劣はない。力点は環境によって調整され、つまりあなたに左右されて表出する。他者であるあなたはすでにわたしのアイデンティティ形成に一枚嚙んでいる。
 二〇二二年から一年間、精神科病院にクローズ就労し精神科医療の現場を経験した。労働環境は劣悪で、苛烈なハラスメントが横行していた。べらぼうに高給ではあったが、入職して一週間以内に辞めるスタッフが大半で、一年間に二〇人近くの離職者を見送った。わたしの入社面接をしてくれた先輩も、上司に横領の濡れ衣を着せられて逃げるように去った。上司は、意に沿わない人間に対しては「精神薄弱(せいしんはくじゃく)」「ADHD」「キチガイ」「外人」ほかありとあらゆる罵倒を使った。スタッフが次々辞めるだけではなく、精神科医すら入れ替わりが激しかった。気に入らない書類にコーヒーをぶっかける医師、暴れて診察室のロッカーを破壊する医師、性犯罪の罪で裁判中で改名している医師もいた。そのような環境でたった一年とはいえ勤務した経験は、相応の心的外傷とここでしか得られない知見の両方をわたしにもたらした。よい経験だったとも悪い経験だったとも、今はまだまとめたくない。

 二〇二二年から、GID科で持続型テストステロン製剤の注射を今も受けている。これは一般的に男性ホルモン治療と呼ばれるもので、性別違和を持つトランスジェンダー向けの医療的措置である。二年と少し続けて、声は低くなり、肌質は脂っぽくなり、体毛は伸びた。坊主頭にしてからは、外で「お兄さん」と呼びかけられることもある。その変化に喜びを感じつつ、それでもわたしは女性の境遇に留まって生きるつもりでいる。規範から逸脱するにしてもあくまで女性と見なされやすい範囲で、わたしはわたしのアイデンティティを表現していく必要がある。そのことは必ずしも苦痛や不本意ではない。性別違和がありつつも社会的には女性として生きると選んだことまで含めて、わたしのジェンダーアイデンティティだからだ。女性とは出生時につかまされたアイデンティティだが、長じて再度掴み直したのはわたしの意志である。だが、このままホルモン投与を続けて身体が変化し続ければ、社会的に男性を引き受けざるを得ない場面は生じるであろう。今この社会で男性ジェンダーを生きるという重労働が、果たしてわたしに可能なのか、いずれ決断せねばならない。

 自己紹介はとりあえず以上である。次章からは、わたしという人間を形成するいくつかのアイデンティティを拾い上げつつ、複数のアイデンティティを横断するような自分語りを試みていきたい。最終目標は、アイデンティティ自体を相対化し、知見として社会に還元することである。試みは完成には至っていない。この本を出したあとも、試行錯誤は続いている。

 

目次

序章

第一章 「先生」のこと──わたしは「自立」しているのか?

第二章 生家のこと──わたしは誰のものか?

第三章 もう死にますと泣くおまえにキャスターは見てくださいこの大きな毛蟹

第四章 余命二〇年の猫 

第五章 定位家族Sの話

第六章 継承を試みる

第七章 男性ホルモン治療のこと──ネオリベ病院のネオリベ注射

第八章 身体変化の記録──わたしはトランスジェンダーなのか?

第九章 その虹色は誰のためのものか

第一〇章 クィアネスとメンタル(アン)ヘルスを問い直す

終章 濁流を往く同胞へ

あとがき

 

 

よろしくお願いいたします🐢