敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

新しい靴を履いて、発達障害者は今日も街に出る。社会に紛れて、よりよい生を試みている。

 

 

 

 

そう、夏のはじめに、新しいサンダルを買ったんですよ。

 

赤いペディキュア、白黒のサンダル。


すてきでしょう。このわたしが、自分の感性に従って選んだのだから、すてきに決まっているのです。

 

 

わたしは欲望する。

世界の何割かが、わたしみたいな「健常でない」人間には部屋に閉じこもっていてもらいたがっていることを、わたしは知っている。でも、わたしは外に出たい。わたしは、わたしの欲望を肯定する。

欲望と、履き心地のいい靴だけが、わたしを自由にする。欲望はわたしの武器。

 

逆に言うと、欲望がなくなったらわたしはこの部屋から出ることができなくなるかもしれない。働きに行くこともできなくなって、餓死するかもしれない。今でもときどき、「それ」が脳裏をよぎる。そんなときにわたしを引き戻すのは案外、新しく買った靴とか、そういうちょっとしたものだったりするわけ。

 

おはよう世界。朝の光がきれいだね。今日もわたしは目覚めたよ。わたしはここにいる。わたしなりに意思を持ち、わたしなりに喜怒哀楽を感じ、わたしなりに欲望して、今日という日を生き延びている。わたしじゃない人たちがわたしの存在を認めようが認めまいが、わたしはここで生きている。

 

わたしは発達障害者だ。

この、定型発達の、定型発達による、定型発達のために作られた社会における、負け犬だ。社会のお荷物だ。

I'm a loser baby, so why don't you kill me? (Double barrel buckshot)

 

―― 大丈夫だ。二連式の散弾銃を持ち出すまでもなく、わたしは日々少しずつ殺されている。

 

それでも、生きている間は、わたしは死なない。生きなきゃいけない。

念のために書いておくけれど、これは、「生きなければならない」という義務の意味で言っているのではない。シンプルな事実として、「まだ死んでいない間は生きている」という、それだけのことだ。

生きている間は生きるのだから、生きるしかないのだ。

 

 

青空、逆光、樹木。

 


新しいサンダルを履いて。

発達障害者は、今日も街の片隅にいる。

人々の隣で生きている。

よりよい生を試みている。

 

 

 

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