花を買うことができるというのは、一種の能力だと思う。
腹が膨れないのはもちろんのこと、インテリアとしても寿命が短くて、せいぜい1週間で消えてしまう、生花。そんなものに金銭を投じるという酔狂。色とりどりの店先から、これはと思うものを選び出し、高くはないが安くもないお金を払って、家に迎え入れる。ふさわしい場所を見出だし、飾る。数日の間世話をし、看取る。
すべてのプロセスに、感性を、文化を問われる。
たまたま、今日は家に花がない。数日前にスプレーマムを廃棄して以来、切らしている。いま、とても、お花が欲しい。
お花を飾ってみせて逆説的におのれのなにかを担保しようとする卑しい心根があるのを感じる。誰もみていないけれど、自分自身に対して証明せずにはいられない。そんな夜もある。
いま、とても、お花が欲しい。
深夜1時。花を売ってくれる場所はあるんだろうか。
▼買ったきり活用しきれていない花器を今年こそ活躍させたい。まずは生け花を再開するところから。
一目惚れで花器を買った。万年筆のインクのような濃紺を帯びた黒に、シルバーともゴールドともつかない鈍色の箔がso cool。この世界観に相応しい作品を生けたい。 pic.twitter.com/41TBjP6PnZ
— 呉樹直己@求職中 (@GJOshpink) 2018年10月19日
ADHD流の、お花のある生活を維持するコツについてはこちら。