もう五カ月ほど前の出来事だが、ふと思い出したので短い日記にしておく。
造花を買う用事があり、インテリア雑貨の店に行った。よさそうなものを物色していて気づいたが、造花のいいところは、そっくりそのまま同じ花を複数持っておけることだ。本物の花は、一本一本違うけれど。
―― いや、造花だって、インダストリアルに規格化されてはいるけれど、微細なつくりのブレはある。まるごとコピーではない。完璧な複製は同一の遺伝子からしか産出できない。大雑把なそっくりさんを手軽に入手できるのは無機物だが、寸分違わぬそっくりは有機物に求めるしかないという逆転現象。
最終的に、購入したのはこちら。
ダリアとヤマシダ。色と大きさのバランスを考えて、見目好く組み合わせたつもりだ。
なおこれらは、とあるイベントで故人に捧げてきたので、もう手元にはない。
造花なのだから、店に行けば、限りなくそっくりな同じ花が置いてある。でも、彼に捧げたのはあの花だけだ。たとえば薔薇は、生まれながらにすべてが薔薇だが、献花は捧げてはじめて献花となる。
当たり前の話だけれど、そんなことを思ったのだった。