寄稿のお知らせです。クィアやフェミニズムを生活と地続きの思想として捉えるメディア・「ユニコーンはここにいる」にてエッセイを書かせていただきました。
料理をテーマにお届けしているゆにここエッセイ特集、第二回の書き手はライターの呉樹直己さんです。
— ゆにここカルチャースクール (@unicorn_ha_coco) 2021年4月30日
長らく自分の食事に気を遣う方法がわからなかったという呉樹さんが、他者との共同生活を通じて「食」の意味を捉え直した経験について書き起こします。『溶解して飯を食らう』https://t.co/hSiUTUc1st
日常生活と地続きの思想としてのフェミニズムを表現するメディア「ユニコーンはここにいる」に、日々の食卓についてのエッセイを書かせていただきました。
— 呉樹直己 (@GJOshpink) 2021年4月30日
【ゆにここエッセイ】溶解して飯を食らう(呉樹直己) https://t.co/C9rvVr4pRC
読んでいただけると嬉しいです。
「ゆにここエッセイ」と題されたエッセイ企画の一部なのですが、大いに共感した企画序文がこちら。
「あなたってレズビアンなんだ……女同士のセックスってどうやるの?」
「えー、フェミニストなの? いっつも怒ってばっかりで疲れない?」クィアであれば四六時中「性」のことを考えているわけでも、フェミニストであれば永遠に怒っているわけでもないのに、なぜかこのような問いは四六時中投げかけられています。草を食み、まとわりついてくる虻を尻尾で追い払っている最中にも、ツノばかり見られているユニコーンのように。
弊サイト「ユニコーンはここにいる」では、クィアやフェミニズムを生活と地続きの思想として捉える視線を特に大切にしたいと思っています。どのようなカテゴライズが行われたとしても、その内側にある一人一人の現実は、全て違った形をしています。「ユニコーンはここにいる」と言うために、まずはさまざまなユニコーンたち――この社会の規範から逸れる者、あるいは規範への異議申し立てを行う者――の「なんでもない生」にスポットライトを当てたいのです。
わたしの文章も、フェミニストを自認する人間の、普段の生の在り方の一例として受け取っていただければと思います。よろしくお願いいたします。
ちなみに、サムネイルに使っていただいた食卓の写真の、ボツショットがこちら。かつお節の匂いを嗅ぎつけたらしい。