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日々が、愛のかたまり。漫画『アスペル・カノジョ』感想(1)

 

 

 

以下の文章は、漫画『アスペル・カノジョ』の感想です。未読の方の興を削ぐようなネタバレはしていないつもりですが、閲覧は自己責任でお願いします。ストーリーの具体的な展開には極力触れていません。

 

 

眼鏡と、巨大な目を持つ棒人間のイラスト。

 

 

『アスペル・カノジョ』は、萩本創八原作・森田蓮次作画による漫画作品です。2019年10月現在、コミックDAYSというWebメディア/アプリにて連載中です。

 

第1話と第2話は、登録不要で無料試し読みできます。

 

comic-days.com

 

 

紙の単行本も、2019年10月現在第4巻まで刊行されています。第5巻は2019年10月9日発売です。

 

アスペル・カノジョ(1) (コミックDAYSコミックス)

アスペル・カノジョ(1) (コミックDAYSコミックス)

 

 

アスペル・カノジョ(2) (ヤンマガKCスペシャル)

アスペル・カノジョ(2) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

アスペル・カノジョ(3) (コミックDAYSコミックス)

アスペル・カノジョ(3) (コミックDAYSコミックス)

 

 

アスペル・カノジョ(4) (コミックDAYSコミックス)

アスペル・カノジョ(4) (コミックDAYSコミックス)

 

 

アスペル・カノジョ(5) (ヤンマガKCスペシャル)

アスペル・カノジョ(5) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

コミックDAYS公式によると、あらすじは以下の通り。

 

新聞配達で生計を立てている同人作家・横井の家へ鳥取から突然やってきたのは、「ファンだ」という斉藤さん。彼女は見ているもの・感じている事・考えやこだわりが、他の人と違っていて……。「生きにくい」ふたりが居場所を探す、ふたり暮らし物語。

 

物語は、斉藤さんが横井さんの家に突然押しかけてくるところから始まります。ストーリーはおおむね、横井さんの一人称独白で進行していきます。

 

斉藤さんは18歳。未成年ですが高校は中退しており、学生ではありません。肩書を付けるならば「18歳無職女性」でしかない。つまり、福祉による救済の網目から絶妙にこぼれ落ちてしまう立場にあります。

斉藤さんは、自閉症スペクトラム障害・強迫性障害・パニック障害・鬱病を患っています。精神安定剤が欠かせず、精神障害者保健福祉手帳も取得しています。また、実家では、父親に暴力を振るわれています。兄にも暴言を吐かれ、母親は辛うじて良識人ではあるものの、父親を止めるには至らず、DVに間接的に加担しています。

 

地方在住。

実家は毒親。

学校では凄惨ないじめを受け、地元の人間関係は破綻しており、友人皆無。

経済力は一切なく、障害ゆえ就労も不可能。

肉体的にも精神的にも、あらゆる面で行き詰まったと感じた彼女は、ほとんど自暴自棄のように、最後の行動力を振り絞って、大好きな漫画の作者である横井さんに会いに来たのです。

 

斉藤さんは、“(東京に来て、横井さんに)会えなかったらそのまま樹海に行くつもりでした” と無邪気に語ります。着の身着のまま転がり込んできた、帰る場所のない18歳に、どういう対応をするのが適切か。23歳の主人公は、否応なしに、いくつもの重大な決断を迫られることになります。

 

それは、介護の苦しみにも似た、終わりのない、未来の見えない、わかりやすい成果も与えられない、24時間365日継続する孤独な作業でしょう。

 

常に「決断」をし「最善」を選択する必要がありますが、その選択が真に最も善なるものだったかどうかの「正解」はどこにもありません。この、「行けども行けども手探り、すべてが不確か」な状態の苦痛はまさに、発達障害という、明確な治療法のない疾患の生きづらさそのものでもあります。達成感というモチベーションがほとんど得られないまま、それでも日々「決断」という莫大な思考コストを払い続けなければなりません。

 

もし、不正解の選択をしてしまったら。たった一つのミスが斉藤さんを深く傷つけ、自死に至らしめてしまう可能性は十分にあります。彼女は、それくらい不安的な精神状態にあります。

不正解とまではいかなくても、最善ではない選択をしてしまったら。選択ミスはポイントのように積もって、いつか閾値を越え、やはり斉藤さんの自死というバッドエンドに結実するのでしょう。何が間違いだったのか知らされることもなく、最悪の結果のみを突きつけられるのです。

あまりにも重いタスクです。

 

精神障害者と同居するとは、そういうことです。

 

 

 

「定型発達の作法」を封印した人間関係

斉藤さんにはしばしば、「常識」が通用しません。よって横井さんは、日常生活のすべての局面において「対斉藤さん仕様」の対応を模索する必要があります。ストーリーは横井さんの試行錯誤を追うことで進行していきます。

たとえば斉藤さんは、横井さんの家にアポもなく押しかけ、そのまま居座って宿泊し、その日の夜に突然リストカットを始めます。一見すると、立派な「迷惑行為」です。

しかし、それらの行動に対して、横井さんは必要以上の大騒ぎも叱責もせず、彼女の言い分を傾聴するのです。斉藤さんの突飛な言動に怖じない横井さんの分析の鮮やかさが、物語の大きな魅力です。

 

しかし思えば、程度の差こそあれ、対人関係とは常に個別的なものです。

目の前にいてわれわれと対話しているAさんは、たとえば “●歳の男性” “独身” “職業は××” などの属性を持ちます。われわれは、その属性に相応しいと推測できる、最大公約数的な対応というものを即座に想起し得ます。

しかし忘れてはならないのは、Aさんは「属性」で隅から隅まで切り刻める存在ではなく、誰とも異なるAさんその人であるということ。われわれが対話しているのは、“××の仕事に就いている、●歳の独身男性” ではなくて、あくまで “Aさん” です。われわれは、人間関係の煩雑さを緩和するために、「お作法」として「敬語」や「時候の挨拶」などのツールを使いますが、それでもやはり、対話とは本来「わたし」と「そのひと」だけのものです。斉藤さんは、「定型発達のお作法」たる常識から大きく外れています。

そんな彼女を、横井さんは、色眼鏡のないフラットな眼差しで観察します。そして、“23歳男性、漫画家、新聞配達員 etc. ” と “18歳女性、無職、自閉症スペクトラム障害、強迫性障害、パニック障害、鬱病 etc. ” の関係―― ではない、紛れもない “横井拓” と “斉藤恵” という二人なりの関係を作りあげるのです。物語は、そんな二人の淡々とした同居生活を追う形で進んでいきます。

 

事実、二人の関係はひとくちには説明できません。

斉藤さんは居候の立場なので、対等な友人と呼ぶには権力勾配がありすぎます。

恋人でもありません。横井さんも斉藤さんも、恋愛感情(そして性的欲求も)を持ち得る人物であることは早い段階で明示されます。断言はできませんが、おそらく二人ともヘテロセクシャルです(少なくとも、お互いを恋愛対象そして性の対象として意識しあっています)。将来的にはセックスを行ったり、明確な恋愛関係に踏み込んだりする可能性はあるかもしれませんが、現時点(単行本4巻時点)ではそうではありません。

アパートの隣人に関係性を問われた横井さんは、「説明に何時間もかかる関係……です」と答えます。職場の先輩に「デート中?」と訊かれた際には、「……に近いのかな? 微妙です 説明難しいです」と答えます(いずれも、それに対して斉藤さんは否定をしません)。

ここには、異性愛規範に拠らない男女の関係性を描く面白さがあります。そういう意味では、shipper的な読み方をすることもできます。関係性そのものをさまざまな角度から問い直す作業を、読者より先に、登場人物である横井さん自らが行うような物語なので。

 

また、横井さんも斉藤さんも、既存のジェンダーロールから外れた人間として周到に造型されています。「男なら/女なら~だろう」「男なら/女なら~すべき」のような、主語が大きすぎる台詞は排除されています。ヒロインである斉藤さんの容貌をジャッジする言葉も一切出てきません。斉藤さんに面と向かって告げるシーンがないのはもちろん、斉藤さん以外のキャラクターの独白にすら登場しません。

シンプルで洗練された作画ゆえに、キャラの美醜の判断はいささか難しいところです。しかし、斉藤さんの顔を初めて見たときの横井さんは「少年……? いや 少女?」と独白しているので、少なくとも、「典型的な女性らしさ」や「性的魅力の記号」を纏った容姿ではないことは読み取れます*1

横井さんが斉藤さんに「ドキドキ」する描写はさりげなく挿入されていますが(ちなみに横井さんは恋愛経験・性的経験がありません)、それを斉藤さん本人に悟らせるような言動は厳に慎まれているあたり、行き届いた配慮を感じます。斉藤さんがパニック発作を起こした際に、身体を撫でてなだめるような展開もありますが、そのような場面では、性的な気配は自然に排除されています。一方で、マスターベーションについて話し合う場面もあり、性の問題は、人と人の共同生活にともなう課題の一環として登場します。不自然に隠蔽されているわけではありません。月経痛への対処を二人で話し合う回もあります(単行本未収録。Web版においては第61話「知らない痛さ」)。

 

 

二人の関係は、決して甘いものではありません。「彼氏・彼女」のようなわかりやすい名前も、「婚姻関係」のような社会的承認によるバックアップもなく、二人の心の交流のみによって維持されている関係です。フィクションとしては心地よく感じられる反面、現実問題としては、非常に脆い状態です。精神的に弱い者同士の同居ということで、共依存的な危うさもつきまとっています。

それでも、斉藤さんがおそらく生まれて初めて得た、継続的な人間関係です。横井という人間の中に、彼女は持続的な居場所を見出だしました。

 

 

 

持続的な居場所があるということ。斉藤さんから見た「(健常者の)社会」

平穏とは、持続的であることです。持続的でないものには、いかなる安心も生じません。

 

自閉症スペクトラム障害を持つ斉藤さんにとって、この「社会」はどのように見えているのか。単行本2巻・第12話「見えてるつもり」(Web版においては第18話「見えてるつもり(前編)」)では、「赤ん坊が 肉食獣だらけのサバンナに置き去りにされてる」と説明されます。 「何がきっかけで噛み付いて来るかわからない 世の中みんな肉食獣みたいに見えてる 家族も怖い」と。

斉藤さんは、生まれてからずっと、そのような不安に満ちた世界で生きていたのです。これが、ある種のASD当事者にとってのリアルです。

そして、なんらかの「マイノリティ属性」を自覚している人なら多かれ少なかれ、この「常住坐臥、すべてが試練」という感覚には共感できることでしょう。

 

人を、属性という名の枠組みで断ずるのは愚かで、時に有害です。マイノリティは、「マイノリティという枠組み」に組み込まれることで庇護され「配慮」を受けることができますが、マジョリティの幻想に合致するマイノリティ像から逸脱すると、途端に非難されます。斉藤さんは、善良で可哀想な憐れむべき天使ではありません。共感性が低いため、悪気なく暴言を吐きますし、感情を制御することが不得手で、頭に血が昇ると人を叩くこともしばしばです。ユニークな個性と表裏一体の激しい加害性を飼い慣らす術を教わってこなかった、手負いの獣のような女性です。庇護欲や救済者願望をお手軽に満たしてくれるお人形ではない。

しかし、横井さんは、彼女の加害的な面もすべてひっくるめて、斉藤さんという人間と真摯なコミュニケーションを行います。どんな面に対しても、善悪をジャッジメントすることは後回しにして、まずは受容します。

斉藤さんは、おそらく生まれて初めて、存在を肯定されます。

 

おのれの中に、他者の居場所を作ること。

それは、誰もが無意識のうちに実践している、シンプルでクラシカルで最もありふれた、愛の証しでしょう。

 

斉藤さんは自閉症スペクトラム障害者のモデルではない

上で述べたように、斉藤さんは、コミュニケーションに課題を抱えています。しかし、それは自閉症スペクトラム障害(ASD)ゆえである、とシンプルに結論づけてしまうのは、個人的にはいささかもったいないと感じます。

医学的な話をするならば(わたしは医師ではないので厳密なことは言えませんが)、発達障害は個人差が非常に大きい疾患であり、症状は人それぞれ異なります。また、彼女が頻繁に泣き叫んだり暴れたりするのは、純粋にASDゆえではなく、二次障害として併発している強迫性障害やパニック障害の作用する部分が大きいでしょう。

 

しかし、もっと根本的な意味において、斉藤さんを「自閉症スペクトラム障害の当事者」とだけ眼差すのはもったいないと思うのです。

 

先に述べたように、斉藤さんは、善良で可哀想な、いかにも「弱者」然とした障害者ではありません。マジョリティにとって都合のいいマイノリティではないのです。こういう、素行のよくないマイノリティは、同じマイノリティ側からもしばしば煙たがられます。

 

この漫画は、ASDのなんたるかを教えるハウツー本ではありません。

斉藤恵という一人の人間が社会をどのように見ているかを、横井さんという解説者を通じて擬似体験させてくれる漫画です。

 

「マジョリティ」が思いもよらないような角度から社会を見ている人が存在しているのだと、知らしめてくれる漫画です。

 

その考え方が正しいとか間違っているとか、是非の話は置いておいて、とにかく、「世の中には、自分とはまったく違う考え方をする人が、確かにいる」という事実を、超具体的に、まざまざと思い知らせてくれる物語です。

 

横井さんは、斉藤さんと心を通わせますが、斉藤さんのものの見方に必ずしも「共感」しているわけではありません。彼はただ、日々、目の前にいる彼女と誠実な対話を試み続けます。試行錯誤を積み重ねます。泥臭い作業ですが、これが他者を受容する唯一の方法であることを、彼は知っています。目の前の他者と意思疎通を試みるにあたって、画一的な「対処法」は存在しません。年齢も性別も診断名も、結局はあてにならないのです。

 

                                           

 

ちなみに、タイトルにアスペルガーという直球の言葉が使われているのは、わかりやすいキャッチコピーとしての役割が大きいのではないかと感じます。「アスペルガー症候群」という病名は、近年の学説ではもう使われていませんし、作中にもアスペルガーという単語はほとんど出てきません。横井さんのモノローグの一部と、発達障害を知らないサブキャラに説明をする場面だけにちらっと登場します。

 

 

 

福祉による支援を受けにくい「18歳無職女性」という立場について

斉藤さんの、「18歳無職女性」という立場について補足しておきます。

20歳未満だが18歳以上であるという年頃は、中々に微妙で、福祉による支援が絶妙に届きにくいという問題があります。

 

まず、児童福祉法の保護から外れてしまいます(17歳までの少年少女なら十分な支援が受けられるかというと、実際はそうもいかないのですが、今は置いておきます)。

高校生ではないので、学生向けのサービスを受けることはできません。

夜出歩いていても補導はされずに済みますが、賃貸を借りるのは限りなく不可能に近いです。

家出した若者向けの、電話相談窓口などは存在しています。しかし、肝心の保護施設が、多くは都会にしかありません(斉藤さんは鳥取県民です)。実家という資本を失った未成年の受け皿は、驚くほど少ない。

 

こうして、支援を受けにくい立場にいる若者たちが、犯罪行為や、不本意な性交や、セックスワーク等のハイリスクな労働を強いられているという現実があります。

 

斉藤さんもまさに、福祉の網目からこぼれ落ちてしまっている存在です。家族仲が険悪であることに加えて、就労が難しいことや、そもそも一人暮らしができそうにない状態であることも、綿密に描写されています。

この周到な設定は、横井さんの選択に説得力を持たせており、ひいては作品そのものの誠実さの証として機能しています。

 

とはいえ、家出少女となし崩し的に同居することが正解か不正解かと単純に問われれば、正解ではない、と答えざるを得ないかもしれません(二人できちんと精神科に通院している描写もありますし、斉藤さんは消息不明になっているわけではなく、母親と連絡を取り合っているとはいえ)。

しかし、上記のような緻密な設定に裏打ちされて、凡百の、弱者保護にかこつけた搾取の物語とは一線を画している、とは言えるのではないでしょうか。

 

 

 

共依存恋愛漫画としてのスリル

とはいえ、横井さんがどんなに誠実に斉藤さんと向き合っていても、二人の間には権力勾配が存在しています。斉藤さんは居候であり、横井さんの胸先三寸で追い出されても仕方がない立場です。二人は、似たような生きづらさを抱えて共鳴しあっていますが、ある面では支援者と被支援者であり、真に対等な関係であるとは言えません。また、横井さんは「ちょっと精神疾患に理解が深いだけの一般人」であり、医師でも臨床心理士でもありません。彼が逆に斉藤さんに依存しているような危うい兆候も見え隠れしています。

 

ここらへんに関する、二人それぞれの葛藤は、胸に迫るものがあります。

単行本2巻・第12話「見えてるつもり」(Web版においては第18話「見えてるつもり(前編)」)に登場する、斉藤さんと同じASD当事者である女性は、自身の孤独を「私は旦那無しじゃ生きていけないけど 旦那は私がいなくても生きていける そんな劣等感と焦りが いつも愛情と同居してるの」 と語ります。これはそのまま、斉藤さんを蝕む孤独感でもあるでしょう。

横井さんの心痛は、単行本4巻・第28話「信じてなかった(後編)」(Web版においては第47話「信じてなかった④」)にて、“傷口が開いてから癒すことしかできない自分の無力さも 終わらない無間地獄と向き合わなければならない現実も 代わってやれないくせに生きることを強要している自分の残酷さも ただ悲しかった” と独白されます。

 

精神的弱者を自認している人や、精神的弱者と近しい関係を結んだ経験のある人は、各自の思い出に照らして少なからず刺さる部分があるのではないでしょうか。わたしも、大いに泣かされています。

 

 

 

来たるべき、「社会」との闘い

先の項目で、「横井という人間の中に、彼女は持続的な居場所を見出だしました」と書きました。

しかし、今の斉藤さんの居場所とて、もちろん恒久的なものではありません。実家と比べて相対的には落ち着いていられる、というだけのことです。父親にわけもわからず殴られることはない、くらいのものでしかない。

 

直近で思い当たる不穏分子は、経済的な問題です。

斉藤さんの家は、子ども二人(斉藤さんと、斉藤さんの兄)を学校に行かせたのに加えて、犬まで飼っていることを考えると、ある程度は経済的に安定していたと推測できます。

対する横井さんのアパートは、おそらく彼一人が食っていくので精一杯の状況です。収入源は同人誌販売と新聞配達であり、安定しているとは言いがたい。

経済的に行き詰ったら、横井さんは、アルバイトを増やすなり転職するなり借金するなり、なんとかしなければなりません。斉藤さんは、一時的にでも実家に帰るか、無理やり働きに出るのでしょうか。いずれにせよ、お互いに未曾有のストレスに直面することになります。

 

今の二人は、横井さんの部屋という閉ざされた繭の中で、地道な試行錯誤を積み重ねている途中です。斉藤さんは、横井さんに学んで、少しずつ社会性を習得しつつあります。横井さんも、斉藤さんの存在に励まされ、癒されています。

しかし二人とも、いつかは部屋を出て、「社会」に立ち向かわなければならないでしょう。

今後の展開を楽しみに待ちたいと思います。

 

 

以上、『アスペル・カノジョ』に関する雑感を書き連ねました。個人的に、今最も続きが気になる漫画です。興味が湧いた方は、ぜひお手に取ってみてください。

 

 

【2020.1.14 追記】

原作者・萩本創八先生のTwitterにて、第21話「東京へ(前編)」(単行本3巻収録)の一部が公開されています。

 

 

 

 

 

 

*1:斉藤さんは「美少女」ではないので、彼女のさまざまな奇行に対して「可愛いから許されるんだ」「可愛い女の子じゃなきゃ成立しないストーリーだ」という見方はやや短絡的です。しかし、若い女性であることが潜在的なメリットとして働いていることはもちろん否定できません。斉藤さんは、ネットストーキングによって横井さんの住所を突き止めています。彼女が成人男性なら、横井さんは宿泊を許さなかったかもしれません。横井さんが女性漫画家で斉藤さんが男性ファンなら、家に上げるどころか即刻通報してもおかしくない案件です。