敏感肌ADHDが生活を試みる

For A Better Tomorrow

初版購入者の皆さまへ

 

 

 

【最終更新 2024.11.30】

 

呉樹直己です。改めまして、初版をご購入くださりありがとうございます。

 

初版制作時は増刷など夢にも思っていなかったのですが、ありがたいことにご好評を賜り、この度2024年12月1日に、増補版を発行する運びになりました。これも初版を購入してくださった皆様のおかげであり、感謝に堪えません。

増補版は2024年12月1日の文学フリマ東京39で初頒布されたのち、BOOTHおよび一部書店にて販売されます。誤字を修正し、一部章を加筆しているほか、増補章として7000字ほど文字数が増えております。今回の増補にて、本書の決定版とさせていただきます。

 

 

 

初版発売時は、これが最初で最後のチャンスだと思って購入してくださった方がほとんどでしょう。そこで、公平を期すために、この隠しページを用いて、以下の2つの措置を取ります。

 

①初版限定特典の短歌の公開

詠み下ろしの短歌10首をここに公開します。ブログにも掲載していない完全新作です。第三章と同じく、先生との共同生活に着想を得て作ったものです。

 

②増補章の全文公開

増補章をここに全文アップロードします。こちらもブログには掲載していない書き下ろしです。

 

以上2つ、よろしくお願いいたします。

 

既存の章の軽微な加筆については書ききれないので省略させていただきます。申し訳ありません。

ここでも読める増補章を読んだ上で、完全版として増補版もご購入いただけるようなら、大変嬉しく思います。奇特な方はご検討ください。

 

このページは、ブログトップページにはリンクされておらず、初版最終頁のQRコードからのみアクセスできます。厳密にはGoogle検索には引っかかります。引っかからないようにしたいのですが、ITに疎くて方法がわかりません。わかる人は教えてください(他力本願)。とりあえず、Google検索対策で書名を伏字にしています。ご了承ください。

 

 

 

 

1.短歌

 

 

そうなったら人間おしまいじゃないかのそうの部分を担当します

 

 

持ち主のわからないため息は誰にも拾われぬ満員電車

 

 

産業医と主治医の間を行き来する診断書なるたかが紙切れ

 

 

つらいときつらいと言うしか能がないことが一番つらいかもしれない

 

 

プランクを3セット終え人はみないじめた肉に懺悔のポーズ

 

 

運動のためおよびいざという時のためにあります なわとびの縄

 

 

冷凍庫の底さらったら一昨年の自殺念慮が凍ってました

 

 

躁うつのうつから明けて取り換えた枕カバーは命の黄色

 

 

マフラーの切ってはいけない糸をタグごと切った 爆発はしてない

 

 

吐瀉物をとぷとぷ揺らす終電の床 懺悔なら毎日してる

 

 

 

 

 

2.増補章

引用参考文献紹介、あるいはクィアネスとメンタル(アン)ヘルスを問い直すためのブックガイド

 

 

 二〇二四年五月に初版を発行した『████████████』に関して、再び筆を執ることになるとは思っていなかった。増補版を制作する機会を得ることができたのは、一重に読者の皆様の応援のおかげである。

 増補版にて加筆した本章では、本書にて引用・参照してきた書籍の一部の紹介をする。ここまでで書いてきたようなトピックに関心がある人にとっては、書籍名を拾ってブックガイドのように使うことができるだろう。と同時に、取り上げる書籍は、一人のジェンダー/ニューロクィアであるわたしがアイデンティティ構築を試みるにあたって必要としてきた支柱であり、これらの書籍について語ることは自分自身の精神的軌跡について語ることでもある。普遍的なことと個人的なことを架橋する語りは、ここ数年ずっとわたしの関心事であり続けてきた。日本語圏インターネットにおいては、「個人的なことは政治的なこと/The personal is political」という有名なスローガンが、その正当性は維持しつつも、個人攻撃の正当化に援用されるようになって久しい。被害/加害の二項対立的ポリティクスを際限なく拡大解釈していった結果としては、当然の帰結であろう。そんな状況下で今なおこのスローガンに意味を持たせられるような語りを、わたしは常に模索している。

 いわゆる「自分語り」は、浅薄な承認欲求や自己顕示欲の発露と見なされて忌避されてきた歴史がある。「隙あらば自分語り」を意味する古いネットスラングを耳にしたことがある人は多いだろう。それでも自分語りは決してなくならなかった。中央の文壇、いうなれば男性の尺度で評価されることは少なかった(あるいは作品への評価ではなく作者本人への下世話な好奇心として、過剰に取り沙汰された)にせよ、おのれについて語る人はいなくならなかった。たとえばマルグリット・デュラスの小説『愛人 ラ・マン』や、ルイーズ・ブルジョワの彫刻作品『ママン』といった、私的な経験をインスピレーションとしていることを公言している(女性)表現者の歴史的名作に触れたときに、われわれは感銘とともに、ある種の居心地の悪さも感じてはいないだろうか。このいたたまれなさ、過剰な(と感じられる)自意識へのあてられ・ひるみこそは、今もわれわれの内にあるミソジニーである。

 そんなミソジニーがありながらも、自分語りは、男性的評価尺らは距離があるにもかかわらず、ではなく、男性的評価尺から距離があるからこそ、オルタナティブな表現手段として選ばれ続けてもきた。インターネットの発達やSNSの隆盛、日本語圏インターネットに限っていえばnoteというプラットフォームの普及に伴って、雨宮まみ、こだま、永田カビ、あるいは岸田奈美といったエポックメイキングな書き手が躍進し、出版不況といいつつ文学フリマのような軽出版イベントはそこそこ盛況で、今自分語りは爛熟の一途を辿っているといってよいだろう。

 そんな「私たちの表現手段」である自分語りが、小さくは編集者組織、大きくは国家・家父長制・資本主義といった権力構造にどのように呑み込まれ得るのかを看破したのが、生活の批評誌編集部『生活の批評誌 NO.5 「そのまま書く」のよりよいこじらせ方』であったと思っている。編集長の依田那美紀をして「この号を作るためにこの雑誌を作ってきたのだと思った」と言わしめた本書は二〇二二年五月初版発行である。かつての#MeTooムーブメントや、当時すでに「トレンド」と化していたトランスジェンダー差別を含む、私的な語りを起点としたインターネットフェミニズムをその陥穽含めて相対化するものであるとわたしは読んだ。現在二〇二四年一一月、激動のインターネットにおいて二年半という年月は決して短くないが、収録の依田の筆「幸福の表明を破る」は今なお鮮やかにわれわれを撃つ。『████████████』では直接的な引用はしなかったものの、本書は依田那美紀の影響下で制作された。『生活の批評誌 NO.5 「そのまま書く」ことのよりよいこじらせ方』を、第一の参考文献としてここに挙げる。

 

 第一章「『先生』のこと──わたしは『自立』しているのか」で引用した『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』の著者である藤谷千明も、わたしに影響を与えている。フェミニストという名乗りを引き受けている依田那美紀とは異なり、藤谷千明はわたしが知る限りはその著作の中で自らをフェミニストと位置づけてはいない。文筆のシーンにおいて藤谷をどこかに位置づけて安心したがるのはむしろ外部のほうで、「女同士の美しき連帯の証明たる女友達とのルームシェアの実践者」としての期待はその最たるものであろう。この期待を藤谷が引き受けるつもりがないことは過去の発言からも明らかである。『████████████』本文にも書いたように、藤谷が実践しているシェアハウスとわたしのそれは、人数も経済事情も大きく異なり、シェアハウスであること以外に共通点を探すほうが難しいような有り様である。本来比較対象にもならないものを、それでも例に挙げたのは、周囲からの耳障りのいい期待(物語、といってもいい)に抵抗する姿勢にわたしが親近感を覚えているからである。本人の自己認識がどうであれ、藤谷の仕事は現代の抵抗文化であり、フェミニズムに示唆を与えているとわたしは思っている。存命のフェミニストとして尊敬している人を挙げるなら、わたしは迷わず依田那美紀と藤谷千明の二人だけを挙げる。それは個人的な話すぎるって? 思い出してほしい、わたしはずっと個人的な話をしている。参照元を辿ることはわたしの精神的軌跡を辿ることでもある。書籍でなく人との出会いもまた、わたしに大きな影響を与えている。

 

 依田那美紀と藤谷千明の話を真っ先にしたかったために時系列が前後するが、序章にて引用した石川准『アイデンティティ・ゲーム 存在証明の社会学』は、本書タイトルの直接的な参照元である。冒頭末尾でやっと自己紹介をする構成も、直接的な影響を受けている。石川は逸脱論・差別論・エスニシティ論を専門とする社会学者で、全盲の視覚障害者でもある。『アイデンティティ・ゲーム』は、人種差別や障害者差別といった具体的な事例を取り上げつつ差別に内在するアイデンティティ・ポリティクスを解き明かすもので、ここで語られる排除の力学は現代における差別の事例となんら変わらないことに驚かされる。とりわけノンバイナリーへの差別を理解するにあたって、石川の「存在証明」論は非常に役に立った。初版発行は一九九二年で、文庫化もしておらず、現在は絶版のようで、入手機会が少ないのが惜しまれる。そしてここでも個人的な話をするのだが、『アイデンティティ・ゲーム』をわたしに紹介したのは、かつて在籍していた大学のI先生である。I先生は障害学生支援課の担当教員であり、出会いはわたしのカウンセラーとしてであった。関わるのは月一回のカウンセリングのときくらいで、交流は短かったが、当時わたしを生き永らえさせた人の一人である。カウンセリングはいつも予定時間を大幅に過ぎて、最後のほうはわたしの話そっちのけで天下国家を語る壮大な話になりがちであった。学生と教職員という立場上の勾配はありつつも、I先生はわたしを一人の大人として、社会を語りあう同胞として扱ってくれたと思っている。『アイデンティティ・ゲーム』は先述の通り入手機会が少ないので、I先生に教わらなければ手に取ることはなく、わたしの書くものも違っていただろう。

 

 本書のキーワードである「アイデンティティ」をタイトルに冠した書籍としては、アミン・マアルーフ著、小野正嗣訳の『アイデンティティが人を殺す』も挙げる必要がある。『████████████』では、「ある人のアイデンティティは、自律したいくつもの帰属を並べ上げたものではありません。それは『パッチワーク』ではなく、ぴんと張られた皮膚の上に描かれた模様なのです。たったひとつの帰属に触れられるだけで、その人のすべてが震えるのです」という一節を引用した。この一節こそは、複数のアイデンティティを、越境・架橋するというのも厳密には違う、複数でありながら一つの織物として語る、わたしが目指してやまない文筆の理想像であると思っている。わたしは目指している。たったひとつの帰属に触れるだけでその人のすべてが震えるような、精緻に繋がった語りを試みている。そして、またしても個人的な話をすると、『アイデンティティが人を殺す』には、Nさんという方からわたしへのプレゼントとして出会った。Nさんこそは、わたしの平凡な人生に立ち現れた、最も誇り高いトランスジェンダー/ノンバイナリーであった。わたしの書くものはNさんにとっては賛同できない部分もあると思われたが、一度だけお目にかかる機会を得られた。そんなNさんもとうの昔にXから身を引き、現在の消息は存じ上げない。賢明な人からXを去っていく。

 

『████████████』の目次の「第一章 『先生』のこと──わたしは『自立』しているのか?」「第二章 生家のこと──わたしは誰のものか?」といった、疑問形を章の名前とする形式は、トーマス・ページ・マクビー著、小林玲子訳『トランスジェンダーの私がボクサーになるまで』にヒントを得ている。この本も、「私は『本当の男(リアル・マン)』なのか?」「私は性差別主義者(セクシスト)なのか?」など、疑問形が章の名前になっている。『トランスジェンダーの私がボクサーになるまで』は、女性として生まれたが男性に性別移行をしたジャーナリストの著者が、マディソン・スクエア・ガーデン史上初のトランス男性ボクサーとしてシス男性のボクサーと闘った体験を綴ったエッセイである。ボクシングは、男らしさの極みである(とみなされている)趣味だ。女性の境遇を自らの意志で離れた著者がそこにあえて手を出すことは、男性性への過剰な憧憬、同一化、もっというとミソジニーゆえではないかとする声に抗い続ける営みを必要とする。ボクシングという一つの極限的体験を議題としつつ、これはわたしを含む女性を割り当てられたジェンダークィアに生涯つきまとう普遍的な問いでもある。われらは葛藤し続け、考え続けなければならない。男とはなにか。女とはなにか。自分はなぜ男/女であれなかったのか。自分が、単純なミソジニーやミサンドリーや現実逃避等々のゆえではなく、深慮した上で男/女として生きることをやめたのだと、外部にわかる形でそれとなく示し続けることが、現状この国でジェンダークィアに求められる強さであり、事実上の規範であるとわたしは思っている。トーマス・ページ・マクビーに関していえば、作中ではかつて継父に性的虐待を受けていたことが明かされており、読者は、この著者は性的虐待のトラウマのせいで女性性を嫌悪して男性になりたがっているだけなのではないか、「本物の」トランスジェンダーではないのではないかという疑義を容易に想起することができる。ジャーナリストである著者の卓越した筆は、その勘繰りを払拭できるだけの「重み」を勝ち得ている。これは著者が文筆のプロであるから成し得たことだ。文筆という表現手段を持たない大半のジェンダークィアがどのように「重み」を提示するかは人それぞれであるが、いずれも極めて困難な営みであることには変わりない。

 

 女性の境遇を離れた広義のトランスジェンダー/ノンバイナリーの語りとしては、本邦からは吉野靫(よしのゆぎ)『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』が世に出ている。軽く検索してヒットする吉野靫のプロフィールは、乳腺切除術(胸オペ)に際して医療事故に遭い、前代未聞のトランスジェンダー医療事故原告として二〇一〇年まで法廷闘争を闘った人物としての経歴であろう。『誰かの理想を生きられはしない』ではその裁判の話にも尺が割かれるが、著者が立ち向かった/今も立ち向かっているのは、ただの下手くそな医者ではなく、この国の医療制度・法制度の不備・矛盾である。『誰かの理想を生きられはしない』は二〇二〇年一〇月発刊だが、収録されている文章の初出は、古いものは二〇〇〇年代まで遡る。ノンバイナリ―という言葉が知られるようになる前にすでに、本邦の医療制度・法制度が当事者の多様な実態を歪める規範として立ちはだかっていることへの批判が世に出ていたことに驚かされる。現在盛んに議論されているノンバイナリー差別/ノンバイナリー差別批判の一面は、この本にてとっくに既出であると感じる。本書は、折に触れて立ち返る基本としてわたしの中にある。わたしが『████████████』の第一〇章に書いた、「とあるトランスジェンダー/ノンバイナリー当事者・研究者である人が、初の単著の書き出しを砂漠を歩く疲れ切った自己像の幻影的描写ではじめたのが、異なる背景を生きる他者の語りでありながら、著者が意図した文脈を超えてわたしの腑にも落ちる」とは、『誰かの理想を生きられはしない』の冒頭のことである。

 

 書籍ではないが他者から受け継いだ言葉についても書いておきたい。第九章「その虹色は誰のためのものか」末尾で、わたしは次のように書いた。

 

わたしは、わたしのことばを信じている。わたしのことばは今大いなる振りかぶりの最中で、いずれ数年がかりの大ぶりのカウンターとなって現代に到達し、未来を切り拓いてくれると信じている。

 

この一節は、友人の言葉を拝借している。彼のインターネット上の名前はnai‐inhexという。拝借した原文(現在では削除されている、Xの投稿)は次のようなものだった。

 

言葉は強いよ。お前の敵の顎なんぞ易々砕く。
たとえ一度負けても、数年がかりの大振りのカウンターが、お前の進む先をかならず打ち開いてみせる。

 

 nai‐inhexもまた、終章「濁流を往く同胞へ」で触れた中村と同じく、わたしの人生にたまさか立ち現れ、癒えない傷を残して去った人物である。わたしは二〇歳ごろに彼と出会い、友人、親友、家族、きょうだい、心中相手、魂の妹とも言われ、共依存的に繋がりあった時期も意識的に距離を置いた時期もありつつ、数年来途切れることなく濃い付き合いを続けていた。最後のやり取りは、二〇二一年一二月二日の昼一二時すぎのLINEである。死亡推定時刻は一三時であった。

 nai‐inhexの二七年間がどのようなものであったかは、彼が遺したブログから窺い知ることができるので、ぜひ検索してみてほしい。nai‐inhexは被虐待児であった。それも、わたしが出会ってきた人間の中で最も凄惨な身体的・精神的・経済的虐待を経験したサバイバーであった。彼は眠るのすら布団ではなく、玄関マットの上だった。冬は犬を抱いて暖を取っていた。家の庭には母親が見事な薔薇園をこしらえていたが、丹精込めて薔薇を世話するのと同じ手で、彼は夜ごと昼ごと殴られ続けた。犬を飼い、一軒家で庭をこしらえる金銭的余裕はあったのに、両親は最低限の食費・被服費すら彼に支出しようとはしなかった。世帯としては裕福であったために、福祉制度の網目も彼を掬わなかった。中卒で働きはじめ、独力で高等学校卒業程度認定試験に合格し、生家を出奔。医療従事者として就職し、学費と生活費を独力で捻出しながら大学で勉学を続け、COVID-19禍における過重労働に耐え、二七歳で自死。そんな彼の姿を近しい友人の立場から垣間見ることができたのは、わたしの人生における僥倖であったと思う。結果的に癒えない傷を負うことになったとはいえ。

 わたしは相模原の津久井やまゆり園を忘れないのと同じように、nai‐inhexを忘れないでいることができる。宇治ウトロ地区を、幡ヶ谷バス停を、立川のラブホテルを、川崎市登戸を、小田急線を、香港のダイヤモンドヒルを、ウクライナを、ガザを、この社会の歪みによって失われた命と尊厳を、忘れないでいることができる。忘れないで、書き残すことができる。わたしは自分のささやかな文章力を、一つにはnai‐inhexのことを伝えるために使うと決めている。だからブログでも散々「ネタ」にしてきたし、本書においても、増補章に突っ込む余地ができたのは幸いであった。

 触媒としてのわたしは、nai‐inhexの言葉を受け継いでいる。出会ってきた生者たちや死者たちの言葉を、受け継ぎ、積み上げる。濁流を往く飛び石として積み上げる。わたしが力尽きても、わたしより若くわたしより聡明な人が、わたしの先に新たな足場を作る。

 本書は、二〇二四年一一月時点までに積み上げた、わたしなりの飛び石である。わたしという卑小な個人をここまで歩かせた言葉たちに最大の感謝を捧げつつ、筆を置く。

 

(了)

 

 

 

 

 

増補章・読み下ろしコンテンツ含め、本書の感想をいただけると励みになります。

この度は本当にありがとうございました。