2025年11月、文学フリマ東京41に合わせて、3冊目の個人誌となる『月魄最佳 鬼滅の刃・黒死牟/継国巌勝批評×クィア男性学エッセイ×二次創作小説集』を制作した。
収録されている文章の1本目を思いついて唐突にアップロードしたのが2025年9月上旬のことである。わたしはそれまで特段鬼滅ファンらしい挙動を見せていなかったので(今も『鬼滅の刃』自体のファンであるとはアイデンティファイしていない)、SNSのフォロワーには大層驚かれた。その後も散発的な執筆を続け、断章を1冊の本にまとめる決意をしたのが9月下旬。制作期間は約1カ月半である。1カ月半で、28万字を書き下ろした。経験豊富な専業文筆家にとっては大した数字ではないだろうが、わたしのような経験の浅い人間にとっては決して少なくない文字数である。制作期間中、心身は決して快調ではなかった。外出ができず、精神科とGID科に行けなくなり、まず睡眠導入剤を切らした。よって安定した睡眠がまったく不可能になった。男性ホルモン治療も急に中断したので、ホルモンバランスは崩壊した。起き上がってパソコンの前に座ることができない日が多かったため、28万字のうち20万字ほどは布団に横たわったまま、スマホフリック入力で書いた。1カ月半で、体重は8キロ減った。
これは、体調不良にもかかわらず頑張ったという美談ではない。体調不良だからこそ余計に、書くことをやめられなかったのである。気が弱ったせいで、今まで棚上げにしていた自己の課題を持ち上げ続けることができなくなったのだ。
課題は、雪崩と化してわたしを圧し潰した。息をするためには書かざるを得なかった。無職の可処分時間を注ぎ込み、起床即8時間連続執筆、最低限の夕飯作り、夕食後に12時間連続執筆、昏倒に近い浅い眠りというループを数週間繰り返した。ただでさえ非才なのに、睡眠不足の頭でまともな文章が書けるはずもない。クオリティのためには、もっと時間を取ってじっくり書いたほうが絶対によかった。しかし未熟なわたしは自分をコントロールすることがまったくできずに、書き続けてしまった。人生の課題を、棚上げにし続けることができなかった。
男とはなにか。男として生きるとはどういうことか。男ならざる者として、わたしはどう生きるべきか。
加害者とはなにか。加害者として生きるとはどういうことか。加害者として、わたしはどう生きるべきか。
男性性と加害者性、この二つの概念は、はるか昔からわたしの生涯の課題として立ち現れていた。課題であるとの明確な自覚を持ってからの数年来、わたしがあらわす文章はすべて、この課題と戯れるものであった気がしている。
ずっと同じことを書いている。同じことを、手を変え品を変え書き続けている(正直言って商業の依頼原稿においてもこの始末であり、身勝手を許してくださっている依頼者の方々には本当に頭が上がらない。いつか罰が当たると思う)。男とはなにか。加害者とはなにか。ZINEの形式は、オリジナルエッセイであった過去2冊から、国民的少年漫画を題に取った二次創作同人誌へと表面上激変しているが、書こうとしていることは同じである。
黒死牟/継国巌勝は、男であり、加害者であった。わたしが人生をかけて執着している二点がたまたま、彼というキャラクターの最重要要素であった(と、わたしは解釈した)。
わたしは、物心ついたときにはトランスジェンダーであり、また、加害者であった。わたしの幼少期は、いわゆるヤングケアラーであったと言える。父は指定難病を患い半身不随で、母も内部疾患による身体障害者手帳1級取得者であった。母とわたしで、父の介護に明け暮れていた。父は、決して悪人ではなかったものの、父自身どうしようもない哀切な機序によって、結果的に母を虐げていた。子であるわたしも、父とは折り合いが悪かった。生家にいたころも、今も、父のことを考えるだけで呼吸が浅くなり、目の前が暗くなり、涙が出てくる。生家を出て実に12年、父が他界して3年にもなるが、今も父はわたしのトラウマとして居座っている。
母の苦境が、妻かつ女というジェンダーロールに起因していることは、物心ついたときにはわかっていた。わたしは母に自由になってほしかった。しかし母が家を出て行くとなると、わたしが一人で父の介護をしなければならなくなる(と、当時は思っていた)。それは絶対に嫌だった。わたしは介護を手伝い、母に労わりの言葉をかけながらも、内心では母に、介護要員として家に縛られることを望んだ。幼いわたしがぼんやりと思い描いていた将来図は、義務教育終了後も生家に住んで父を介護し続けて、看取って、葬儀の翌日に静かに自殺するというものであった。振り払っても振り払っても、これ以外の未来が見えない時期がかなり長かった。このバッドエンドを回避するためには、母には末永く父親を介護してもらわねばならない。
子どもの狭い視野においては、わたしはフェミニズムに加害者として出会ったのである。
加害者というものに強い当事者意識を持つようになったきっかけは、もう一つある。8年ほど前に、アルバイト先で受けた性被害である。おそらく、オープンなインターネットには初めて書く。
性にまつわる被害で性被害、という呼び名が一番しっくり来るので広義に性被害と呼んでいるが、わたしの経験は一般的には「軽微なセクシュアルハラスメント」の域を出ないであろう。主旨ではないので具体的な被害内容は記さないが、まあ誰から見ても「大したことない」ものであろう。大学生がバイト先で遭遇し得る性被害としては、もっと重篤な事例は山ほどある。実際、大したことはなかったのだ。せせら笑って受け流すことができていた。問題は、加害者である上司が、わたしに対してしていたのと同じ所業を、わたしの目の前で、4、5歳の女児に行ったことである。わたしが上司に毅然とした対応をしなかった「せいで」、無関係の子どもに被害を飛び火させたのだ。
当時のバイト先は、社員は男性ばかりの、いわゆるアットホームな地元企業であった。わたしはほぼ唯一の20代前半女性であり、セクハラはいわば、ホモソーシャルからの試し行為であった。サバサバしたお前ならこれくらいのことガハハと笑って受け流せるよね? と暗に問われていた気がする。この挑発に、わたしは受けて立つことを選んだ。加害者の上司がいる飲み会にも堂々と参加したし、戦略的に煙草を吸っていたのもこのころである。わたしは、セクハラすらもせせら笑いとともに受け流せる「強い」自己像を欲望した。「強い」自分であるという自己認識の陶酔は、苦痛を紙一重で上回った。被害は、自己決定の悦楽を彩るアクセサリーとして機能していたと思う。
しかし、わたしが上司を咎めず冗長させた「せいで」、無関係の未就学児までが被害に遭うことになったのである。具体的な場面を記述することはしないが、それは一瞬の出来事であり、わたしは凍り付くばかりで、なにもできなかった。わたしの被害は、加害に裏返り、わたしは加害者となった。
生家での経験と、バイト先での経験。どちらも根本的にはわたしの「せい」ではないことは当然わかっている。構造的に見れば「しかたなかった」として擁護可能であろう。権力勾配の中で、わたしの立場から選べる道は限られていた。
だから、わたしを裁くことができるのはわたしだけなのだ。
安易な自罰の甘美に逃避することなく、わたしは母に対して適切に罪人にならなければならない。
安易な自罰の甘美に逃避することなく、わたしは名も知らない少女に対して適切に罪人にならなければならない。
幼かったわたしの思惑、若かったわたしの行動、「しかたなさ」ゆえであるとあなたが赦すであろう所業。「しかたない」と当時のわたしが諦め、実際今考えても「しかたない」ものであったわたしの選択。わたしの選択、わたしの罪を、書きおおせる言葉を、ずっと探している。

われわれはこの社会の中に涯もなくはりめぐらされた関係の鎖の中で、それぞれの時、それぞれの事態のもので、「こうするよりほかに仕方がなかった」「面倒をみきれない」事情のゆえに、どれほど多くの人びとにとって、「許されざる者」であることか。われわれの存在の原罪性《、、、、、、》とは、なにかある超越的な神を前提とするものではなく、われわれがこの歴史的社会の中で、それぞれの生活の必要《、、、、、》の中で、見すててきたものすべてのまなざしの現在性として、われわれの生きる社会の構造そのものに内在する地獄である。
──出典:『まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学』p.73、見田宗介著、河出書房新社、2008年11月30日初版発行、2021年4月30日9刷発行 《》内傍点ルビ
