政治的なvlogとは
2024年8月からYouTube活動を本格始動しました。#政治的なvlog と題したポップな日記動画を週3、4本更新しています。
スマホ撮影による縦型vlog動画は近年のトレンドであり、 #政治的なvlog はこの形式ならではの視聴ハードルの低さ・伝播可能性を採り入れつつ、内容においては都市型消費生活に内在する批評性・政治性を可視化することを試みています。いわばわたしの生活を投じたアートプロジェクトです。
神保町&表参道買い物vlog #政治的なvlog
10.5 パレスチナ連帯デモに行くvlog #政治的なvlog
本間メイ「Women were gatherers?:女は採集者だった?」展に行くvlog #政治的なvlog
#政治的なvlog vol.1-30 街中のグラフィティ/ボムまとめ
美術館・アートギャラリー回を文字でも残しておこう
さて、そんな #政治的なvlog のメインコンテンツになりつつあるのが、展覧会の感想動画です。わたしは美術館やアートギャラリーに行くのが好きで、 #政治的なvlog を始めてからは動画で感想を残すようになりました。しかし動画形式は検索性が低く、展覧会の感想を純粋に記録として蓄積するのには不向きです。そこで、ブログでも感想を簡単に残すことにしました。
まとめ記事のシステム
独立した展覧会公式サイトがあるなら公式サイト、ないようなら会場となるギャラリーの展覧会告知ページを貼ります。加えて、アート情報メディア大手であるTOKYO ART BEATのページもあれば貼ります。心情としては個々のギャラリーの取り組みを応援したいのですが、小さいギャラリーの告知ページは会期終了後にリンク切れになることが多いので、TOKYO ART BEATも付記します。
それでは、2025年1月のまとめです。
2025年1月の行ったやつ
1.中村雅奈個展「はっぱのおどり」
カフェ&アートギャラリーday vlog #政治的なvlog
たまたまX(Twitter)で流れてきて知った展覧会。
作品の半分以上は奄美諸島の植物をモデルに描いたものだそう。過去動画で訪れた田中一村展とも繋がりを感じられてよかった。
田中一村展~奄美の光 魂の絵画~に行くvlog #政治的なvlog #東京都美術館
緑色を中心に赤色・白色・黒色を用いた配色は先からのパレスチナへの民族虐殺が影響しているという。
中村雅奈(かな)は1995年生まれのイラストレーター、画家。ノンバイナリーであることを公表している。
2.MOTアニュアル2024 こうふくのしま
会期:2024年12月14日‐2025年3月30日
会場:東京都現代美術館
「MOTアニュアル」は日本の若手作家の作品を中心に、現代美術から新たな側面を引き出す年1回のグループ展。第20回は清水裕貴(ゆき)・川田知志(かわたさとし)・臼井 良平・庄司朝美の4名が参加。
MOTアニュアル2024 こうふくのしま展に行くvlog #政治的なvlog #東京都現代美術館
2024年冬から2025年春の東京都現代美術館は、なんといっても坂本龍一展で大賑わいだった(当ブログの坂本龍一展レポは今後のまとめ記事にて)。最終的には過去最高来場者数を記録したそうだ。その陰に隠れるように開催されていたMOTアニュアル2024だが、非常によかった。わたしが最近関心を持っているポストコロニアリズムに関係している気がして軽い気持ちで訪れたが、そのものずばりな作品もあった。
サブタイトルの「しま」は、作家4名が拠点を置く「日本」の地理的条件を再定義する意図があるそう。しまを、ただ海に浮かぶ「閉じられた地形」としてではなく、海底ではほかの大陸と地続きの「開かれた地形」として捉え直すには自ずと、水面下の見えざる繋がりを考える必要がある。作家たちの作品もまた、従来の枠組みや境界を超えた視座で、周囲や自己の多義性・重層性と対峙し、世界の複雑さを引き受けようとしている。「世界の複雑さ」という言葉は庄司朝美のステートメントにも直接的に登場する(”これまで、絵を描くことを通じて世界の複雑さをどうにか飲み込もうとしてきた”)。
清水裕貴の作品は、中国・大連の星海湾と日本の東京湾を舞台に、架空の貝の一族の興亡を描く映像・音声・写真などのインスタレーション。下敷きになっているのは、朝鮮半島とロシアに近接しさまざまな国々の欲望が交差してきた遼東半島の歴史で、言うまでもなくかつての日本の植民地支配も深く関わっている。大日本帝国は日露戦争後にロシア帝国から大連の租借権を継承した。大連の海岸は満鉄の保養地として開発され、本来の地名を奪われ、日本風の地名にされた歴史がある。
印象に残ったのは、大連の歴史を展示した資料エリアに、別室で開催されている坂本龍一展の音が漏れ聞こえていたことである。おそらくアーティストが意図したことではないが、映画『ラストエンペラー』の音楽も手がけた日本人アーティストの音が浸食してくるさまは、皮肉にもかつての植民地支配を思わせて示唆的であった。
川田知志の作品は、美術館の壁いっぱいに広がるフレスコ壁画とその制作過程。伝統的なフレスコ壁画の制作・解体・移設を通じて、日本社会の基盤構造を描き出す。フレスコ壁画という表現形式は、既存の壁に描く上に、周囲の環境に影響を受けやすい漆喰を画材とするため、制作空間と不可分の関係にあるそうだ。全長約50メートルの壁画の主題は、戦後の日本社会にありがちな都市部と郊外の風景で、タイトルは《ゴールデンタイム》。高度経済成長期からのテレビが象徴する輝かしい時代の影にある現実を想起させる。
具象画ではないので解説がないとわたしには風景画とはわからなかったが、いわゆる「ファスト風土」的な風景を思い浮かべるので合っているだろうか。評論家の三浦展(あつし)が提唱するファスト風土の概念は、地方都市の出身者と会話するときに例えとして出すと非常に盛り上がって楽しいのだが(「ファスト風土」で画像検索したら地元と同じ風景が広がってるよ、と言って見せると大ウケする)、学術的な概念としては批判もあるようだ。
臼井良平の作品のモチーフは、公共空間を区切り占有するブルーシート、工事現場の囲いフェンス、石やコンクリートブロック、そしてプラスチック。ペットボトルやビニールはよく見るとガラスでできており、異質な存在感を放つ。見慣れた風景を再認識させる空間が、人々の存在そのものを問い直させる。
庄司朝美の絵は、鳥・動物・怪物・亡霊が交錯する。皆レントゲン写真のように透き通っており、普段は体内にあって見えないものが可視化されている。
展示の最後を締めくくるのは、本展タイトルの由来となった国吉康雄の《幸福の島》である。労働移民として渡米し、アジア系排斥運動、大恐慌、赤狩りなど激動の時代を生きた国吉は、作品で直接的に社会に言及する手法は取らなかったものの、社会活動にも関与し、常に社会批判的な視座を持っていたという。本展パンフレットにあった ”もつれ合う世界の複雑さをいかに引き受けるのか” とは、ゴールは存在せず、 試み続けるプロセスそのものが意味となるタイプの問いだと思うが、その中間報告として非常に面白い展覧会だった。
3.二人展「COLOR PUNCH 色で、殴る」
会期:2025年1月24日-1月26日
会場:アートスペースouro
画家・劇団員のTENと画家・タトゥーアーティストのSUUによる合同展。
本屋&アートギャラリーday vlog #政治的なvlog
具象と抽象を行き来するようなカラフルなアクリルやクレヨンや水彩が楽しい。ステートメントには ”本展「Color Punch 色で殴る」では、ポップでラフなやり方で私たちの生き様を表現しています。こうとしか生きられない私たちの色や形から、この理不尽で不平等で残酷な社会を自分らしく生き抜く糧を見つけてもらえればうれしいです。” とあり、会場には影響を受けた書籍の展示やドネーション商品の販売もあった。オリジナルペイントのバッグは売上から国連パレスチナ難民救済事業機関や虹色ダイバーシティ等に寄付されるシステム。
インスタで偶然知って訪れたが、なんとTENさんはわたしを知っておりエッセイ同人誌も買ってくれていた。東京は意外と狭い。
4.美を疑え 資生堂クリエイティブ展
会期:2025年1月11日-1月26日
会場:資生堂ギャラリー
資生堂クリエイティブ株式会社初の展覧会。様々な視座と角度から美と対峙した作品が並ぶ。
古着屋&アートギャラリーday vlog #政治的なvlog
銀座にある資生堂ギャラリーでの展覧会。主催の資生堂クリエイティブ株式会社は、資生堂の広告・デザイン部門が独立した子会社である。理念に「新しい美の体験を提案し、ビジネスの価値を最大化します」とある通りあくまで営利企業なので、展覧会も美術館が主催するようなものとは違ってくるだろう。
セレンディピティを重視しているのか公式サイトには抽象的な文言が並び、事前情報は少なめ。内容は、「感性の美」「社会の美」「生き方の美」の3つのカテゴリーに沿う10個の展示で、さまざまな「美」を提示するというもの。モチーフは色覚多様性、東日本大震災、アイヌ、ディスレクシアなど硬派で、色覚マイノリティにとっても美しい色彩を再現したコスメ、東日本大震災の経験から生まれた使い切り化粧水など技術力を発揮したものはいかにも大手化粧品メーカーらしい。一方で、消滅危機言語としてのアイヌ語をジュエリーで表現した展示や、ディスレクシア(学習障害の一種)の視覚を体感できるVR体験は、インスタレーションとしての完成度は低く、ただ社会派っぽいことをやってみた感が否めない。
お絵描きを通じて美的感性を育む「美育ツール」の「かけるーじゅ」は、お洒落系のセックストイみたいだと思ってしまった。パステルカラーで曲線的な手のひらサイズのオブジェは全部セックストイに見えちゃう罠。心理的抵抗なく手に取りやすいデザインを追求したら児童向けプロダクトに似てくるのは必然なのかもしれない。
全体的に、美を追求した先にお出しされるのが既存の価値観の刷新などではなくウェルビーイングなお洒落プロダクトなので、資本主義と消費からは逃れられない上滑り感が苦しい印象だった。営利企業の展覧会は大なり小なりエシカルウォッシュの性質を持つし、こんなもんといえばこんなもんであろう。
2024年の展覧会感想まとめ記事はこちら。