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#政治的なvlog の行ったやつ 展覧会感想まとめ【2024年】

 

 

 

 

#政治的なvlog とは

2024年8月からYouTube活動を本格始動しました。#政治的なvlog と題したポップな日記動画を週3、4本更新しています。

スマホ撮影による縦型vlog動画は近年のトレンドであり、 #政治的なvlog はこの形式ならではの視聴ハードルの低さ・伝播可能性を採り入れつつ、内容においては都市型消費生活に内在する批評性・政治性を可視化することを試みています。いわばわたしの生活を投じたアートプロジェクトです。

 

神保町&表参道買い物vlog #政治的なvlog 

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10.5 パレスチナ連帯デモに行くvlog #政治的なvlog 

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本間メイ「Women were gatherers?:女は採集者だった?」展に行くvlog #政治的なvlog

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#政治的なvlog vol.1-30 街中のグラフィティ/ボムまとめ

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美術館・アートギャラリー回を文字でも残しておこう

さて、そんな #政治的なvlog のメインコンテンツになりつつあるのが、展覧会の感想動画です。わたしは美術館やアートギャラリーに行くのが好きで、 #政治的なvlog を始めてからは動画で感想を残すようになりました。しかし動画形式は検索性が低く、展覧会の感想を純粋に記録として蓄積するのには不向きです。そこで、ブログでも感想を簡単に残すことにしました。

 

まとめ記事のシステム

独立した展覧会公式サイトがあるなら公式サイト、ないようなら会場となるギャラリーの展覧会告知ページを貼ります。加えて、アート情報メディア大手であるTOKYO ART BEATのページもあれば貼ります。心情としては個々のギャラリーの取り組みを応援したいのですが、小さいギャラリーの告知ページは会期終了後にリンク切れになることが多いので、TOKYO ART BEATも付記します。

 

それでは、2024年のまとめです。

 

 

 

2024年の行ったやつ

1.デ・キリコ展

 

会期:2024年4月27日‐8月29日

会場:東京都美術館

 

20世紀を代表する巨匠の一人ジョルジョ・デ・キリコの70年に渡る画業を総覧する大回顧展。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2024_dechirico.html

www.tokyoartbeat.com

 

デ・キリコ展に行く日のvlog #政治的なvlog #東京都美術館

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撮影完全禁止だったので、動画では行ってきた報告だけで中身には触れていません。デ・キリコにはとくに詳しくないけれど友達に誘われて来場。年表や交遊録からは、70年も活動できただけあって人柄もよかったことが察せられた。SNSのない時代の社交って「サロンへ行く」とかだろうから、現代の引っ込み思案には厳しそう。

 

 

 

 

2.国立ハンセン病資料館 2024年企画展 絵ごころでつながる - 多磨全生園絵画の100年

 

会期:2024年3月2日-9月1日

会場:国立ハンセン病資料館

 

ハンセン病の療養施設である多磨全生園の100年間の絵画活動を振り返る展覧会。療養所に閉じ込められ非人道的な扱いを受けながらも、生きた証を絵画で表現した人たちがいたことを今に伝えるもの。

www.nhdm.jp

www.tokyoartbeat.com

 

国立ハンセン病資料館に行くvlog #政治的なvlog 

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人生で最も心揺さぶられた展示の一つとなった。

国立ハンセン病資料館・国立療養所多磨全生園は新宿から電車とバスを乗り継いで1時間、森林の中に隠れるように佇んでいる。わたしは精神疾患の影響でバスが非常に苦手なので今まで来訪できずにきたのだが、この立地がすでにこの国のハンセン病患者の苦難の歴史の表れである。かつてハンセン病は不信心などのせいでかかる伝染病と誤解され、発症者は家族もろとも苛烈な差別を受けた。政府は患者を療養所に強制隔離し、患者の多くは死ぬまで外に出られなかった。絵を描くことは患者に許された数少ない活動の一つであった。メインビジュアルにある「絵を描くことがぼくらのすべてだ」とは、当時においてはまったく誇張ではなかったのだ。

 

 

最初期の作品群は作者名すら残っていない。欠損した指で制作し天才と称された瀬羅佐司馬(生年不明-1949)も、現存作品はなく、自画像の模写1枚が伝わるのみである。
氷上恵介(1923-1984)は絵画を通じて社会からの偏見や患者間にもある格差を表現し、詩や作陶も手がけた。「絵を描くことが私と社会とを継ぐ唯一の行動であった」との言葉を残している。

鈴村洋子(1936-2020)はほとんど唯一の女性の描き手である。 “キャンバスに油絵具で描いて展覧会に出す” といった既存の道具・経歴からは外れ、身近な障子紙や空き箱に描いた。作品発表の機会も男性たちに比べて遅かった。

 

「絵を描くことがぼくのすべてだ」とは、長浜清(1928?-1971)の言葉であるが、長浜は多磨全生園で絵を描いていない。絵を学ぶために転院してきたものの病状が悪化し、1枚も描くことなく43歳で急逝したそうだ。描いて残した人がすべてではないのだ。瀬羅のように作品を描いたけれど散逸してしまった人、鈴村のように患者間にもある格差のせいで発表の機会が不十分だった人、長浜のように描きたくても掛けなかった人。ほか、絵画という表現手段は持たなかった大多数の人々。”絵画の不在” にも生きた証があるはずだ。

 

 

患者たちの作品の存在、そして不在は、現在にもあるさまざまな差別の問題の多様な背景、複合性、交差性を思い起こさせる。ハンセン病患者への差別は、戦時下においては「病気で役に立たない肉体」への蔑視として強化されたという。また、差別によって故郷を追われて流浪していた患者が真っ先に療養所に収容されたのは、外国人の目に触れると国の恥になると考えられたからであった。ハンセン病患者への差別はナショナリズムの為の制度・構造として形成されたのだ。現代においても、差別問題の多くは構造によるものであろう。

 

常設展は完全撮影禁止なので写真は1枚もない。おそらくは展示物に実在の患者の写真が用いられているからであろう。敷地内の自動販売機が、車椅子から買い物することを前提に低く作られていることが、この場所が過去の歴史の遺物ではなく今も当事者が暮らすすみかであることを伝えている。

 

 

患者は高齢化が進んでおり、おそらくあと数十年でハンセン病患者は日本からいなくなる。それでも差別の歴史は消えることはない。
常設展では、結婚した患者の処遇に触れたセクションが深い印象を残した。患者同士の結婚は認められていたが、夫婦が相まみえることができるのは夜、大部屋の中のひとつの布団の上でだけ。隣の夫婦の布団との間にはついたてがあるのみである。連れだって出かけたり、食卓を囲んだり、並の夫婦らしいことなどできはしない。夜に布団だけを与えられ、夫婦者など性交さえできればよかろうという残酷な慈悲に、それでも人々はすがり、性交に没頭したであろうことは容易に想像がついた。人と人の繋がりを性交に矮小化する一方で、性交の先にある挙児の権利は断種により剥奪したことが、二重の残酷として胸に迫った。

前述の通りわたしにとっては少々苦しい立地ではあるが、必ず再訪したいと思う。

 

3.日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション展

 

会期:2024年8月3日-11月10日

会場:東京都現代美術館

 

高橋龍太郎は1946年生まれの精神科医/美術コレクター。そのコレクションは3500点を超え、質・量ともに日本の現代美術の最も重要な蓄積として知られている。東京都現代美術館がこれまで体現してきた美術史の流れにひとつの「私観」を導入しつつ、批評精神にあふれる日本の現代美術の重要作品を総覧する。

www.mot-art-museum.jp

www.tokyoartbeat.com

 

高橋龍太郎コレクション展に行くvlog #政治的なvlog #東京都現代美術館

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村上隆・草間彌生・奈良美智といったわたしでも知っている有名人から気鋭の若手まで、大ボリュームで満足。印象に残ったのは柳幸典、やなぎみわ、西村陽平、石毛健太など。詳しくは動画で。

 

 

 

 

4.完全没入ショールーム 100人に1人が体験する統合失調症の世界!

 

会期:2024年10月12日-10月14日

会場:東京タワーフットタウン1Fイベントスペース

 

統合失調症の主な3つの症状「陽性症状」「陰性症状」「認知機能障害」について、統合失調症の当事者に起きているかもしれない世界に没入し、体験することで疾患と当事者への理解を深める疾患啓発イベント。

https://www.boehringer-ingelheim.com/jp/human-health/mental-health/schizophrenia/wmhd2024

 

統合失調症追体験ショールーム in 東京タワーに行くvlog #政治的なvlog #統合失調症room

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製薬会社の日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社が主催のイベント。10月10日の世界メンタルヘルスデーに合わせた開催で、統合失調症の患者が感じている世界観を体験し理解を深めてもらうという趣旨。なぜか三連休の東京タワーで無料開催ということで、大行列の盛況だった。

内容は、近年流行りの「イマーシブ」を標榜するビジュアルアートとしてはありがちな作り。当事者の困難の描写も一般向けにマイルドになっていると感じたが、統合失調症は偏見でもっておどろおどろしいイメージを持たれがちなので、マイルドなくらいがちょうどいいのかもしれない。幻覚や妄想など、一般に(偏見でもって)流布している陽性症状の説明だけでなく、地味だが深刻な陰性症状と認知機能障害についてもしっかり解説があってよかった。東京タワーのような人の多い場所でやることに意味があるタイプのイベントだろう。

 

 

5.田中一村展 奄美の光 魂の絵画

 

会期:2024年9月19日-12月1日

会場:東京都美術館

 

画家・田中一村の大回顧展。奄美の田中一村記念美術館の所蔵品から近年発見された資料まで網羅する決定版。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2024_issontanaka.html

www.tokyoartbeat.com

 

田中一村展 〜奄美の光 魂の絵画〜 に行くvlog #政治的なvlog #東京都美術館

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田中一村は晩年を過ごした奄美大島の自然を描いた作品で知られる。わたしは最近、奄美大島をはじめ日本の中でも周縁化された地域の文化や日本人の中のレイシズムに興味があるので来場してみた。一村自身は奄美大島ルーツの人ではないが、作品を通じて奄美大島の風物に触れることができてよかった。

ミュージアムショップが充実しており、一村が絵付けした皿やうちわをそのままミニチュアで再現したグッズもあってファン心理をわかっていると思った。オタクはキャラプリントじゃなくて現物そのままが好きだからね。

 

 

6.ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

 

会期:2024年9月25日-2025年1月19日

会場:森美術館

 

20世紀を代表する最重要アーティストの一人、ルイーズ・ブルジョワの国内最大規模の個展。インスタレーション、彫刻、ドローイング、絵画など、さまざまなメディアを用いながら、男性と女性、受動と能動、具象と抽象、意識と無意識といった二項対立に潜む緊張関係を探求したその活動の全貌に迫る。

www.mori.art.museum

www.tokyoartbeat.com

 

ルイーズ・ブルジョワ展に行くvlog #政治的なvlog #森美術館

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港区・六本木は繁華街としての歴史を持ち、近年は高層オフィスビル・高級ホテル・タワマンなどが軒を連ねる経済都市である。その華やぎの中心にいるのが日本屈指のデベロッパー、森ビル株式会社が手がける六本木ヒルズだ。森美術館は六本木ヒルズの53階にそびえ立つ、主に現代アートを扱う美術館である。六本木付近にはほかにもサントリー株式会社が手がけるサントリー美術館があり、直近ではDIC川村記念美術館のコレクションが移転してくることも話題になった。六本木は、高度発達した資本主義の上澄みとしての文化芸術を庶民に提供してくれる街なのだ。

ルイーズ・ブルジョワは、六本木ヒルズのランドマークである蜘蛛の彫刻を手がけた作家である。長いキャリアの中でもブルジョワの作風は一貫しており、母子、男女、生殖器など生々しいモチーフを用いて自らの心的外傷を芸術に昇華するという大枠は変わらない。1960年代にフェミニズムの文脈で評価されたのも納得であるが、「女性」アーティストが強迫的・自己愛的とも感じる執拗さで自己の心身や性愛と対峙する作風は現代のわたしからするとクリシェと感じるくらい見覚えがあるもので、あまり響かなかった。

 

《かまえる蜘蛛》2003年

連作《堕ちた女[ファム・メゾン(女・家)]》1946-1947年

 

また、個人的に森美術館はキュレーションや解説文が肌に合わないことが多い。今回は、解説文では母性の複雑さや二面性を表現したとされる「グロテスク」な作品が多かったのだが、個人的にはそもそも子どもを産みたくなかったが時代の制約で産まざるを得なかった人の引き裂かれの表現と捉えるほうがしっくりきた。作風が「赤裸々」な割にアートとしては終始生煮えで、芯を食いそこねている印象を受けた。作品としての強度より込められたパーソナルな思いの強さが先行するアートほど、見ていて居心地の悪いものはない。個人的にはネガティブな感想となったが、解説文との相性やわたしの知識不足に引っ張られている節は当然あるだろう。

 

《自然研究》1984年

《良い母》2003年

《少女(可憐版)》1968-1999年

 

森美術館には港区の高層ビル群を見下ろす絶景を背景にした展示スペースがあるのだが、今回そこに配置されていたのは彫刻作品《ヒステリーのアーチ》(1993年)である。これが森美術館の場所性と噛み合っていて一番印象に残った。背中を反らせた無理な姿勢の男性の像は、ヒステリーは女性のものという固定観念を覆す。背後の高層ビル群に出入りしているであろう、資本主義の歯車として酷使され感情を抑圧されているオフィスワーカー男性を思わせて印象的だった。

 

《ヒステリーのアーチ》1993年

 

ミュージアムショップには、《ママン》の蜘蛛柄の缶に蜘蛛の卵を模した白いお菓子が入っている菓子缶があって笑ってしまった。凄いセンスだ。

 

なお今回のルイーズ・ブルジョワ展は、実は知的財産権にかんして具体的に踏み込んだ指示が掲示されていた。vlogでは作品が映るすべてのカットに “ルイーズ・ブルジョワ《作品名》制作年 licensed under CC BY 4.0” の文字を入れることで対処してみたが、これでよかったのだろうか。まあ、SNSでは皆好き勝手アップロードしてましたが。

 

 

7.企画展示「そのとき、あなたは、何を着てた?」

 

会期:2024年11月11日‐11月16日

会場:千代田区男女共同参画センター

 

性暴力被害者の当時の服装を再現した展示。原因は被害者の服装ではないことを視覚化する試み。

miw.city.chiyoda.lg.jp

 

「そのとき、あなたは、何を着てた?」展に行くvlog #政治的なvlog #パープルリボン運動

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「そのとき、あなたは、何を着てた?(What Were You Wearing?/WWYW)」展は、2014年にアメリカでスタートしたアートインスタレーションである。アメリカの倫理学者メリー・シマリング(Mary Simmerling)が自身のレイプ被害を書いた詩「What I was wearing(私が着ていたもの)」にヒントを得て、性暴力被害者に被害時の服装について記述してもらい、近いコーディネートを再現して展示するもので、「挑発的な服装をした若い女性が性暴力被害に遭う」という先入観を覆す意図がある。2014年以降欧米各地で開催されており、日本では上智大学の主導で不定期開催されているようだ。

 

展示は完全撮影禁止。被害者の年齢は若年層から中高年まで幅広く、加害者は肉親から警察官まで。被害状況を記述した説明文の隣に展示されている服は、すべてごくありふれたものである。

会場にはメリー・シマリングの詩も展示されていた。詩によって気づかされたのは、加害者と被害者の絶望的な非対称性である。好奇心から被害の状況を聞きたがる人は多いが、加害者はしばしば透明化されるのだ。

 

私は

あの夜

彼が

何を着ていたか

覚えている

 

実際には

誰にも聞かれなかったけれど

 

──訳:坂後裕菜・田中雅子(上智大学)