敏感肌ADHDが生活を試みる

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2019年7月上旬の生活改善。不条理感を昇華させる工夫【印鑑ケース買替 他】

 

 

 

今月上旬の生活アップデートです。個別記事にするほどでもない、こまごまとしたアイディアを記録していきます。

 

前回の生活改善ログ

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その他、加筆お知らせ・言及お礼なども。

 

 

 

 

1.記事を加筆しました

『気分が落ち込んだときにチェックすることリスト補足/生きづらさを苦痛として尊重することについて』の記事を加筆しました。


睡眠の大切さについては、大前提中の大前提なのであえて割愛していました。

「発達障 “害” 者」という表記については、加筆の通り、現時点ではWeb検索の利便性を考慮して選択しています。

 

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2.言及ありがとうございました

id:atawataaa さんに、下記の記事にて言及していただきました。ありがとうございました。

 

atawataaa.hatenablog.com

言及元の記事

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他の方のチェックリストを拝読できて興味深かったです。自分以外の方がなにに重きを置いているのかを知ることで、翻って自己分析も捗った。

たとえば、言及先の記事の、

わたしは洗濯物をリビングに干しているんだけど、これが乾いたあともぶら下がったままというのは見ているだけで憂鬱な気持ちになる。だからといって畳もうという気持ちにはならないが。

という記述。わたしも洗濯物はたいていカーテンレールに部屋干しなのだが、ぶら下げっぱなしにしていても「見ているだけで憂鬱」になるほどではないなあと気づいた。そこはわりと平気かもしれない。ただ、洗濯物を畳むのを苦痛に感じるときがあるのは同じです! 共通点・相違点含め、さまざまな考え方を知ることができました。ありがとうございました。

 

ちなみに洗濯物畳むのがつらい問題に関しては、わたしは、服の収納を吊り収納に統一することで多少解決できた気がする。乾いたものはそのまま、すぐ隣に設置したハンガーラックにかける。服の数を厳選し、ハンガーラックひとつに収まらない分は処分した。

それでも、どうしても吊り収納に適さないものなど、一部の服は畳んで収納しなければならない。畳んで片付ける作業が苦痛なときは、とりあえず干し場からは取り入れて、折り畳み式のランドリーバスケットに突っ込んでおくことにしています。取り入れたものを床に広げておくよりは、臨時の箱に収納してしまうほうが個人的にはすっきりする。それから、体力があるときに改めて畳んで、本来の収納場所に片付けています。要は、取り入れる作業と畳む作業を分けて考えて、とりあえず取り入れる作業からこなしていく。

 

ワイヤーとメッシュでできたランドリーバスケットをたたんだところと広げたところ。

▲自立するランドリーバスケット。スリーコインズで買った。使わないときは畳んでおけるので、バスケットの底にホコリが溜まらないのがいい。

 Amazonにも似たような商品がある。

 

生活とはまことに不便なものだ。他の方のアイディアも参考にしつつ、できるだけよりよい状態に整えていきたいと思います。

他にも、何人かの方から言及をいただいております。ありがとうございました。

 

 

 

3.革製の印鑑ケースを安物に買い替えた

さて、今週の生活改善ログである。

印鑑ケースを買い替えた。

数年来使っているわたしの印鑑には、革製の立派なケース(本革か合皮かは知らん)がついていたのだが、蝶番が壊れてしまったので新しいケースを買うことにした。
同じような高級感のあるケースを買うこともできたが、ここはあえて、ダイソーのプラスチック製のケースを選びました。

 

透明プラスチックの印鑑ケース。


このケースを選んだ理由は二つある。


まず一つには、中身が見えるようにしたかったからだ。

印鑑を紛失した経験は今のところないが、こんなに小さくて丸いのだから将来的になくす可能性は十分にある。そのくせ、なくなったときのダメージは大きい。ケースごと見失う可能性もあるが、少なくとも中身がケースに収まっているかを一目で確認できるようにしておきたくて、透明素材のケースを選びました。

 

そしてもう一つの理由は、印鑑という存在をできるだけ馬鹿にしていたいからだ。

印鑑というやつは、日常生活のあらゆる重大場面でポチッと押すことを求められる超重要アイテムですが、印鑑を心底から敬っている人はどれだけいるんだろう。わたしは印鑑、嫌いです。本心では面倒臭いと思っています。そういう人はわりと多いみたいで、印鑑不要論はネットで定期的に盛り上がる。つい最近も、事務手続きのオンライン化を推進する法案が印鑑業界の反発で見送られたとかで、燃料は尽きない。本人確認の手段として無意味であるとツッコまれたり、果ては日本という国の悪習の象徴のように語られたり、すっかり嫌われ者ですね。印鑑と、あと元号も、同じ論調で批判されている気がする。

印鑑文化の是非については、本題ではないので掘り下げない。ここで大事なのは、世間の声ではなく、自分自身が印鑑を面倒臭いと思うかどうかだ。


わたしは、面倒臭いと思った。であれば、生じてしまったこの感情に、どうにか折り合いをつけなければならない。

 

洗顔不要のベースメイクの記事でも書いたが、本心では納得していない行動を我慢しながら続行するのは、いわば精神的なマルチタスクだ。マルチタスクはADHDの脳に大きな負担をかけるから、解消せねばならない。

だが印鑑文化は、今の日本に住んでいる限り回避することができない。印鑑は非効率だし無意味だし使いたくないという感情と、印鑑がなくては生活が回らないという現実。この矛盾を根本から解消するのは、残念ながら一個人には不可能だ。

 

しかし、根本的な解決は無理でも、少しでも自分が楽になるように工夫することはできるわけです。その一手段が、「印鑑が嫌い」という自分の感情を否定せずに受容し、受容した証拠を目に見える形でアウトプットすること。つまり、思いっきり馬鹿にしたような安っすいケースに入れてさしあげることだ。印鑑業者さんごめんなさい。

社会は印鑑に価値を見出す形で回っているが、わたし個人は印鑑に価値を感じない。自分のささやかな感情を、自分一人くらいは大事にしてあげてもいいじゃないか。少しでも、気を済まさせてあげよう。不条理感(気が済まない感・納得できない感)をただ押し殺して我慢するのは、最終手段でいい。


さて、印鑑を安物のケースにぶち込んだことで、少しでもわたしの溜飲が下がったかというと、ぶっちゃけ微妙。あんまり効果なかった気もします。相変わらず印鑑は嫌いだし、それでいて社会は印鑑を有り難がるし、不条理感は解消されていない。

それでもこれは、自分の感情に折り合いをつける訓練の一環なのだから、無駄ではないと思っています。

 

決して乗り越えられない感情は、どうしようもなく存在する。わたしの中にもある。信じられないくらい理不尽な目に遭うこともあるし、悔やんでも悔やみきれない後悔を背負うこともある。どうしたって折り合いをつけられない、胸が張り裂けそうな痛みを、ひとつ、またひとつと増やしながら、それでもわたしたちは生きていくしかない。

折り合いがつきそうにない感情に、どうにかこうにか折り合いらしきものをつけ続ける作業は、これからも一生続くのだろう。であれば、普段からちょくちょく訓練しておいて、これから先も増え続けるであろう不条理に備えたいと思う今日このごろです。

 

印鑑ケース替えたってだけの話でどんだけ書くんだ。以上約3200文字、今月上旬の生活改善でした。

 

 

次の生活改善ログはこちら:

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