いつか届かなくなるかもしれないおはよう

この雑記は、2年前に書いて寝かせてあった文章を推敲したものです。文中に出てくる友人は、今は遠方に引っ越してしまいましたが、親交は続いています。
なお、オーバードーズを推奨する意図はありません。念のため。

 

***

 

午前3時を回った頃、LINEが来た。翌日の昼に会う予定だった友人から。
「すみません。ちょっと都合が悪くなってしまったので、明日遊ぶのはキャンセルさせてください。直前で本当にごめんね」

文章は普段の彼女の通りだったが、深夜の連絡であることや、ここ数日彼女のTwitterが荒れていたことなどを考え合わせると不穏な勘が働いた。それとなく質問して、案の定オーバードーズの最中であることを聞き出し、会話を重ねるうちに、彼女の文章はどんどん不明瞭になっていった。誤字脱字が増えて。次第に内容も要領を得なくなって。まるで逆アルジャーノンだ。

彼女の中の、意識のブレーカーが次々に落ちていく様子が手に取るようにわかる。カーテンを閉めるような、蛍光灯の紐を引くような、いつでも回復できる消灯ではなくて、ブレーカーごと落とすような徹底した遮光が必要な夜というものは、たしかにある。わたしにもある。

電話に切り替えて、話を聞いた。病気のことや、仕事のことや、お金のことや、親のことなど。

 

彼女の意識があるうちにと思って、伝えたいことだけ伝えた。

死ぬためのODであれば、わたしは警察に電話してでも止める。一人ぼっちになって、進む道も戻る道も見えなくなって、死ぬしかない気持ちで死のうとしているのなら、わたしは止める。止めることが、あなたは一人ではないということの証明になるだろうから。あなたには味方がいる。わたしがいる。

生きるためのODであれば、わたしは止めない。ブレーカーを落とすことが必要なのであれば、ODはひとつの手段だ。何度でも繰り返せばいいし、何度も繰り返すことであなたを嫌いになったりはしないと約束する。わたしのような他人の目を気にする必要はまったくない。わたしは何度でもおやすみなさいを言って送り出すし、目が覚めたらおはようを言って迎える用意がある。

 

死ぬためのODか、生きるためのODか。彼女は、「自分でもわからない」と言った。まあそりゃそうだろう。それがわかったら苦労しないのだ。
実はわたしは、電話をしながら自転車を飛ばしており、この時点ですでに彼女のアパートの近くまで来ていた。そのことは伏せて、一応「そっちへ行きましょうか」と申し出たが、予想通り丁重に断られた。本当にオチる前に救急車を呼んでくださいね、とだけ一応言って、電話を切った。
アパートは目の前だ。踏み込まないでいることには若干の勇気を要したが、そのまま帰宅した。

 

意識はわれわれを形づくる大事なパーツだが、常時付き合わなければならないお荷物でもある。意識を強制的に落とすことでしか乗り越えられない夜もある。そうやって、われわれは生き延びてきた。根本的な治療ではなくても、一時的な麻酔に過ぎなくても、目の前の手段にすがって、これからも生き繋いでいく。
わたしは待つ。彼女におはようを言うために。わたしはわたしの人生を生き繋ぎながら、彼女からの連絡を待っている。


f:id:infernalbunny:20190323134403j:image