最終更新:2020.2.16
突発的に限界が訪れることがたまにあり、今回は出先のタイミングだったので、速やかにネットカフェに入った。
予定外の外泊だが、薬は常に持ち歩いているのでそこは問題ない。近くのファミリーマートでスキンケアセットだけ買った。
からだに手間暇をかけるのは重要だ。一日とて同じ日はない今日という日を過ごしている肌を観察し、手を入れ、労る。肌を通じて、たましいそのものを尊ぶことができる。
スマホで調べて、付近の最安値のネットカフェに入った。最長一週間の長期滞在コースがあることにどこか安堵する。
わたしの場合、死にたいという欲求を紐解いていくと、隠された解として「同時進行中のタスクを一旦なにもかも忘れて南の島の広いベッドで眠りたい」に行き着くことがある。死なないで済むのなら、ネットカフェ代くらい安い出費だ。
ネットカフェのブースは、暗闇ではないけれど普通の喫茶店ではあり得ないくらい薄暗くて、防音ではないけれど奇妙に静かで、人は皆示し合わせたように周囲への無関心を貫いている。すぐ隣に別の客がいることは気配でわかっても、どんな人物なのかは皆目わからない。
プライベートと公共の境、日常と非日常の境。絶妙に隔絶されたブースは、寄せては返す苦痛の合間に生じたエアポケットのように、わたしを優しく包み込んでくれる。
広いベッドはないけれど小さなリクライニングソファがあるブースの片隅で、今日もわたしは波が過ぎ去るのを待っている。