雨宮まみがいない世界は間違っている

 

今年もまた11月15日が来て、過ぎていった。

“私は私でいたいだけ。私は、私のままで、どうしたら私の『40歳』になれるのだろうか。そしてどんな『40歳』が、私の理想の姿なのだろうか。そういうことを、40歳を迎える今年、書いてみたい” と書いていたひとが40歳ちょうどで亡くなってから、二度目の11月15日。

 

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わたしは、雨宮まみが、これから40といわず50、60、70、その先までをどう生きていくのかを見ていたかった。雨宮まみのような女がどう老いていくのかを知りたかった。

至極残念なことに、この世界では女であることは罪とされているらしい。罪人には、罰として、女としての人生が与えられる。かようにクソッタレな世界をなんとか愉快に生きてやろうと悪あがきをする女はいつの世にも一定数いて、わたしにとって雨宮まみはそんな女たちの急先鋒の一人だった。

このクソッタレな世界を雨宮まみがどうサバイブしていくのか、ずっとずっと見ていたかった。

残酷な欲望だ。雨宮まみが故人だから言うわけではなく、誰に対してであっても残酷な欲望だと心底思う。生身の人間にぶつけていい欲望ではない。

 

不慮の事故による急逝―― 民衆を導く自由の女神の物語として、これほど不条理な結末があろうか!そう叫びたくなるけれど、雨宮まみは生身の人間であって物語ではないのだというシンプルな現実がわたしの口を押し塞ぐ。物語ではない。そもそも。雨宮まみはその能力でもって、おのれの生き方を文章に変えて発信してくれていたが、それは善意のようなものであって、無責任な外野であるわれわれにできることは本を買ってお金を落とすことくらいだったのだ。最初から。

 

雨宮まみの生き方を、ある友人は「エレガンスがある」と形容した。エレガンスーー上品な美しさ。優美。優雅。気品。典雅。まさにその通りだと思う。糞まみれのエレガンス。ZARAとかAMBALIとかの派手なワンピースを着て地獄の露払いに邁進する、糞まみれの女神。

雨宮まみがいなくなって、わたしはまだエレガンスのお手本を見つけられないでいる。

世界はまだ、雨宮まみなしでやっていくには早すぎる。

 

mamiamamiya.hatenablog.com

 

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【追記】雨宮まみさんの、Webで読めるお仕事の一覧を作成しました。

 

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